第27話 償いはあと。さあ、生きましょう
レリアンは、どう、という音をたてて倒れた。
エルレアはレリアンの膝に頭をのせ、横たえられていたから、彼女もまた、地に放り出される。
頭を床に打ちつけるが、反射がない。いたい、という声がない。ユシアは当然、そのことを異常に感じて、エルレアの顔を覗き込んだ。
空を見ている。
ユシアが応急の処置をしようと両のほほに手をあてたが、引いた。目に、光があったからだ。意識がある。瞳孔が、うごいている。
「エーレさま……エルレアさま」
声をかけると、栗色の髪のおんなは、一度目をみひらいて、閉じて、また、開けた。開けた目に宿っているひかりは、先ほどよりもつよい。それでもただ、正面にあたる空を見つめている。しばらくそのままの姿勢でいて、やがて、肩を震わせた。
ユシアは執務棟の門口にたつジェクリルを警戒した。が、彼もまた、うごかない。エルレアをじっと見つめている。意図は掴みかねたが、それを量っているばあいでもなかった。
エルレアは、泣いていた。あおむけの目から少しの涙がこぼれ、それを拭うことが、目覚めたエルレアの最初のしぐさとなったのである。
ぬぐって、半身を起こす。ユシアが背をささえる。このとき、ふたりともに、女性がエルレアに触れているに関わらず性別の転換が行われていないことに、気がついていない。
エルレアは周囲を見回している。ユシアも、ジェクリルも、戦闘で崩れた周囲の情景も、そして斃れたレリアンの身体も捉えている。
ユシアはエルレアが経験した世界を、しっている。レリアンが、わずかに掴んだその世界の端緒を彼女に投げたからこそ、彼岸と此岸を接続することが叶ったのだ。だからこそ、ユシアは、エルレアがすでに正気を失っていると予想していた。
しかし、エルレアは、添えられているユシアの手に、自分のてのひらを重ねて、ひとつおおきな息をはき、微笑んだ。
「……ごめんなさい、ユシア。ただいま」
「……あ」
ユシアは、十四歳で聖女として見出されて以来、涙をこぼしたことがない。どれだけ過酷な訓練にも、ないたことがない。だから、いま溢れた涙は、彼女にとってはほとんど歴史的といってよいものだった。
「……状況は」
柔らかく尋ねるエルレアの言葉に、顔をぬぐい、ユシアは簡潔にこたえた。
「門の現神、ユトラスは彼岸へ退きました。ジェクリルは健在です。影のような敵手は、わたしが無力化してあります。レリアンは……そこ、で」
レリアンの生命活動は停止している。ユシアは、それを、彼岸でエルレアを救うために負った負傷によるものと想像している。だから、そのままには、言わない。
エルレアは、横たわるレリアンに目を向け、ふうう、と、もういちど、息をはいた。そうしてもう一度、ユシアを見る。視線をうけ、ユシアは瞬時、戸惑った。
これが……エーレ、エルレア、さま……?
ユシアは<楽園>で、あるじソアと共に、いくども現神ゼディアと対面している。ばあいによっては、会話すら、聞き取れたこともある。ユシアのちからは高度であったから、ソアも、彼女を特別に扱ったのだ。
そのユシアにとって、いま目の前にいるエルレアのかおは、楽園でかいま見た女神ゼディアのそれと重なってみえている。
ユシアは、身震いした。知らずわずかににじり退がり、伏した。
エルレアは困惑したように眉をよせ、それから、ふわっと、笑った。
「おかしなユシア。うん、状況は、わかった。あとはまかせて」
立ち上がる。地に手をついて、あちこち破損している術師団の装束をゆらしながら、エルレアは、ゆっくり、たちあがった。
ジェクリルは動かず、エルレアから目をはなさない。
エルレアは立ち上がると、ひとつ、おおきな伸びをして、手を左右にひろげた。たん、と勢いよく腕をおろし、ふうと息をはいて、からだを捻り、ジェクリルのほうをむいた。わずかな間、相手の目を強く覗きこむ。そうして、微笑した。
「レクス。ひさしぶりだね」
「……戻ってくるとはな」
ジェクリルも応える。
「うん。戻った。もう、わかったから」
「……なにを、だ」
「わたしが呪われていること。わたしが、たくさんの哀しみを呼んだこと。罪を、憎しみを生んだこと。そうして、そのことは、引き剥がせないこと」
「……」
「それでもわたしは、振り払って……」
エルレアはそう言い、少し考え、首をひねって、振り、口角をもちあげた。あたかも馴染みの酒場で、同僚をまえに思い出話をするようなしぐさだった。戦闘中の、あるいは死線から戻ったもののそれではない。
「……いや、ちがうなあ。そんなんじゃない。わたしは、乗り越えない。呪いを、打ち消さない。母の憎しみを、受け入れない。許しを請わない。解消しない。飲み込まない。わたしは……」
そういって、何歩かすすみ、倒れ伏すレリアンの横にたつ。ゆっくりしゃがんで、その背に手をまわし、もちあげ、首を上にむける。レリアンの四肢にちからはない。だらんと、垂れる。
エルレアは、視線を蒼白のレリアンのかおに落とし、愛おしげに目を伏せながら、ことばをつないだ。
「……わたしは、それでも、生きる」
「……」
「立派な理由なんてない。母も、もう、いい。世界も、いい。わたしは……」
レリアンの顔を、引き上げる。
エルレアの顔が、レリアンの、温度をうしなったそれに近づく。
くちびるが触れる寸前、エルレアの全身を、ほんの微かな燐光が包んだ。
「……わたしは、このひとのために、生き残る」
少しはなれて眺めているユシアには、ひとつのおおきな、ひかりの花、花弁のなかで、ふたりが互いの境界を失っている様子がみてとれている。もちろん、比喩だ。ユシアの感性が、そう、彼女の理性に説明しているに過ぎない。が、それは、聖女の直感にとっては、神の摂理の直截の表現にほかならない。
ユシアのほほに、雫がこぼれる。
「……精霊、か」
ジェクリルもその様子を見ながら、わずかにため息をつき、手を振るった。
「目覚めてしまうとはな。是非もない」
振るった手が、周囲の空気を、くろく震わせた。
と、周囲のなかば崩れかけた建物のかげから、黒いものが群れ立った。
ユシアはその気配に、総毛立つ。さきほど、ゼディアの絶対領域内において封じ切ったはずの、門の現神ユトラスの使役する<伏>たちの、むくろだった。戦闘で斃れた、革命軍の兵士、術師たちも同様に、たつ。
いずれの目も赫く、くらく光っている。
ユシアは防御の姿勢をとった。が、最初の斬撃は、その防御よりもわずかに早く到達している。肩のあたりを打ち据えられ、ユシアは半身ほどとばされた。膝でたち、手を組み、印をつくる。
左右から殺到する、くろい影。その多数は、エルレアとレリアンのところへ雪崩れ込んだ。無数の、腐臭をはなつやいばが、ひかりをおさめつつあるふたりを襲う。
「……エルレアさまっ!」
ずずん、という、地鳴りににた響き。
空気が凍り、ひかりが、落ちた。
陽光はあるのだが、届かない。くろい天幕で覆われたように、周囲の視界だけが、くらく、しずかに、歪んでいる。
ユシアは攻撃の一環とかんがえ、頭部を防御したが、なにもおこらない。顔をあげる。視界の一角だけが、ほのかに、光っている。
エルレアは、立ち上がっていた。
大気に薄墨をといたような、しかし穏やかな闇の中心で、エルレアだけが、輝いている。
すがたが、ひかりで構成されている。
右手をあげ、手のひらを天頂に向けている。そこからやわらかい光が四方に向かって、いく筋も伸びている。陶然とした表情。ちいさな黄金のひかりの粒が周囲をめぐって、揺れている。
うつくしかった。ユシアにとって、聖女にとって、ほかの表現を許されない姿。
現神の、顕現であった。
「……エルレア……さま……」
ユシアは膝をおり、組んだ手をひたいにあてた。女神に対する礼を、エルレアに用いた。
エルレアの周囲には攻撃手たちが無数に積み重なり、輪のようになって黒い骸をさらしている。その中心、エルレアの足元で、レリアンのからだが、うごいた。
「……んん……」
彼をめざめさせた者とおなじように、わずかな燐光に包まれている。そのすがたを、エルレアは見下ろし、ふふっと、わらった。
「……おはよう、レリアン。ちょっと、お願いがあるんだけど」
そういいながら、ふたたび膝をおってレリアンの目を覗きこむ。穏やかで、やわらかい瞳のいろ。意識をうっすら取り戻したレリアンにとって、それは世界そのものの表象となった。心の奥、もっとも深い場所へ、つよく、つよく刷り込まれた。
エルレアは、いたずらをした子供のような、照れたような、微笑を浮かべた。
「生き残りたければ、いますぐわたしに、キスをして」
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