第28話 もう二度と、迷わないでしょう


 「……ん」


 レリアンの背中にまわした手がとかれ、互いのくちびるが離れる。


 エルレアは陶然とほほえんだ。


 レリアンのかおには生気が戻っている。ようやく意識が現世に照準を結びつつある。周囲をみまわし、エルレアのかおを見る。


 「……エルレア……もどった、のか」


 「戻った。あなたもね……ありがとう。もう、迷わない」


 「そ……うか」


 うん、と頷いたエルレアは、わずかに微笑んだ表情をかえないまま、右腕をふわりと横に掲げた。手のひらを下にし、わずかに手首を傾けている。それを、す、と振り上げた。


 腕がまばゆく発光する。そのひかりはふたりを照らし、すぐにエルレアの腕をはなれた。無数の矢として収束し、凄まじい速度で射出される。直後に頭上で轟音が響いた。


 ジェクリルがはなった黒い炎は、巨大な蛇の表象をとってふたりに殺到したが、エルレアの迎撃により爆散した。離れてみているユシアには、直視すら難しい光芒が闇を裂いたように見えていた。


 ジェクリルの攻撃が立て続けに降ってくる。実体化した大量の、怨念の刃。エルレアはわずかにかおを傾け、目を細めて、なんらかの神式を宣言した。


 周囲の大気が集積し、いく層かの透明な壁を形成した。ふたりを襲った刃はほとんどがその壁を越えることができず、即時に溶解した。が、いく本かがすり抜け、エルレアのところに到達する。


 エルレアは、レリアンの背中にもう一度手をまわし、ささやいた。


 「……つかまっていて」


 膝をまげる。とん、と地を蹴る。


 ふたりの身体は、直前まであたまがあった位置を中心に、くるっと宙に浮いた。刃がエルレアが立っていた場所に突き刺さる。質量を有しない羽根のようにふたりが舞っている。


 舞いながら、ちらとジェクリルのほうをみて、空いている右の手で手印をつくり、地にむけてなにかを描く。


 と、さきほど突き立った刃を中心に地面が輝く。輝きはいく筋かのひかりの線に収斂し、それが輪を描き、複雑な紋様をなしてゆく。やがて紋様は高速で回転し、刃にあつまる。次の瞬間、刃は巨大なひかりの剣となり、地を揺らして跳躍した。


 音速を超えてジェクリルに到達したそれは、彼のからだを裂き、執務棟に突き刺さって、その主要な構造を破壊した。きしみ、倒壊する、執務棟。


 ずずん、と崩れ落ちる瓦礫のなか、ジェクリルは、すでに再生している。


 赫く、さかまく髪。冷たい紫の瞳をエルレアにむけ、しかし、微笑した。手を振る。炎の渦がユシアにむかった。


 エルレアは着地すると同時に、レリアンをはなれて、跳んだ。ひと呼吸の跳躍でユシアに到達すると、かばうように立ち塞がる。炎がふたりを包むが、熱が届いていない。エルレアがかざす手のひらを中心に、ふたりの周囲で、踊るように輪を描いている。


 「……炎龍の、あぎと


 エルレアが小さく声をはっすると同時に、炎が、爆裂した。三人から十歩ほどはなれた範囲まで炎の輪はひろがり、そこで熱量を得て、螺旋を描くようにそらに伸びた。周囲の建物の一部が炎に触れ、溶解した。炎は、ジェクリルにむけてはしった。


 崩壊した執務棟ごと、ジェクリルがたっていた付近は、消失した。爆煙はしばらく全員の視界をふさいだが、やがておさまった。瓦礫は溶け、背丈のなん倍かの深さまでえぐれた地面。


 そこに、ジェクリルの姿はなかった。


 エルレアはしばらくおなじ姿勢でいたが、三十ほど数えたころ、ふうと息をはいて腕を下ろした。レリアンとユシアもそれぞれ、警戒の姿勢を解く。


 「……ジェクリルは……」


 レリアンが問うと、エルレアはちいさく首を振った。


 「生きてる。たぶん、並行次元に逃げてる。ながくは潜れないから、いま、思考感応で追ってる」


 執務棟のあったほうを降り仰ぐ。髪とおなじ栗色の瞳のなかに、薄く蒼いひかりを宿している。と、かくんと肩を落とし、どこか悔しそうに呟いた。


 「ああでも、これ、けっこう難しいなあ……もし全力でやったらこんなの、絶対、制御できないよ……」


 その横顔を、レリアンとユシアが呆然とあおいだ。


 「……さっきのは……全力じゃなかった、のか?」


 レリアンがようやく声をだすと、エルレアは照れたようにこたえた。


 「へへ……すごいよね、わたしこんなのできたんだなあ、って」


 「……ちょっと、よろしいですか」


 ユシアがにじり寄り、エルレアの手をとる。しばらく俯いて黙していたが、ぱっと顔をあげた。驚愕、という表情。今度はエルレアの手の甲を額に押し当てる。そうしてまた、顔をあげる。飛び退る。


 さきほどと同様に、額の前に手を組み、女神への礼をとる。


 不思議そうな表情をするエルレア。


 「……あなたさまは、いま、契約の中心であらせられます。現神と、ひとの、繋がりの。つまり、ゼディアの瞳と、ひとしい……いえ、現神そのものといえるちからをお持ちです。あなたさまが手をかざして願えば、ゼディアとウィズス、どちらの瞳の破壊も再生も、可能です……」


 「……ふうん、そうなんだ」


 間の抜けたエルレアの声に、レリアンは脱力したようになった。


 「……あの威力、それにあれはもう神式でもなんでもないぞ……離れた場所にあるものに影響を与えるなど、それはもう……」


 「そう、魔式。いまの革命軍の、神式と類似の魔式じゃない、ほんものの、魔式……むかし、王宮術師たちが追い詰めて滅ぼした、自然そのものを形作る、いのちのちから……そして」


 胸に手をあてて、俯く。


 「アルティ……アルティエールの、残してくれたちから」


 「……あの、世界にいた……斃れていた、おんな、か……?」


 「うん。彼女がレクス……ジェクリルと、わたしに残した。因果を閉じるために」


 そこまでいい、エルレアはぴくんと動き、空をみあげた。


 「……もどってきた」


 「ジェクリルか」


 レリアンが立ち上がった。ユシアは片足を負傷しており、膝に手をあて、辛そうに立ち上がる。それをみて、エルレアは彼女の肩に手をまわす。


 抱き寄せ、頬に、頬をつける。ユシアの顔がうすく桃色に染まった。それはエルレアのちからによるものか、彼女自身の感情によるものか、だれにもわからない。


 ふたりをひかりが包み、やがて、エルレアが顔をはなした。微笑む。


 「……試して」


 ユシアは、えっ、という顔をし、脚を見る。痛む方の足で、片足立ちし、それからぴょんと跳ねた。エルレアの顔を見上げる。どうしたことか目が潤んでいる。


 エルレアは頷いて、眉を引き結び、遠くを見た。


 「ジェクリルは……聖堂に現れた。アルティエールが眠っている、聖堂に」


 その頃。


 薄暗い聖堂のなか、現神ウィズスの像のそばに、影が湧いた。


 影は、まるで質のわるい硝子をとおして向こうをみるように、空間を歪ませることでその輪郭をつくっている。


 しばらくたつと、輪郭が鮮明になっていった。ほそい明かりとりの窓から差し込むわずかな陽光が、自然のくらがりと、魂の暗黒とを刻みわけている。


 ジェクリルの半身は、焼け爛れていた。


 ゆらりと揺れて、がくっと、膝をおる。それでも身体を起こし、息を整えるようにしばらく動きをとめて、ゆっくりと、脚をうごかした。


 ウィズスの像の正面にたつ。


 彼の顔のはんぶんは、失われている。再生が追いついていない。が、残ったはんぶんに昏く赫くひかる目は、怨念とも、歓喜ともとれる色を浮かべている。


 「……アルティ……やっと……やっと、会えるね……」


 ウィズスの像の足元が開く。地下への階段がのぞく。風が吹き上げる。


 ジェクリルはいま嗅覚を失っているが、もしそれが残っていれば、風のなかにアルティエールのかなしみの感情を嗅ぎとることが可能だったかもしれない。





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