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湾多珠巳

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「側壁A7、D2、F9に侵食発生、強烈です! 外壁突破まで推定で880」

「中和処置! 移動待機分のエネルギーを回せ」

「しかし移動せずにこれらの侵食素をかわすことは――」

「分かっている。ジリ貧になる前に何とかするっ。今現在の来襲分をまずは防げ! 内力炉ならまだしばらくは持つ」

「はっ」

 測感素たちとのやり取りを続けながら、トムル10067は状況が限りなく絶望に近いことを悟っていた。あまりにも相手が悪すぎる。いつからだろう、この惑星の環境の表層にが現れたのは。トムルたちの海が敵対性生命体で覆われんばかりになってしまったのは。

〝仇なすものたち〟とトムルたちは呼んでいた。他に呼びようがない。それの体構造を図式的に説明は出来るものの、そんな静的な在りようを述べたところで、実際の凶暴な性質はとうてい表せない。

 見かけは動きのほとんどない、浅海に漂っているだけのただの生物種である。トムルたちを捕食するわけでもない。だが、何の摂理が働いたものやら、やつらは成長の対価として毒を吐く。それも新種の毒粒子で、信じがたいことにそれがこの惑星の海と大気を大きく変えつつあるのだ。

〝仇なすものたち〟の繁栄は、トムルたちの生命に対する大きな脅威だ。だが、なにしろ存在そのものが危険の塊。トムル自身はそれを攻撃できるものでもなく、少しでも早く危険を察知して逃げ回るしか能がない。

 それが、彼ら自身の大事な生命を守る唯一の方法である。

「左前方、反応多数。〝仇なすものたち〟ではありません。毒素が……少ない?」

 別の測感素からの報告に、トムルは少しだけ緊張を解いた。

「放っておけ。〝毒喰らい〟だ」

 それもまた新種の生命体である。毒を吐くものがいれば、喰らうものも出てくるということだ。トムルたちにとってはささやかな慰めの材料ではあったが、共存できる味方というわけではなかった。

「多数、接近してきます。攻撃の意図がはっきり読み取れます!」

「問題ない。やつらのサイズじゃ、我々の相手にはならんよ。ただ……侵食部分に紛れ込まれると厄介だな。処置中の壁面に近づかないか、注意だけはしておけ」

「はっ」

 ふと、何かがひらめいたような気がした。今の状況を大きく覆す起死回生の一手。限りなく妄想に近いようで、でもけっして見逃せないアイデアが……待て、自分は今何を言った?

「新たな侵食発生! B4、B9、C5、E1、E8、いずれも強烈ですっ!」

 急を告げる測感素に、トムルの思考は中断された。非常事態である。

「中和処置だっ。内力炉から直接エネルギーを回せ!」

「それでは、全体の生命活動にも影響が」

「構わん! 最低限の機能維持以外は、全て――」

 いよいよ来るべき時がきた、とトムルが覚悟を決めた時、突如、強力な突き上げが来た。ついで激しい振動。どうも、周囲の海域の様相が大きく変化しているらしい。トムルたちは、周囲にいた〝仇なすものたち〟と〝毒喰らい〟共々、巨大な渦に巻き込まれながら猛烈なスピードで流され始めていた。

「何ごとかっ」

「状況不明。ただし、毒素の濃度が急激に低下中。侵食止まりました。海水温上昇。エネルギー素体の反応多数。どうやら、近隣の海底で地殻変動があったようです」

 海の中は荒れに荒れているようだが、生命活動に支障があるような状態ではない。むしろ、エネルギー補給が出来るのならそれを逃す手はない。

「素体をめいっぱい取り込め。このチャンスに太れるだけ太っておけ。水流が収まったら、地殻変動の中心に向かえ。海底火山は〝仇なすものたち〟を追い払う、数少ない場所だ」

「了解」

 判断を行動中枢に伝えてから、トムルはようやく心を落ち着かせることができた。僥倖に巡り合って、なんとか生き延びられそうだ。だが、我々ほどの運のなかった仲間たちは、今この瞬間も毒素に侵食されて命を散らしているに違いない。

 これから我々はどうするべきか? どうすれば生き続けられるのか? 時間稼ぎをしているうちに、何らかの策を講じなければ――。



「サリク、何をしてるの? まあ、また試作体のおもちゃと感覚共有なんかやってるの?」

 同僚の呼びかけで、サリクはいったん作業を中断した。無遠慮に自分に近づいてきたエーダムを不愉快そうに捉えながら、不承不承コミュニケーションの回路を開けてやる。

「うまくいってないのなら、もう諦めて次の作れば? みんなそうしてるじゃない」

「そんな芸のないことはしたくない」

 そこは壮大な実験場だった。知と創意に溢れたいくつもの魂が、己の総力をかけて生命の創造に携わっている空間。そこに集っているサリクたちに実体はなく、みなそれぞれ、いわば論理思考の結晶体となって存在し続けている。

 サリクたちが今関わっているのは、ある惑星での生命循環構築プロジェクト。数十億年オーダーの時間をかけた大計画で、時間の進行感覚を自在に操るサリクたちには、実のところ、楽なやり方はいくらでもあるし、一つ一つの生命体の明滅など仔細にチェックする者などいない。

 千年から数百万年単位の、種ではなく科、あるいは目での大雑把な生命の推移を見つつ、それでも自身の担った分野の成功確率が極端に低いと、同僚たちは早々に見切りをつける。かくて膨大な数の生命が生まれては散り、滅びてはまた創られる。それもまた宇宙の摂理、ではある。だがしかし。

「百年ごとの超短期サンプリングでとは言っても、リアルタイムの内観体験なんて意味ないんじゃない? まして、優位種でもない絶滅寸前の微小生物を現物の中で思念投射するなんて」

「意味があるかどうかは自分が判断する。……そもそも誰が創った生命体のせいでこんな苦労をしてると思ってるんだ?」

「あら、誰が何をしたのかしら? あなたの言う〝仇なすものたち〟っていうのは、ドーファンたちが共同創造したものよ?」

「君の創ったあの〝毒喰らい〟ってのは何なんだ? あんなものがあるから、惑星の状態が下手に安定して〝仇なすものたち〟がますます繁栄するんじゃないか」

「私があれを送り出さなければ、あの惑星の大気は極端から極端に移って、プロジェクトは一からやり直しになってたけど?」

「いっそそうしてくれればよかったんだ。なら」

「なら、何?」

 それはそれで芸のない話だったな、とサリクはその先を呑み込んだ。

 ゲームが続いているのはエーダムの〝毒喰らい〟のおかげだ。その意味ではむしろその存在を歓迎すべきなのだろう。だが、このままではサリクの生命種はまさしくジリ貧になっていくばかりだ。さて、どうしたものか。

「ねえサリク。私、ちょっと悩んでるの。私の子たち、〝仇なすもの〟と補完関係になってるから、その意味では前途洋々なんだけど、何しろエネルギー効率が悪いのよね」

「それはご愁傷さま」

「いつまで経ってもなかなか大きくなれないの。あなたの、あの自立型生命種にはちょっと太刀打ちできない」

「太刀打ちしてくれたら困る」

「私も、別にサリクの子たちを蹴散らそうとは思ってないのよ。それでね、考えたんだけど、こういうのはどう?」

 エーダムの思考がサリクの意識に流れ込む。一瞬触れただけでサリクは驚愕した。これはひょっとすると……さっき何かひらめいた気がした、あれの進化形?

 しかし、この発想はなんとしたものか。今まで、このプロジェクトでこの手のことを試した事例はなかったのではないか? ……だが、だから何だというのか。この惑星で、この宇宙系で、これだけの発想を試すべき時があるなら、まさにこの状況しかないのでは?

「おもしろいな。……やってみようじゃないか」



「F4の侵食、まもなく外壁突破っ。よろしいのですか?」

「たとえ失敗しても侵食は一箇所だ。どうにでもするさ」

「しかし……」

 測感素たちは不安を隠せないでいる。無理もない。今度の侵食はこれまでと内容が違う。量も濃度も大きくパワーアップしている。取り付いてくる数が少なくなった分、確実にこちらを侵食する形になっているようだ。侵食孔ができた際に外の海水がどうなるのかも、楽観的な推測しかできてない。

 だが、今回のこれはむしろ好都合といえた。

「突破しましたっ」

「よし、最低限の中和でそれ以上の侵入は防げ。海水がなだれこんだりはしていないだろうな?」

「化学的には均衡状態です。浸水の気配はなし」

「右方向に〝毒喰らい〟多数! 向かってきます!」

「おあつらえむきだ。侵食孔を奴らに向けろ。放っておけば何個体か入ってくるだろう」

「し、しかしそれは」

「判断を信じろ!」

 あからさまな誘いを挑発とでも受け取ったのか、〝毒喰らい〟は殴り込みのように外壁の内側に突入してきた。だが思った通り、非力すぎて中の部署を制圧するようなこともできず、逆にやることがなくてフラフラしていただけの遊泳体にあっさり絡め取られる始末だった。

 この試みがうまくいけば、だが、いずれはもっとちゃんとした〝毒喰らい〟との折衝専門の部署を作る必要があるかも知れない。

「侵食孔の真下に誘導してみろ。様子はどうだ?」

「――侵食が完全に止まりました! 中和の必要がありません!」

「中和用に確保していたエネルギーを〝毒喰らい〟に与えてやれ。多分、余るぐらいじゃないかな」

 すべて予想通りだった。外壁の内側に〝毒喰らい〟を取り込めば、まともに侵食に対処して中和するよりもずっと少ないエネルギーでやりくりしていけるのだ。

「なんだか、〝毒喰らい〟たち、喜んでるみたいなんですけれど」

「それはいい。このまま飼わせていただこう」

「エネルギー余剰が逆に問題になります。どうしますか?」

「どうとでもすればいいさ。このまま体躯の拡張に充てるもよし、繁殖力向上の材料にするもよし、行動のパラメータ上昇に使うもよし、徹底的にロスを減らして長寿命の方針で行くもよし」

 今や、トムル10067の意識は、次代へとつながる数千体のトムルxxxxxの意識とリニアに交感し、未来の可能性を感じ取っていた。それは初めてその生命種が感じた、希望というものであったかも知れない。

「すべては、君たちの願いのままに」

 あるいは同時にトムル10067が過去から送る、子孫への祝福でもあったろうか。



「――というのが、二十億年前に起きたとされる、ミトコンドリアと原始真核生物との共生に至る過程です。君たちは今、当たり前のように酸素を吸ってそれをエネルギーにして生きているけれど、原生代においては酸素は猛毒物質で、地球上の殆どの生物の敵だったんだねえ。なのに、今の植物にあたる生物が大量に増えだして、大気中の酸素濃度が大幅に上がった。当時の地球上の生命の九割以上が、それで滅んだとされています。ミトコンドリアのもとになったバクテリアは、その毒を解毒するタイプの生命だったわけだね。で、そのバクテリアを原始真核生物がとりこんで、我々のような生命体の大元ができた、と――」

 講義が終わると、学生たちは苦行から開放されたようにばたばたと講義室を出ていった。一人だけ、聴講に来たらしい婦人の姿を認めて、トムル88512は目を細めた。間近にまで寄って、親しげに話しかける。

「君がリアルタイムでこの星の表面に降りてくるとはね。ついに体験主義に宗旨替えかい?」

 エーダムの意志を宿した婦人は、柔らかく微笑んだ。

「これだけ変化が急激になったのだもの。この時間感覚でも足りないぐらい。次はここの電子活動体に意識投影する方法を試そうかと思ってるの」

「そりゃいいかもな」

 二人は連れ立って講義室を出た。初老の男性教授と、まだ若そうな聴講女性の二人は、豊かな植物相が遠目に見える緑多き構内をゆっくり散策した。キャンパスには結構な数の原生知性体生物が、さまざまな感情を露わにしつつ、原生種なりの生を謳歌しているように見えた。

「どうもしかし、このままだとまたジリ貧になりそうだ」

「この短期間にこれだけの課題が発生しているのではね」

「原シアノバクテリアが酸素をばんばか吐き出してた時だって、変化は遥かに緩やかだったのにな」

「頂上種が自らの惑星史を理解できるほどのステージになったっていうのに、難しいものね」

「でも、打開の手段はどこかにあるはずだ」

 婦人がトムル88512を見つめた。サリクの魂は、原生種の目を通して惑星の青い空を、そしてその未来を静かに見据えていた。

「エーダム、ちょっと考えていることがあるんだけどね」

「まあ、何?」

 老教授が婦人に何ごとかを囁いた。女性の目が、とんでもないイタズラを聞いた時のように大きく見開かれる。

「おもしろいわね。やってみましょうよ」

「君ならそう言ってくれると思ったよ」

「ちょっとしたパラダイムの転換じゃない? ドーファンたちも呼んでみたら?」

「呼ぶのはいいが、早々に見切られて逃げられるのもな――」


 二人が赤レンガの道の真ん中で学生の一団とすれ違った。一人の学生が、驚いたように立ち止まり、老教授と婦人の後ろ姿を見送った。

「どうした?」

 別の学生が尋ねる。立ち止まっていた学生は、「いや」と答えて、首を傾げた。

「なんだか、不思議な気がして。あの人たち、この星の人じゃないものに見えてさ」

「なんだそりゃ。バケモンだってか」

「そういうのじゃなくて」

 一人取り残された学生は、もう一度二人の背中を見て、誰にともなく呟いた。

「なんだか、地球人の体を思いっきり開いて、地球の外から何かを入れて遊んでみようみたいなことを……あれ、何言ってるんだろな、俺?」


  ‹了›





追記・作者よりお読みいただきました皆様へ

 完成後、しばらくしてから気づいたのですが、最終部分の作り方が、もしかしたら過去に読んだどなたかの作品に相当程度似通ったものになってしまっているかも知れません。いつ読んだ誰の何の作品とも思い出せませんが、何となくどこかで読んだものをなぞってしまったのかなあという印象があるような、ないような、という状態です(多分プロ作品だと思いますが)。読んでいただいた中で、「これか?」とひらめいた方がおいででしたら、ご一報いただけると幸いです。



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開く 湾多珠巳 @wonder_tamami

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