私は「超」心配性である

kayako

何とかしたい、この性分!!

 

 タイトルそのまま。私は「超」がつくほどの心配性です。

 どのくらいの心配性かというと、このエッセイを書く為に心配性度テストをやったところ、100点中83点が出ました。危険領域と言われたレベルです。

 ふとしたことで、あるいはふとしたことがなくても、強度の心配性が出てしまう。



 例えば


 ・足の爪先が何となくしびれる⇒糖尿病じゃないか!?

 ・頭痛がする⇒どこか血管切れてないか!?

 ・胸のあたりがちょっと痛い⇒心臓おかしくなってない!?

 ・そういえば最近残高確認や通帳記帳してない⇒なんか変な出金とか入金とかないよね!?

 ・誰かが脱税でなんやかんやのニュース⇒ウチ大丈夫だよね!? 今年は確定申告する必要なかったよね!!?


 いつもこんな感じ。

 さらに、非常に厄介なことに――

 一旦この心配性が出ると、決して忘れることはありません。

 絶対的最優先事項として、接着剤の如く脳に貼りついてしまう。他にどれだけ優先すべきことがあろうとも。

 これ、心配事が解消されるまで消えることがありません。

 正直自分でも何とかしたい。切実に。



 そもそも、元々自分が無精で、普段は家計や身体のことをあまり深く考えないという性質なので、その分余計に何かあった時のことが心配になってしまうのかも。

 これまで無精していた分が返ってきてしまうかも、と。



 仕事や何かで家を留守にする時も、家の鍵を締めたかどうかは何度も気になって戻ってしまいます。

 鍵を確認しても、今度はエアコンを切ったか、ガスを止めたか、窓を閉めたかが気になってまた戻ったり。

 全てチェックして再び家を出ても、今度はまた家の鍵を締めたかを……でループ。



 ある年の夏、旅行に行った時もそんな感じでした。

 ちゃんと戸締りして出発したのに数分後、冷房を切ったかどうかが気になってわざわざ戻り。

 冷房を確認してさて再出発!したら、1時間ぐらいして「鍵締めたかな?」となり。

 そこから再度戻るのはさすがにマズイと思ってそのままにしましたが、3泊4日の旅行中、鍵の件はずっと脳裏に貼りついたままでした……

 帰宅時もあまりにドキドキで、鍵の確認を夫にお願いする始末。



 最近はこんなこともありました。

 仕事中急に銀行の残高が気になって、業務中もずーーーーっと気になりすぎて。

 帰りにダッシュでスーパーに飛び込み、ATMで残高確認。

 ここまではいいとして(良くないが)


 ATM内に、何故か傘が置かれていました。

 恐らく誰かが置き忘れたのでしょう。

 置き忘れた人が戻ってくるかも知れない。そう思って一旦はスルーしたものの……


 その直後に浮かんできた発想が


「傘に小型カメラが仕込まれていて、カード情報盗まれてたらどうしよう?」


 いや、ない。ありえない。

 ない、ないよ! ないってば!!

 そう自分に言い聞かせながら買い物してましたが、一旦暴れ出した心配性は止まることがなく。

 結局お店の人にお願いして、傘を預かっていただきました。

 こういう時の自分の発想のヤバさが嫌だし、残高確認して心配事を解消したと思ったらまたすぐ連鎖的に次の心配事が出てくる事態も嫌だ。




 こういう心配事を少しでも早く解消したいが為に、ネットで知恵を探すというかたは多いと思います。私もその一人。

 しかしですね……経験から申し上げますと。

 浮かんでしまった心配事を解消するのに


 ネットは 全 く と言っていいほど役に立たない!!!


 それどころか、心配性を増幅させる方向に行くことが殆ど。

 病気に関することだと特にそうです。

 例えば……


 ちょっと足にしびれがある⇒もしかして糖尿病? ネット診断してみよう!

 となってネットで診断してみると


『かなり危険です。すぐに病院に行きましょう』


 とか出て仰天して。

 さらにツイッターとか色々見ても、放置していたら実は糖尿病で足を……だの、不安になる情報ばかり出てきて、絶対に心休まることがない!!

 そしていざ病院行ってみたら


「全然大丈夫です。この程度で糖尿病を疑う方がおかしい」


 みたいなことをお医者様に言われました(内科と整形外科両方行って両方とも言われた)

 要はこの程度で来るなということでしょう。




 いや、ネットで病気を調べたら不安になるような情報ばかり出る理由というのは分かるんですよ。

 闇雲に「この症状だったら大丈夫です」とかネットで広めてしまったら、そうじゃなかった場合にどう責任を取ればいいのかという話です。

 だから病気関連でネットを検索すると、誰も「大丈夫だよ」とは言ってくれず、不安にさせるような情報ばかりが出てくる。もうそれは仕方ないのです。

 これが税金や年金や保険などお金の問題であれば、きっちり数字で判断出来るからか、ネットで調べただけでも安心できるケースもあるのですが、病気となるとそうはいかないですし……



 そんなこんなで、この心配性。

 何とかしたいと思いながら数十年。どうにもならず、最近になってより強くなってきた気さえしています。

 母が強度の心配性というのもあり、遺伝も考えられます。戸締りが気になって何度も家に戻るというのは母も日常的にやっていました。

 あと、正社員で働いていた頃、何度確認してもミスが減らず怒られまくってました。それが尾を引いているのかも知れません。

 自分はおっちょこちょいで抜けているから、人より滅茶苦茶色々注意する必要がある。そう思ってしまってるのかも。



 あと……これが結構大きい要因だと思うのですが。

 この心配性。恐ろしいことに、たまーに


 当 た っ て し ま う ことがある。



 だから怖い。

 だから心配性が消えない。



 数年前のある日。

 古くなったガスコンロを買い替えた我が家では、業者さんにコンロの付け替えをお願いしていました。

 作業中もその直後も、家中が若干ガス臭かったのですが、付け替えの時はそうなるものだろうし業者さんもプロなんだし大丈夫!と思っていました。

 作業終了後に夫婦で買い物に出かけましたが、出かけている間もあの臭いがちょくちょく心配ではありました……それでも。

 大丈夫!業者さんがつけてくれたんだし!いくら何でも心配しすぎ!と思っていました。


 ――しかし数時間後。

 帰ってきてドアを開けるなり、中から猛烈なガスの臭いが!!


 心配性が当たってしまった。

 いつも通り電気をつけようとする夫を慌てて止めて、すぐにガス会社を呼びました。

 ガスの救急車が稼働しているのを見たのはあれが初めてだったかも知れません。



 そういう事件もあったので、心配性が顔を出しても「またまた自分の心配性が出たなぁw」などと軽く笑い飛ばすことが出来ない。

 私自身もですが、夫や周りも「これはこうだから大丈夫だよ」と言い切れるほど健康やお金の知識がないので、余計に心配に拍車がかかってしまう。

 誰かに「絶対に大丈夫だよ」と言ってほしいんですけどね。

 いや、ホント厄介なものです。



「そんなに心配性なら、地震とか心配でたまらないでしょう?」と言われそうですが。

 不思議と、地震や災害対策には無頓着なんですよね。

 勿論怖いし備えはしているつもりだけど、周囲の平均に比べると足らないかも……というレベル。

「自分である程度コントロールできるけど、何かあったら自分の責任」になることに対しては滅茶苦茶不安になりますが(家族の健康とか経済面とか)

 自分でコントロールできないことに対しては「まぁしょうがない」の精神になってしまうのでしょうか。



 このような心配性持ちといえど、普段は何故か無精の極みな生活を送っています。

 強度の心配性が出るのはやはり、その反動で倍返しの報いが来るのでは……という恐怖なのか。




 ※現在しびれなどの症状を抱えているかた。

 このエッセイをご覧になり、あぁkayakoが大丈夫だったんなら自分も大丈夫だな♪などと思わず、不安であれば病院で正しい診断を受けることをお勧めいたします。


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