先輩と僕とトロピカル因習アイランド
津尾尋華
気がつけばそこは因習のトロピカルアイランドだった
「新戸くん、今度の夏休み、アルバイトしない?」
大学の先輩から突然声をかけられたのは、サークルの飲み会でだった。大学院で民俗学の研究をしている南七海先輩は、我が郷土民俗学同好会のOGで飲み会にもちょこちょこ参加しているので、僕も親しくさせてもらっている。
柔和な雰囲気のショートボブの眼鏡美人で、図書委員か司書といった知的な風貌と、それに似つかわしくない豊満な身体で密かにファンも多い。かくいう僕もこの飲み会の間に、つい先輩を目で追ってしまうくらいには憧れている。
「別になんの予定もないんで、人がいないなら働きますよ」
日程とバイト料を確認して一も二もなく引き受けた僕が、詳しい内容を聞いたのは島に向かう船の中だった。
「君も詳しい内容も聞かずによく引き受けたねえ……」
南先輩が呆れた顔でこちらをみる。
呆れた顔も美人である。
「いや、本当に暇だったもんで。行く先の島の風習の調査して暇な時間は泳いだら観光してもよくて、拘束2週間とはいえ交通費別で10万でしょ。願ったり叶ったりですよ」
「君がいいならいいがね。それで、本土から到着した父島。朝についた島だな。そこから今向かっているところ人呼島ってとこだ。まあ私の実家なんだけど。島の習俗のを調べる手伝いが君のバイトだね」
頭をぽりぽりと掻きながら南先輩が説明をしてくれる。
「しかし珍しいところから来てたんですね。僕、小笠原諸島とか初めてですよ」
「まあ、交通の便は悪いからね」
「でもそんな南の島で特筆するような習俗があるんですか?」
疑問に思っていた事を尋ねる。
「おいおい、人が少ないところ、周りから隔離された場所ほど独特の習俗が形成されるもんだろう? まさかそういうのは東北の寒村にしかないとでも思ってるのかい?」
「まあ、なんつうか日本の因習ってその辺りのイメージが強いですよね。柳田國男とか横溝正史とか」
「民俗学専攻でそんな事言ってちゃあ困るなあ。君、『ミッドサマー』とか観てないのかい? あれは海外の因習村だけどあんな感じの明るい因習だってあっておかしくはないだろう? 今回はそういうのを調べに来たんだ、お、着いたな」
話していて気がつかなかったが、船が桟橋に着いたようだ。海が遠くまで透き通ってる。マリンブルーとはこの色のことか。視界が空とと海と緑で埋め尽くされる。南国に来た実感が湧いてきた。
◆
海岸から少し歩いたところで旧家という風情の家の前で先輩が足を止めた。
「あ、おねーちゃん、おかえり。その人が話してた人?」
小学校高学年くらいだろうか、ツインテールに整った顔立ちの、日に焼けた少女が門の前で出迎えてくれた。ややつり目だが南先輩によく似た顔立ちだ、妹さんだろうか。
「こら、遥香。ちゃんと挨拶しなさい。新戸くんだ」
「はーい。新戸さんいらっしゃいませ。ゆっくりしていってくださいね。なんならずっといてくれてもいいですよー」
遥香ちゃんが意味ありげに笑いながら、僕の腕を抱えて家に引っ張っていく。距離の近い娘だ。
「あら、帰ってきたのね七海。そちらは、新戸くんでしたわね。よくこんな遠くまでいらっしゃいました。自分のうちだと思ってくつろいでいってね」
玄関から出てきたのは、南先輩を超えるばくにゅ、もとい豊満な身体付きの蠱惑的な美人だった。ぽってりとした唇が色っぽい。
「はじめまして、七海先輩にはお世話になっています。しばらくご厄介になります。えと、お姉さまですか?」
「あらあ、嬉しいこと言ってくれるわねえ。七海の姉に見えるかしら」
両手を頬に当てて喜ぶグラマラス美女。おおっ、谷間がっ! 目が吸い寄せられる!
「お母さん! 人のものに手を出さないでよっ。新戸くん、ほらいくよっ」
手を引く南先輩の顔が赤い、
「南先輩、どこいくんですか」
「七海先輩でいい」
俯いたまま、七海先輩が答えた。
そのまま、荷物を置いて、七海先輩は僕を海に連れていった。
海で見る七海先輩の水着姿は大変眼福だった。インドア派の先輩らしく白い肌にスラリとした手足が眩しい。胸元の双丘は歩くたびにプルンプルンとふるえている。比較的おとなしめな露出の少ないワンピースなのにこの威力!
ビキニだったら僕が大変なことになっていたことだろう。
◆
夜、家に帰って食事をご馳走になってから、七海先輩は屋敷の奥にある広めの客間に僕を連れて行った。
「新戸くん」
月明かりで照らされて中の様子がわかる。畳の部屋に一つ布団が敷かれている。先輩の顔は暗くて見えないが、緊張しているのか、いつもと違うかすれた声で告げる。
「もともとこの島は、漁が主な産業だったんだけど、この辺りの海は荒れやすくてね。漁師の死亡率はかなり高かった。そうすると残された女だけでは生きていけなくなる。だから、この島の女は近くの島から男を呼び寄せて、強引にでも婚姻関係を結んで男手を増やしたらしい。人呼島の名前の由来だ」
暗い部屋に七海先輩の声が響く。
「住居を用意したり、土地を与えたりもあったようだが、一番は女自身さ。どういう手管か、しばらく逗留した男達はほとんどが帰らずに島に居着いたということだ。薬物でも使っていたのか、余程テクニックがあったのか、そこまではわからないがね」
窓からの月明かりで見えた七海先輩の横顔は、昼間の快活な姿が嘘のように、妖しい色気を感じさせた。
「というわけで、これから新戸くんに手伝ってもらって、この島の習俗を調べていきたいと思う」
「え?」
「何、フィールドワークの一環さ。その土地のものではわからない事も、他の場所から来たものには違和感が感じられる。君には、この島の習俗がどう感じられるのか客観的な意見が聞きたいのさ」
喋りながら、ゆっくりと先輩が近づいてくる。
「例えば沖縄にはハジチという刺青の文化がある。生理が来た頃から手に刺青をいれて、婚約をしたら模様を完成させるんだ。結婚をしたらという場合なんかもある。一種の成女儀礼だね」
話しながら、七海先輩が上からシャツのボタンを外していく。胸元が開いた。暗がりに白い肌が艶かしく動く。
「この島にも、同じような風習がある。成人までに女は身体に刺青を入れるんだ」
パサリと、シャツが床に落ちる音がした。それから、ジッパーを下ろす音、スルリとジーンズから足を抜いて、下着姿の七海先輩がゆっくりと近づいてくる。暗い部屋ではっきりとは見えないが、それでもスタイルがいいことはよくわかる。
「見えるかな……? 私も他人に見せるのは初めてなんだ……」
恥ずかしそうな七海先輩が、耳元で囁く。抑えた声が逆に淫靡で背中に甘い痺れが走る。七海先輩のスラリとした脚の上、腰を突き出したポーズで強調された下腹部には、複雑に絡み合うピンク色の紋様のようなものが彫られていた。
「淫紋じゃん!」
思わず突っ込んでしまった。
「散々日本の孤島の漁村の風習みたいな前振りしてたのに、完全にファンタジー風紋様だよ! 横溝正史か江戸川乱歩だと思ったら美少女ノベルだよ!」
駄目だ、緊張していた分ツッコミが止まらない。
「新戸くん。これだけじゃあないの。この島には、古くから伝わる様々な儀式が存在するわ。その一つがこれよ」
七海先輩は僕のツッコミを完全にスルーして、後ろに合図を送った。ガシャンガシャンと音がして、障子やふすまの後ろから金属の扉が閉まる。光が遮断された。暗い。閉じ込められた?
「島を訪れた男は島の女と既成事実を作るまで外に出られないように幽閉されたの。食事も、水も、光もない中で、年頃の女と二人きり。そうなれば、どうなるかはわかるよね」
七海先輩の手のひらが僕の指先を包む。じっとりと汗ばんでいるのがわかる。距離が近くなったからか、姿が見えない分七海先輩の息遣いや体温が感じられる。ハァハァと息が首筋にあたる。
「SEXしないと出られない部屋じゃん!」
駄目だ、ツッコミが止まらない。エロい雰囲気なのにそれを上回るツッコミどころに思わず体が動いてしまう。
「あら、ここまで準備して、女の方から誘っているのに駄目なの? 私魅力ない?」
七海先輩が両手を僕の腰に回して身を避けてくる。う、むにゅりと豊かなおっぱいがおしつけられる感触。いったい僕は何を我慢してるんだ。据え膳食わぬはなんとやらじゃないのか。
いや、しかし、こんなわけのわからないシチュエーションで手を出していいのか?
逡巡していると、カチャリと音がして光が差し込んだ。狐の面を被った和装の少女が部屋に入ってくるのがみえた。なんだ?
「昔は、初夜の婚姻が成立したかの立会人がいてね。見守るだけでなく、緊張で勃たなくなった男を勃たせたり、女側をほぐしたりしていたこともあったようだよ。彼女は立会人よ」
なるほど、二人きりでも話が進まないから陰で見ていた立会人がはいってきたわけか。て、いうかあのツインテールは確実に遥香ちゃんだよな。
狐面の少女、遥香ちゃんがゆっくりと近づいてくる。
小学校高学年くらいの女の子だが、こんな儀式の手伝いをさせられているというのか? 男を勃たせる介助? そんな事許してはいけないだろう。
遥香ちゃんは僕の側に跪くと、面の口元に手を当てて、耳元で囁いた。
「ざぁこ♡ざぁこ♡ とるに足らない存在♡ こんなに美人のお姉ちゃんに言い寄られて手を出さないなんてお兄さんちんちんついてないの? 恥ずかし♡」
「メスガキじゃん!」
一瞬「許してはいけないこんないたいけな少女を苦しめる風習を!」って正義感に燃えてたのが台無しだよ!
「お願い、新戸くん。私達を助けて……」
七海先輩が、潤んだ目で僕を見つめる。
「私達、もうどうすればいいのかわからないの。このままじゃ……」
「実際ここまでする理由はなんなんですか?」
妙に現代ナイズされているが、刺青、出られない部屋、立会人と、実際に会った習俗の名残であることは間違いなさそうだ。
何か止むに止まれぬ事情があるのだろうか。
「昔はこの島もこんなんじゃなかった。もっと人がいて、賑やかで。どんどん人が減ってしまって、それに伴い女だてらに村長をやっている母に非難は集中したわ。それで、母さんは変わってしまった」
狭い島で、責任者。過疎は日本全国の問題とはいえ矢面に立たされる心労は並ではないだろう。
「昔みたいに近隣の島の一攫千金狙いの漁師とか、女目当てのすけべ野郎とか、意味ありげな瓶詰めの手紙を海に流してやってきた変わり者を相手にするのは効率が悪いって、時代はSNSだって!」
「え?」
「貴方にわかる? 40を超えた母がギリギリOKなエロ自撮りをSNSに上げて、『興味ある?』とか『暇な人DMちょうだい♡』とかやってる辛さが!」
「うわ、きっつう」
「その上、たまに食い付いた男に住所を送って『会いにきて』って言っても、小笠原諸島だから信じてもらえずに『釣りオツ』とか『オッサンいい加減にしろ!』とか言われて、『手前ら、エロのためなら海くらい渡ってこいや』ってストゼロ飲んでくだ巻いてるのよ」
「あ、はい、なんかすみません」
ドン引きである。
というか妙に現代ナイズされた風習はお母さんのせいか。
「この前まとめサイトに『悲報 裏垢女子さん、住所が小笠原諸島』とか載せられてたよ」
遥香ちゃんが淡々と解説してくれた。
いや、そんなアカウントを娘二人に知られるなよ。
「これじゃ、トロピカル因習アイランドじゃなくて、トロピカル淫臭アイランドよ!」
「ちょっと上手いこと言うな!」
「このままじゃあ、代替わりして私が責任者になった時にエロ自撮りおばさんになっちゃうよ! 嫌ぁー!」
頭を抱えて悶える七海先輩。
「要するに、人集めができればいいんですね? それじゃあ、どうでしょう、こういうのは」
◆
2週間後、俺は帰りの船に乗っていた。七海先輩も一緒だ。
「本当ね? 本当に人を呼んでくれるのね?」
七海先輩のお母さんが満面の笑みで僕達を送り出してくれた。いや、残念な話さえ書いていなければ非常に綺麗で魅惑的な美人なんだけど、自撮りアカ……。ちょっと見てみたい。
「はい、うちの田舎も人がいなくて困ってますし、出会いもないです。南国とか海に憧れる奴らも多いですから街ぐるみで合コンというか婚活旅行っていうのはある程度ニーズがあると思います。近隣の村おこししてる人たちにも声かけてみますよ」
そうして、七海先輩は人呼島の紹介役として俺の実家に付き添うことになった。
「いやー、言ってみるもんだねえ。解決するかはわからないけど何かしら成果が出ればそう責められることもないだろうし、君に相談してよかったよ」
七海先輩も明るい表情だ。
俺も先輩の役に立てて嬉しい。人呼島での艶めかしい先輩の姿を思い出すと、惜しかったきもするがこれからも真っ当に口説くチャンスはあるだろう。
「で、君の実家だけど東北のどのあたりだっけ?」
「秋田の山奥の寒村ですね。そうそう、七海先輩、うちの実家に来たら、村外者は村の真ん中にある神社の境内にあつまって、一晩牛の首を被った村人に藁の束で頭を撫でられるって言う儀式をやるんでよろしくお願いしますね」
「は?」
七海先輩の顔が凍りついた。
大丈夫ですよ。来た人はみんなそのまま住み着いてしまういい村です。気分が良くなって、帰りたくなくるそうですよ。七海先輩なら、大歓迎です。
先輩と僕とトロピカル因習アイランド 津尾尋華 @tuojinka
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