第3話


 用意された個室に完璧な美が、白く輝く月光を人型にしたものが座っていた。

 竜鱗騎士団団長と言うべきか、めんどくさい戦いバカと紹介すべきかいつも迷う。

 天藍アオイである。

 あいかわらず完璧な頭身を絹のシャツと限りなく薄い銀色のジャケットで包み、不機嫌そうな眼差しで空中を睨んでいる。視線の先へと突き出た銀色のまつげの立ち方でさえ、神か天才彫刻家の作為を感じるほどに、完璧である。彼のタイは驚くべきことに、蝶々結びに結ばれた白いリボンであった。


「知ってるか、ふつう、男が白いリボンをつけて出かけると処刑されるんだ」


 僕はそう言って彼の前の席に腰かけた。


「この店に出かけると言ったら姫殿下が面白がってこれを着せたんだ」


 僕は口をあけたまま固まった。

 それからじわじわと衝撃が全身を、丁寧に襲っていく。

 杏仁豆腐と同じくらい脆い心がブヨブヨに砕け散るのを感じる。


「まさかとは思うけど、それって百合白さんの服なのか……!? それとも、百合白さんがお前に着せようと思って予め用意していたのか、どっちだ!? まさか、おそろいとか言いださないよな!?」

「どう答えてほしい」

「そんなはずないと言ってくれ」

「そんなはずない」

「僕のまえで芸能人カップルみたいな真似は二度としないと言え!」

「姫殿下のご命令に背くことはできない」


 給仕がやってきて、机の上に突っ伏している僕の横に細長いグラスを置いていった。薄黄色いグラスに、緑色に発砲するドリンクが入っている。酒のにおいはしないから、酒ではないと思うが、あいかわらず何なのかはわからない。


滑稽こっけいだぞ」


 銀色の瞳が僕を見下しているのがわかる。

 だが、天藍が僕を見下ろしていない瞬間がかつてあっただろうか、いやない。

 もうどうでもいい。ほんとうに何もかもどうでもいい。

 天藍は天上の輝きを放つひと粒のダイヤで、僕は地面を這う蛆虫でしかない。


「お前さ……なんだかんだいって百合白さんと普通に仲良いよな……そういうとこマジでずるいと思うんだよ……。仲悪くなれよ……」

「仲が良いとか悪いとかそういう問題ではない」

「じゃあどういう問題なんだよ」

「俺とお前も仲が良いからここにいるわけじゃないだろう。呼び出した理由を聞こう。まさか仲良くするためじゃないだろうな?」

「確かにそうだ」


 僕はむくりと起き上がった。

 マスター・サカキたちとの楽しい集まり(笑)をわざわざ中断してまで無理をして天藍を呼び出したのにはワケがある。僕からの呼び出しなど、酔っ払いのゲロ掃除くらいにしか思っていないコイツを来させるには相応の理由ってものがなければならない。僕らは楽しいお友達ではないのだ。じゃあ何だと言われると、かなり難しいものがある。考えたくない。


「考えてみると、僕には純粋な友達っていないな――クヨウ捜査官、マスター・サカキ、ウファーリもなんか違う気がする」

「愚痴を言いたいだけなら帰る」

「僕に関するびっくり話だ」

「まだ帰りそうだ」

「座ってくれ」


 僕は座るように手でも合図しながら、決断した。ここに来るまで、何度もした。

 何度も迷い、何度も考え、何度も最悪の想像をした。

 だけど、話した結果何が起きるとしても……隕石がここに落ちて全てを薙ぎ払うとしても、この話を天藍アオイという人物にすると決めてここに来た。

 それはちょうど、何枚もある扉を開けてみる作業に似ていた。

 どんなふうに開けるか毎回迷うし、全部を違ったふうにできるけれど、結末は同じだ。どこに辿り着くかは同じ。必ずここに到着するんだ。


「小さい頃出ていったきり、帰ってこなかった薄情者の僕の父親が誰だかわかった。尖晶クガイ、前女王緑銅乙女の騎士、魔眼の尖晶家のあのクガイだった」


 個室を半歩、出かけていた天藍アオイが戻ってきた。

 僕の言葉が力で引っ張ったって所定の位置に戻すのが難しい怪力の竜鱗騎士を座らせることに成功したのだ。彗星の軌道を変えた、くらいの快挙である。

 天藍はわざわざ卓上のベルを鳴らして給仕を呼び出すと、誰もこの個室に近づけるなと命じて、彼が遠ざかるのを待った。

 それから顔の右側と左側を非対称に歪めたひどい顔できいた。


「いくつも疑問がある。死ぬほど疑問だ。何故俺に話した?」

「僕は前から思ってたんだけど、その質問が最初に来るあたり、お前はわりと繊細な奴だよな……戦闘狂キャラって神経質さの反動なの?」

「お前がクソみたいにクソ内容の無いことを喋りだすのはストレスによる防衛反応だろう、質問に答えろ」

「それは後で話す。先にほかの質問に答える」


 僕達は互いに、心の柔らかいところをチクチクと刺し合い、本題に入る。


「尖晶クガイは魔術界の有名人だ。俺でも知ってる。というか誰でも知ってる」

「僕は知らなかった。君がどんなふうに知ってるかもおそらく知らない」

「自分の父親が彼だったとして、全く知らずに育てる自信がないぞ」

「現実に僕は、最近知ったんだ。しかもマージョリー・マガツに聞くという形で知らされた。母親は何も言わなかったし――というか誰も何も言わなかった。っていうか僕の生育歴なんか知りたいの?」


 天藍はうつむいて考えていた。

 そして呻くように言った。実際に苦しげでもあった。


「お前のことは、単に目がいい奴なんだろうと思っていた……。しかるべきトレーニングをして体の神経系を全部交換すれば、天才的な運動能力を発揮するだろうと」

「何が言いたいかはわかる。父親似の魔眼なのかも」

「間違いないんだな」

「残念ながら。僕にとってもあまりうれしい事実じゃない」

「何故、それを俺に話した」


 再度の問いは、僕を責めているような口調でもあった。

 気持ちはわかるよ。気持ちはね。


「このことを百合白さんに伝えて欲しいからだよ。同じことを、これから紅華にも話す。この事実がどんな影響を与えるのか僕には想像がつかないけど、両者に話すことで二人は同じカードを同時に手に入れることになる。僕と君とは一応、同盟関係にあるわけだろ?」


 僕はグラスの脚をつかんで、戦闘中みたいな目つきになっている天藍の視線を遮った。


「大きな問題がある」と天藍が言った。


 声音はいよいよ不穏だ。

 竜の唸り声に似てる。


「問題って?」

「もしもそれが事実だとしたら、お前は唯一の魔眼の継承者だということになる。お前には尖晶家の財産を継承する権利があり、しなかったとしても、それが大っぴらになった時点で魔眼保有者として拘束される可能性が高い」


 やっぱりな、と思う。クガイは生活に苦しんでるみたいだった。このままだと、ああいう目に僕も遭うことになるわけだ。


「ちなみに受け継いでるのは魔眼だけじゃない、クガイが手に入れた黒一角獣の角の力の一部が僕に流れこんでる。これは、どういう形かはわからないけど……。聞いてくれ」


 僕は改めて、黒一角獣の角をクガイが持っている理由を……彼に話した。


「前女王の騎士たちが消えたのは、星条コチョウの策略のせいだ」


 僕は天藍アオイにすべて話した。

 それは彼を通して百合白さんに語るという行為の枠を超えていた。

 だって、彼女はとっくの昔に知っているのだ。

 知らないのは天藍アオイだけだ。

 この情報を知ってどうするかは、僕にはコントロール不能だ。

 だけど、彼が知らないままにはしておきたくなかった。

 全て語り終えた後は、天藍アオイはこの世の終わりみたいな顔をしていた。


「百合白さんを守ると言ってくれ、天藍……」

「誰からだ? お前か?」

「なんで? ああ、もしかして復讐ってこと?」


 それは全くの新しい観点だった。


「それはないだろ。コチョウがクガイを罠にハメなかったとしたら、そもそも僕は存在してないんだから。それより、もしもこの事実を知ったら紅華は百合白さんを不利な立場に追いやったりすると思うか?」


 僕が紅華やリブラよりも先に天藍に話をしたかったのは、その点がよくわからなかったからだ。


「何故お前がそんなことを気にするんだ」

「僕は百合白さんのことが好きだ」

「冗談をきくつもりはない」

「百合白さんのことが好きな男なんて山ほどいると思うけど」

「茶化すのはよせ」

「真剣だよ。これ以上ないくらい真剣だ」


 僕は扉をもう一枚開ける。


「これまで僕は自分を含めて誰のことも好きにはなならかった。生まれてこの方ずっと誰にも愛されたことがないのに、これが愛だと信じられる」


 でもこの扉は、どこにも通じていない扉だ。

 僕のままならない心の中にある、開けても仕方がない扉。

 改めて認識するのはつらいけど、彼女は僕ではない男を愛している。

 それは変えられない。僕が愛しているのは、天藍アオイを好きな彼女だ。僕がどれだけ努力しても、泣いても喚いても、その事実だけは動かない。もしも何かの奇跡が起きて……彼女が天藍のことを忘れたとして……でもそれは僕の好きな百合白さんではない。


「もしも僕自身が彼女を追い詰める証拠になるなら、僕はこのまま消えてもいい。どこか遠くに」

「夢みたいなことを言ってどうする。それに、おそらくその線はない」

「なぜ?」

「お前の話が本当なら、紅華にはもっとまずい弱点がある」

「…………なんか、それ、わかるかもしれない」


 ただ、僕は天藍の言わんとするところを具体的にはまだ言葉にできていなかった。ふわっとした手触りだ。でも手を伸ばせば形になりそう、それくらいの距離に、確かにまずそうな何かがある。

 天藍アオイはしばらく黙っていた。

 それから不意に目を細めた。

 たぶん、そのときに彼も何かの決断を下したんだろう。

 しかし、その決断は僕には理解のできないものだった。


「俺は、その話を姫殿下にはしない」

「……え、何言ってるんだ、竜鱗騎士。お前、百合白さんの騎士なんだろ」

「もう決めた。反論は受け付けない。だからもう何も話すな」


 そう言って、ベルを鳴らした。給仕に酒のリストを持ってこさせると、そのリストを見ながら「ここからここまでを」と死ぬほど高級な酒を選び「このテーブルを含む全ての客に振舞ってくれ。代金はマスター・サカキが払う」とか言いだした。


「正気か? 未成年」

「いや、正気ではない。正気ではなかったこととする」


 高級酒が店中に配られると、下のほうの席から歓声が上がった。

 そして誰かが「我らが師に!」と叫んだ。歓声は鳴りやまない。誰かが歌いはじめる。なんの歌かは知らない。大騒動だ。

 じきに、マスター・サカキから感情のわからない異世界の絵文字だけで構成された短文のメッセージが届いた。

 給仕が僕らの部屋にも酒を持ってくる。

 天藍は目にも止まらない速さでグラスを掴むと、中身を僕の顔面に引っ掛けた。


「姫殿下に伝えたいことがあるなら、自分の口から言え」


 全くもってその通りである。

 僕は酒を頭から滴らせながら、苦虫を嚙み潰したような顔をしていたことだろう。

 僕が天藍を介そうとしたのは、ひとえに彼女と向き合いたくなかったがための次善の策がこれだったからだ。

 天藍はそう言いおいて、さっさと個室を出て行った。

 仕切りの分厚いカーテンを横に払い、一歩踏み出した瞬間、飛来したワインボトルが彼の左半身に体当たりし、粉々になって中身を撒き散らす。

 当然のことながら僕の魔法の仕業である。

 天藍は激しい靴音を立てて廊下の向こうに行き、早足で戻ってきた。

 僕は卓の下で構えていた金杖を持ち上げて固定する。

 ワンテンポ遅れて、天藍が個室に舞い戻ると同時に力いっぱい蒸留酒のボトルを振り下ろした。目の前でガラス瓶が砕け散った。


「危ないな。僕は人間だから死ぬんだよ」

「死ね!」


 物騒な叫び声は、店のあちこちで盛り上がっている飲み会とやらの嬌声にかき消される。

 なお、後日、この件は『マスター・サカキが未成年を飲み会に連れ込んだ挙句、乱痴気騒ぎを繰り広げ、最終的に飲酒させた』大事件として学内に知れ渡ることとなり、プリムラともども厳重注意を受けることとなった。

 そして僕はサカキに深い謝罪の意志のあらわれとして、一週間ほど彼の雑用をこなすことになるのであった。


 めでたしめでたし……には程遠い。


 まだ話さなければならないことと、対峙しなければならない相手がいる。

 その人は薔薇のドレスをまとって天市で待ち構えている。

 秘密をたくさん抱えている、僕の運命の少女のことだ。





『竜鱗騎士と読書する魔術師3.5 まあまあ最悪の飲み会 —了』

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竜鱗騎士と読書する魔術師3.5 まあまあ最悪の飲み会 実里晶 @minori_akira

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