第26話 滅ぶ。ねえ、すばらしいでしょう


 エルレアは声をはっしない。


 困ったような、おさない、笑顔。


 目には、ひかりがない。いのちを感じない。


 ことわりの向こうに位置するであろうこの世界において、それは当然の事象であったかもしれない。レリアンは、現象の妥当性をはかる知識も、ことがらの無慈悲を乗り越えるきもちも、いま、持ち合わせていない。


 ユシアがこじあけた。ユトラスの攻撃により浸潤した現実、すべてを食い尽くすくろい悪夢の中で、エルレアが去ったことを、ジェクリルがつれさったことを、彼もユシアも、瞬時にさとっていた。わずかな残滓、エルレアの、ちいさなおもいで、髪のにおい、体温、王宮で、楽園で抱いた、あたたかさ。おさなくきこえる、その、声。


 そのことを、レリアンにだけ届くその破片を、彼はすくいあげ、ひかりがわずかの距離を進むよりもみじかい時間のなかで、絶叫とともに、ユシアになげた。


 ユシアは、おそらく、いのちの両端を消費して、この扉をあけたのだ。


 振り返る余裕をもたず、レリアンは、ただ、ただ、扉にはしりこんだ。エルレアが負うのろいがジェクリルの思念につながり、とおい時間を包摂して、やさしく、かなしく、絶望と怨念と、いとしみとを謳うためにだけ存在する、この、いつわりの世界。その扉は、レリアンには、ひらくことをゆるしたのだ。


 エルレアの、困ったような、おさない、笑顔。


 エルレアにそのような表情を強いる理由を、レリアンに納得がゆくいいわけを、だが、彼は見出せずにいる。彼のきもちのなかで、焦燥よりも手前に、後悔と諦念がおかれている。


 ときは無限にあった。あるいは、刹那すらも許されていない。ひかりが舞い、時間が安寧のむこうへきえていく。ものごとの摂理が意味をなさない場所に踏み入れて、ひとの世のかなたで彼が思念にうかべたものは、自らの義務の成果ではない。作戦の、なしうべき結果でもない。この世の平穏でも、ひとびとの笑顔でもない。


 エルレアの、困ったような、おさない、笑顔。


 かたをつかみ、ゆする。


 エルレアの、困ったような、おさない、笑顔。


 彼が望むものが、目の前にあり、その意味をレリアンは理解することができたからこそ、彼がすべてをこの時点で諦めたとて、責めることができるものはいない。神が、条理がまねいた結論だからだ。だが、彼自身は、そのことを認めない。


 エルレアの、困ったような、おさない、笑顔。


 おとはすでに、消えている。


 エルエアの、困ったような、おさない、笑顔。


 見知った女が、無惨な焼死体となっている。その情景は、レリアンには平面的な映像とうつっている。映像は中途半端にやぶれ、そのむこうに、ジェクリル、レクスが倒れている。


 エルレアの、困ったような、おさない、おさない、笑顔。


 「れりあん」


 わらう、エルレア。


 むかえにきてくれたんだ。ねえ、おさけ、のむ?


 ろあもよぼうよ。こんは、どこにいるのかな。ねえ、たのしいね。わたしは、あなたにあえて、うれしかった。あのおうきゅうのじけんもたいへんだったね。みじかいじかんだったけど、たくさんのぼうけん、したね。


 ろあもよぼうよ。おさけ、のむ? むかえにきてくれたんだ。ねえ、おさけ、のむ?


 レリアンは、ひらの手を、エルレアの右の頬、ついで左の頬に、つよく、たたきつける。エルレアはよろめいたが、倒れない。くちのはしに血を滲ませる。が、彼女は不思議そうにほほに手を当て、レリアンをみて、また、わらう。


 「れりあん、たのしかった、わたしは、たのしかったよ、だから」


 レリアンが懐の短剣を抜き取る。振りかぶり、ふっという気合いとともに、腹に突き刺す。ひねる。ほとばしる鮮血、だが、飛沫はゆめのように消え失せる。のこるのは苦悶。


 エルレアの、人形の目が、それをみている。


 「……いてえ」


 レリアンがうめき、だが、くちの端をもちあげて、つぶやく。凍りついたようなエルレアの表情。


 「……くっそいてえ。なんだ畜生、やっぱり夢とはちがうんだな」


 流れ出るあかい液体。彼じしんにも、エルレアにも、血潮のにおいがせまる。


 「俺な、こどもの時分から、いやな夢から覚めたい時にはてめえの腹、ぶっさしてたんだ……っ、まじでいってえ。あのころは、こうすれば、すぐさめてたんだけどな……くっそ」


 「……」


 膝をおり、背を丸め、激痛に耐えるレリアン。短剣はエルレアのそばに投げ捨てられている。付着した血漿を、ふしぎなものを見るめで、エルレアが見下ろしている。


 「……エルレア。いいぞ。いこう」


 「……?」


 時間にすればわずかだったが、現実のよであれば、すでに出血は致死量をこえている。レリアンは、跪く姿勢すらとれず、そのまま、よこに倒れている。細くいきをはきながら、それでも、わらった。


 「ぜんぶ、こわすんだろう? そして、きさまは、いく。腹さして、みんなめぇさめればいいとおもったが、まあ……そんなにあまくはねえわ」


 ごと、という音を立てて、血潮のなかに、レリアンはあたまを横たえる。


 「……こうみえてもな、これ、けっこう、いてえんだ。おれが、め、さましてるうちに、つれて、いって、くれ……そのかわり、つぎにめがさめたら、きさま、きさまは……」


 めをつぶる、レリアン。


 「こんどは、ぜったい、おれの、せなかを、はなれるなよ……おれは」


 ふうと、いきをはく。


 「きさまが、せかいをこわしても、かまわない、のろうなら、それでも、かまわない、おれが、おなじ、ふうけいを……みる、から。ぜったいに、ひとりに、しない、のろいを、ふたりで……」


 おとずれた静寂は、ながい。


 エルレアは、わらい、表情をこおらせ、わらい、ジェクリルがたち、ジェクリルが倒れ、アルティエールのスープ、アルティエールの笑顔、地獄のほのお、あらゆるものが焼き尽くされ、レクスの笑顔、アルティとならんでわらい、レクスの紅茶。


 すべてが、彼女のまえを、よこぎる。


 エルレア。呪いの子。ゆるされざる、あってはならない、その存在が、くるしみをもたらした、わざわいのこ。あってはならない、ゆるされざる、思いをとげることなど、けっして許されない、呪いの、子。あっては、ならない、わざわいの。


 ずいぶんながいじかん、ゆかを、みていた。


 ながい、ながい、じかんだった。


 なみだが床にたまり、やがて彼女のひざにたっするようになるころ、レリアンのなきがらの横で、笑った。わらい、めを、あけた。そらを仰いだ。くびをふる。がん、と床に額をたたきつける。ほとばしる鮮血。なんども、なんども、なんども、なんどもたたきつける。


 泣いてはいない。


 わらい、歪んだわらいを笑いながら、叫んだ。


 腕がひかる。指先をそろえる。人差し指と、中指をあわせる。まっすぐに、いずれにもおわす、絶対の現神にむけて。目にやどる、ひかり。腕を組む。膝を折る。周囲にかがやく、ちからの光。空気がよばれる。大気が、われる。


 腕からほとばしった光。


 世界が、砕かれた。


 無数の破片がひかりとなる。ちらばり、きえてゆく。


 残照。初夏の夕景。


 革命軍の城、執務棟の正面で、エルレアはレリアンの膝にあたまをのせ、横たえらえている。


 ユシアがエルレアの顔を覗き込んでいる。青ざめた顔。肩で息をついている。


 「お迎えにあがるのが遅れました……申し訳ございません」


 ◇


 第二十六話、でした。


 エルレアがみている風景、もう、作者のわたしの手をはなれつつあります。でも、わたしは、必死でおいすがるだけです。この子をまもるために。この子を、そのばしょへ、つれていくために。


 今後ともエルレアを見守ってあげてください。


 またすぐ、お会いしましょう。


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