第12話 最終話後編
今でもはっきり覚えてる。
小学校6年生の時に覚えた、強烈な違和感の味を。
体育の時間。
男子は男子で、女子は女子で着替えをする。
今まで当たり前にしてきた事で頭では何も変な事じゃないと理解出来てるのに、心がどうしても拒絶してしまって、こっそりとトイレで着替えて体育の授業を受けた。
家から体操服を着ていくという手段を覚えてからは特に気にならなくなったけど、問題は夏場の水泳の時間。
着替えは良い。
中に履いて登校すれば済むから。
でも、どうしても上半身を露出するのが顔から火が出るくらい恥ずかしくて、何とか隠せないかと蹲るように三角座りをしたり、出来るだけ長く水中に居たり、終わってからは誰よりも早く更衣室に向かったりした。
そんな苦行を何度も何度も、、、。
上半身も隠せる女子が羨ましかったし、僕もあっちが良かった。
それに、男子達の半裸の姿も目に優しくない。
何というか、、、。
心の奥がむずむずした。
小学生の頃はそのむずむずの正体が分からなかったけど、中学生になって、友達に彼女とか彼氏が出来たり、子供の作り方を知ったり、学校でキスをしてる現場を見たりして、少しずつ、むずむずの正体が分かってきた。
でも、分かっても口にする事が出来ないし、同じような話を出来る人はクラスにも学校にもいなかった。
同級生も先輩も後輩も先生も。
誰一人、自分とは違うんだなって事を、むずむずの正体が分かってから理解した。
僕は男の子。
男の子用の服を着て、髪を短く切り揃えて、休みの日はゲームかサッカーをして友達と遊んだ。
それが普通だと思ってたし、そう過ごす事が一番自然なんだって両親の表情や言動で分かってた。
でも違う。
本当はスカートを履いてみたいし、髪も伸ばしてみたいし、プリクラを取ったり好きな男子の話をして盛り上がりたい。
したいのに出来ない。
男の子がしてても大丈夫だし、テレビには髪の長い男の人もスカートを履いてる男の人も出てた。
でもそれは、あくまで男の子として。
僕は多分、そういう趣味の範囲で女の子らしい事をしたいって思ってるわけじゃない。
そもそも、男の子として扱われる事が嫌だった。
おかしいって思ったのは小学校六年生の時だったけど、周りとの違いを感じてたのはもっと前から。
その頃からずっと僕は女の子なのに、周りからは男の子としてしか扱われなくて、嫌だけど正直に言ったら仲間外れにされてしまいそうで、ずっと我慢して男の子のフリをしてた。
修学旅行での男友達との恋バナでは、自分がなりたい女性像をタイプの人として答えたし、お小遣いで買う物は男の子っぽいかどうかを基準に選んだ。
たまにピンクの筆箱とかシャーペンとか、そういうのが欲しくなる時もあったけど、出来るだけ青色とかの当たり障りのない色とデザインのものを選んだ。
だからきっと、誰にもバレてないと思う。
やっぱり水泳の時とかは憂鬱で顔に出てしまってたからもしかしたらバレてるんじゃ、、って思ったりもしたけど、中学三年生の文化祭、同じクラスの女の子に告白された事で不安は消えた。
それと同時に、悲しくもなった。
異性から魅力的に見えてしまうくらい、自分はどうしようもなく男なんだって。
告白をされた事に対して、自分を好いてくれてる人がいるっていう嬉しさよりも、男として見られてた事に対するショックのほうが大きかった。
そのせいで、少しおざなりな断り方をしてしまった。
気拙くてすぐにその場を去ってしまったけど、傷付けてしまったかな、、、。
きっと、そうなんだと思う。
今はまだ好きな人が出来た事がないから分からないけど、きっと僕も好きな人が出来て告白をして、真摯じゃない態度で断られてしまったら、ショックを受けてしまうと思うから。
分かってる。分かってるけど、、。
それでもどうにも対策が取れないくらい、自分のショックも大きかった。
女の子の事は友達としてしか見られないのに、恋人が欲しいなら自分の気持ちを抑え込んで女の子と付き合うしかないのかな、、、。
それなら、ずっと一人でいいって思ってしまう。
人生で一回は好きな人と付き合って幸せな時間を過ごしてみたいけど。
「好きです。付き合ってください」
あれから、何度か告白された。
少しずつ少しずつ。
自分の傷を隠して断るのに慣れてきたけど、やっぱり告白される度に現実を突き付けられて傷付いて、次の日は学校に行くのが毎回憂鬱になった。
そんな日々がやっと終わる。
高校に行ってからは、出来るだけ女友達を作らないようにして、傷付く回数を減らそう。
そう思って臨んだ卒業式。
一番仲が良い友達の遥に告白された。
大人しい性格の遥とは気が合って、部活も同じで、中学校の三年間、かなりの時間を一緒に過ごした。
間違いなく、誰よりも一緒に居たと思う。
もしかしたら、家族よりも長いかも。
誰よりも気が許せて、誰よりも自分の事を理解してくれてる存在。
そんな遥が、男を見る目で自分を見てきた。
今までされたどの告白より、ショックが大きかった。
逃げ出したかったし、泣き喚いて遥を責めたかった。
なんで一番一緒に居たのに分かってくれないんだ。
なんで友達のままで居る事を嫌がるんだ。
色んな感情と言葉が溢れそうになったけど、頑張って堪えた。
暴走する感情で回らなくなってしまった頭でも、一生懸命想いを伝えてくれてる遥を責め立てるのがお門違いな事は分かっていたから。
間違ってるのは自分。
自分の恋愛対象。
そう、ちゃんと理解してる。
三年間で同級生や先輩や後輩達の恋模様を沢山見てきて、受け入れたくなかったけどちゃんと理解した。
合ってるのがみんなで間違ってるのが自分。
どれだけ傷がついても、それだけは揺るがない事だって、三年間でじわじわ周りから教えられた。
「ごめん、、。気持ちは嬉しいんだけど、、。もっと、男らしい人が好き、、、、なんだ」
それを分かってるから、傷付いて今すぐにでも走り去りたい気持ちを抑えて、何とか理由をつけて断った。
遥とはこれからも学校が一緒だし、告白された事を除いて、今まで一緒に居て嫌だと思った事は一度もない。
だから、これからも同性として仲良くしたい。
そう思って、遥が諦めてくれそうな断り文句を作って断った。
追及されたら困るし好きな人がいるとは言えなかった。
でも、男が恋愛対象だとも言えなかった。
遥は大事だし一番の友達って胸を張って言えるけど、自分の一番の秘密を暴露して絶対に大丈夫って思える安心感は無い。
だから、真実に近い嘘で誤魔化して断った。
結局泣かせてしまって気まずくなってその場を離れたけど、ああするしかなかったから仕方ない。
どれだけ仲が良くて大事な存在でも、遥の事は同性の友達としてしか見られないから。
しんどい事のほうが多かった気がする中学校を正門から出て、晴れ晴れした気持ちとこれからの不安を抱えながら帰路に着いた。
高校では、恋愛感情が無くなってくれたらいいな、、、。
そんな、希望的観測を持ちながら。
「萩織拓海君やんね!?」
衝撃的だった。
散々な中学生生活で沈んだ心が、羽根が生えたみたいに一気に軽くなって、時々白黒に見えてた世界が沢山の色で溢れた。
(胸、、苦しい、、)
それに、息がし辛い。
これが恋なんだって事は、初めてなのに案外すぐに理解出来た。
(佐久間葵、、、)
初恋の人の名前。
教えてもらったそれを、頭の中で宝物を扱うように何度も繰り返した。
葵は、僕の剣道が好きって言ってくれた。
初めて、大会で勝った時以外で剣道を頑張ってて良かったって思えた瞬間だった。
本当は、剣道じゃなくて僕自身を好きで居てくれるのが一番嬉しかったけど、それはあまりに高望み過ぎる。
僕は周りと違うし、まだ初対面。
性別っていう壁がある以上、もし好いてもらえるんだとしたら性格が重要になってくるし、性格は初対面では分からない。
僕は、高望み過ぎると思いながらも葵に好いてもらえる可能性をどうしても捨て切れなかった。
(しんどい、、辛い、、、。でも心地いい)
初めての恋の感想は、そんな感じだった。
葵を見る度、話す度。
締め付けられる胸の苦しさに辛さを感じながらも、多幸感がある。
想像の何倍も、好きという気持ちは大きい感情だった。
「ほんまはさ、この大会で優勝して遥に告白しようと思っとったんよね」
時間を重ねる毎に、葵と過ごせば過ごす程に、どんどんと好きになった。
でも結局。
葵は正しくて僕は間違ってた。
三年生最後の全国大会決勝前、葵から聞きたくない事を聞かされた。
聞いたのは自分だし、葵が何も間違った事をしてないのも分かってる。
それでもどうしようもないくらい、泣き叫んで駄々を捏ねて嫌だと感情をぶつけたくなった。
そんな事が出来る勇気があれば、とっくに告白してるけど。
どうにも出来ないくらい全く違う方向を見ていた葵と付き合える未来は、もう無い。
手を繋ぎたいわけじゃない、ハグをしたいわけじゃない、キスをしたいわけじゃない。
ただ好きと伝えて、好きと言ってもらいたい。
たったそれだけなのに、それこそが一番間違ってて、誰も受け入れてくれる人がいない。
行き場のない虚しさや怒りを、決勝戦で本多選手にぶつけた。
三度目の全国優勝。
嬉しさよりも、こんなものよりもっと欲しいものが絶対に得られないと知った事に対する虚しさのほうが大きかった。
育て過ぎたこの好意を、僕はどうすればいいんだろう。
「花火、、終わっちゃった、、、」
三人で来る最後の秋祭り。
一緒に花火を見たかったのに、逃げ出して、結局一人で山越しに聞こえる花火の音を聞くだけになってしまった。
(ああもう、、、。時間戻って、、)
叶うなら、秋祭りが始まる前まで。
口には出してみたけど花火が終わった事なんて実はどうでもいいと思っていて、今はそんな事よりも僕の目をじっと見つめてた遥の顔が忘れられなくて、自分の行動を悔いる事に必死だった。
間違いなく、スーパーボール掬いをする前くらいまでは叶う事のない恋を諦めて二人を応援しようっと思ってたのに。
楽しそうにスーパーボール掬いをする二人の姿を後ろから見て、どうしようもなく嫌な気持ちになって、最低な手段を選んでしまった。
〝遥が自分を向いててくれたら、葵の告白を断るんじゃないか?〟
そう考えて理解して行動してたわけじゃないけど、遥に問い詰められて気が付いた。
自分の浅はかな考えと、最低な行動に。
高校の入学式の日。
遥が男子の制服を着て髪を短く切って、男っぽい言葉遣いで待ち合わせの場所に来た時。
ああ多分。遥は自分を変えてでも僕と付き合いたいと思ってくれてるんだろうなって思った。
断る理由として作り上げて伝えたものが、こんな形になるなんて、、。
がらりと変わった遥の見た目と雰囲気に、過去の自分の発言を悔いた。
でも、もう既に変わる覚悟をしてしまって実際に入学式までの間に人物像を作り上げてしまってた遥に今更本当の事は告げられなくて、結局二年半。
だらだらと心地いい関係性に甘えてしまってた。
どこかで、そんな事をしても遥の事は好きになれないよって。そう言ってあげたら良かったのに。
僕は、遥の高校生活を守る事より自分の保身を優先した。
遥に本当の事を伝えて、それが葵に伝わってしまったら、、、、。
もしかしたら、嫌われて友達ですら居られなくなってしまうかもしれない。
そう考えたらどうしても言えなくて、遥がしんどくなってしまってるのに気付いてたのに、見て見ぬフリをした。
それなのに、、、。
今まで遥の頑張りに応える素振りなんて一回も見せなかった癖に、僕は自分の都合の良いように、遥を利用しようとした。
葵が告白するまでの間、その間だけ。
僕の事を好きでいてくれたら。
半年前くらいから、遥の気持ちが離れていってるのに気が付いていた。
それ自体に特に支障はなかったし放置してたけど、葵の告白が成功してほしくない身としては気持ちが僕に向いていない事実は見逃せなかった。
だから、気を持たせるような行動をした。
「最低だなほんと、、、」
流れる涙を拭う事もせず、チカチカするくらいまばゆい光を発する街を見下ろした。
自分の行動は、許されるものじゃない。
でも、遥のあの表情は怒りじゃなかったと思う。
悲しいとか辛いとか裏切られたとか。
そういう感情な気がした。
ずっと好きでいてくれて、性格を偽ってまで理想になろうとしてくれて、必死に頑張り続けてくれた人を利用しようとして、結果、あんな表情をさせてしまった。
葵とは違う形だけど、遥も大事な人のはずなのに。
きっと。
遥は許してくれるんだと思う。
数年後か十数年後かには、笑い話にしてくれるんだと思う。
それでも、自分でどうしても自分の事が許せなくて、花火が終わってしばらく経っても、その場から動かずに自己嫌悪をし続けた。
謝って帳尻を合わせられるものじゃないし、説明が出来ないから謝りようもない。
遥に負い目を感じてるのに謝れない事が、より一層自己嫌悪を加速させた。
これから、三人で仲良く居られるのかな、、。
そんな不安を抱えながら夜を越えて、日常に戻って、月日を重ねた。
結局、卒業式の日になっても自己嫌悪を緩める事は出来ず、遥への贖罪もうやむやになったまま、優しさに甘えて今まで通りの三人で過ごした。
葵の目線が今まで以上に遥を捉えていて、遥が徐々に中学時代に戻ってきてるっていう違いはあったけど。
そんな二人と一緒にいるのは気拙くてすぐにでも逃げ出したかったけど、これは遥をいいように使おうとした罰なんだと自分を言い聞かせて、潔く受け入れた。
気まずくなろうとも苦しくなろうとも、絶対に逃げない。
直接謝れないなら、自分が傷付く事で贖罪としよう。
そう考えて。
(遥、、、、?)
卒業式。
高校生活最後の日。
後は式を終えて大学に行くだけなのに、遥は今まで着ていた男子の制服ではなく、女子の制服で学校に来た。
髪の毛は短いままだけど下してて、鞄の持ち方とか歩き方も、前までの遥に戻ってる。
僕の理想を目指す前の、遥に。
初めて遥の女の子らしい姿を見た葵が驚く横顔が見えた。
仕方ないと思う。
中学生の時三年間見てた僕でも、久し振りに見ると驚いたから。
三年間ずっと男っぽい見た目と性格でいたのに、こんなにもすぐに女の子らしくなれるなんて、、、。
それは多分、男っぽくしてる間も心はずっと女の子のままだったからなんだろうなって思った。
だって、女の子のままじゃないと僕を好きになる事はないと思うから。
「高宮か!?」
「え!?高宮さん!?」
体育館近くまで行くと、前で待ってた先生二人に呼び止められて、遥を暫くじっと見た二人が驚きの声を上げた。
名簿を確認しながら来てない生徒を確認してた先生は多分、そのどれにも該当しない女子生徒の姿に不信感を覚えたんだと思う。
呼び止められた時、疑うような探るような、そんな視線だったから。
遥の中学生時代を知らないんだし、仕方のない事だと思う。
「そうか、、。やっと女子の制服を着る気になってくれたんだな、、」
二人の先生の内、男性のほう。
山内先生が目に涙を浮かべてそう言った。
「やっぱり似合うわね高宮さん。今日だけしか見れないのが残念だわ」
女性のほう。嶋先生はそう言って残念がった。
二人とも、頑なに男子の制服を着て登校してた遥が女子の制服を着てきた事に、喜びを隠せない様子だった。
(僕だって、、、)
女子の制服を着たいのに。
僕が着たところで先生達は安心をせずに心配するだけ。
三年前、男子の制服で登校してきた遥にしたみたいに。
その後、卒業式が始まるまでの間と終わってから、遥の周りには人だかりが出来続けた。
ただの興味本位の人。
女の子らしい遥の姿に一目惚れしてそうな男子。
今までの距離感でいこうとして周りに止められる男子。
一緒に写真を撮ろうとする女子。
その光景を、少し離れた位置から葵と眺め続けた。
卒業式の余韻とか、感動の別れとか。
そんなものは遥の周りに集まってる人達からは感じられない。
既に終わった高校生活より、がらりと変わった同級生のほうが大事みたいだ。
「そろそろ助けに行かん?」
「そうだね」
恥ずかしさとか驚きとか、色んなものが襲ってきて既にオーバーヒートしてた遥を、葵と二人で助け出して帰路に着く。
お姫様を助け出す王子様二人みたいな感じでガヤに揶揄われたけど、王子様は葵一人だけだよって言ってあげたかった。
どっちにもなれない僕は、かぼちゃの馬車か御者くらいが妥当なところだと思う。
「じゃあまたね」
「拓海、また明後日」
「また明後日。寝坊せんようにね」
学校の最寄り駅。
二人と別れて電車に乗って、空いてる席には目もくれずに、車両の端で壁に体を預けて溜め息を一つ吐いた。
長かったのか短かったのか。
比べる対象が無いから分からないけど、間違いなく濃かったって言う自信がある高校生活。
剣道と初恋と友情と。
色んなものを経験した。
でも多分、成長は出来てない。
葵への恋心は一目惚れした時のまま残ってるし、遥との友情もずっとあって、自分と周囲との違いからは相変わらず目を逸らしてる。
何の対応もしないまま、今後どうしていくか考えないまま、とりあえず波風が立たないようにだけ気を付けて高校生活を送った。
振り返ってみてもそうやって生きていくしかなかったって思うけど、何か出来るなら何かしたかったなって、素を出せて楽しそうな半年間を送る遥を見て思った。
僕も、自分の言いたい事を言って着たい服を着て、全てを曝け出せたら。
それはどれだけ素敵な事なんだろうなって思う。
全部曝け出しても友達は友達のままで居てくれて、葵は僕の好意に気付いてくれて。
そんな素敵な事も、僕の頑張り次第でもしかしたら起こせたかもしれない。
終わってしまった今では結局全部たらればの話になってしまうけど、どうしても考えてしまう。
楽しい事ばっかりの、バラ色の高校生活を。
(この景色も、もうちょっとだけ)
車窓から外を見る。
見慣れた景色を見ながら、今までの電車通学中に考えていた事を思い起こした。
葵と出会った日、初めての恋に興奮が冷めなくて、外の景色を眺めながらニヤけてしまった。
葵と遥が二人で楽しそうにしているのを見た日、外の天気みたいに沈んで悲しい気持ちだった。
初めて高校の全国大会で優勝して学校で表彰された日の帰り、荷物が多くなったけど嫌な気がしなくて気持ちが軽かった。
最後の秋祭りから今日まで。三人で過ごす時間が苦しくて、帰りの電車でいつも一人で泣きそうになってた。
いつも同じ車両の同じ場所に立ってたから、走馬灯みたいに三年間の情景が一斉に流れて来る。
楽しい事、苦しい事。いっぱいあった。
平均したら多分、、、苦しい事のほうが多かったかもしれない。
忘れたい事や無かった事にしたいものもある。
でもそのどれもに、感情が動かされる。
意識して止めないと涙が流れてきてしまいそうな、そんな感覚に襲われた。
全力で高校生活に取り組んでいたかと言われたらそういうわけではないのに…。
こういう時だけ、都合良く感傷的になってしまう。
そんな自分をダサいと思うけど、家に帰るまでの8駅。
強がる事なく潔く受け入れた。
過去の自分の経験と感情を。
「行ってきます」
「忘れ物ない?大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」
卒業式の2日後。
キャリーバックにパンパンのリュック。
それと、竹刀に剣道の防具を持って、家を出た。
見送ってくれる両親の目には涙が浮かんでる。
中学三年生の時、新見大付属高校から推薦入学の案内が届いた。
その時、正直なところ人間関係や恋愛に辟易していて誰も知らない遠くの地に行きたくて、大好きな剣道に集中出来る環境ならって、本当は入学しようと考えてた。
でも、深夜に目が覚めてしまった時。
両親が僕の小さい頃からのアルバムを見て寂しそうな顔をしているのを見て、出来るだけ側に居てあげたいって思った。
だから、一番の友達である遥が行くところであり剣道もそれなりに強くて家から通える京堂館に進学した。
剣道自体は道場で鍛える事が出来るし。
そのおかげで、苦しい事もいっぱいあったけど、楽しい事もいっぱい起こったし、友達もいっぱい出来た。
自分の選択は後悔していない。
でも、、、。
高校三年生。
進学先を迷ってる時に薮本先生からスポーツ推薦の話が来た。
その時はまだ葵への未練が強く残っていたしすぐには答えなかったけど、、。
秋祭りの後。
罪悪感から来る気まずさとか、逃げ出したい気持ちとか。
抑えられない気持ちが溢れ出して、気が付いたら両親に相談してた。
表向きの理由は、剣道が一番強い大学に行きたい。
自分達を気遣って京堂館に進学していた事を気付いていたらしい両親は、涙を浮かべて二つ返事で了承してくれた。
その後、我慢させてしまったと謝罪も受けた。
そんな両親に本当の理由を話せてないのは心苦しいけど、、。
本当の理由を話して、大好きな両親に嫌われてしまうのはどうしても避けたかった。
高校生時代を一番長く過ごして一緒に居て一番気が楽だった葵と遥とは、これからどんどん関係性が薄れていくだろうから。
生まれ育ったこの場所に、心休まる関係が無いまま遠くまで行く勇気は無かった。
ドクン──ドクン───
新幹線の駅まで向かう道中。
電車の車窓から外を眺めて、新天地への不安を帰る場所がある事への安心で紛らわせた。
「うわあ、、。やっぱり大荷物なんだね、、」
「ほんまにね、、。肩凝りそう」
一度改札を出て新幹線の改札へ向かう途中。
待ち合わせをしていた葵と遥に合流した。
体を全部隠してしまうような大荷物を見た二人の第一声がそれだった。
僕も多分、同じような人を見掛けたら同じ発言をしてしまうと思う。
「なんか、、六年間一緒に居たから寂しいし変な感じする、、」
「三年だけやったけど同じ気持ちやよ。いつも三人でおったしなあ」
寂しそうな表情でしみじみとそう言う二人に、長期連休は部活が無かったら帰ってくるよと、積極的では無い気持ちで答えた。
両親には会いに来たいと思うけど、二人に会いに来てしまうと気まずさで心がしんどくなってしまう気がして、今はまだ、嬉しそうに楽しみにしてると言ってくれる二人と同じ感情にはなれない。
大学の四年間で、堂々とまた三人で楽しい時間を過ごせるくらい気持ちが晴れるのかすら危うかった。
「二人は剣道どうするの?」
「道場には通おうと思ってる!」
「家近いし、遥と同じ道場行こうかなあと思っとるよ」
二人の進学先には、剣道部も剣道サークルも無い。
だから多分、大学の大会で会う事は無いだろうと思う。
でもきっと。
二人の実力なら一般の大会で会う事もあるだろうなと、道場に通う事を聞いて思った。
流石に、大会中は二人とも集中してるだろうし僕も集中してるだろうし、そんなに心がしんどくなってしまう場面には出くわさないと思うけど、、、。
出来るだけ、同じ大会に出る事は避けたかった。
「じゃあそろそろ───」
「あ、待って!これ、荷物多くなっちゃうけど、、」
他愛ない会話をして、少し早いけどホームに行こうと思った時。
遥に一枚の色紙と二封の手紙を渡された。
「色紙、、?」
「うん。後輩からの色紙この前貰ったじゃん?それ見てた薮本先生が計画してくれて、部長にだけだけど先生達からって」
「高橋先生も書いてくれたんよ」
総勢10名ちょっと。
全先生の中で、関わりの深かった先生達の名前が、色紙に記されていた。
〖拓海ならどこまででも強くなれる。三年だけだが、顧問であれた事を誇りに思う
薮本〗
〖萩織さんの試合や授業を受けてくれる態度に、いつも驚きや癒しをもらっていたよ。遠くへ行ってしまうのは寂しいけれど、また大会かテレビか何かで、元気な姿を見られる事を楽しみにしています。授業で伝えた事、忘れないでいてほしい 高橋〗
少しの会話の合間に、特に気になった二人の寄せ書きを見て、頬が震えた。
早く離れたいとすら思っていた学校だったのに。
こんなものを渡されたら、苦しかった思い出がまるで良かったものかのように上書きされてしまう。
「そっちの手紙は私と葵から。黄色が私で水色が葵ね」
「今読まれたら恥ずかしいから、車内か向こうで読んでな?」
「分かった」
淡い黄色と空みたいな色の水色。
きっと、これを読んでしまったらさっきと同じように、二人との苦しかった思い出が良い物に変換されてしまうんだろう。
そこに恐怖はあるし封を切るのは怖いけど、不思議と読まないという選択肢は無かった。
あるのはあくまで、襲ってくるだろう変化にどうすれば惑わされずにいられるだろうかという考えだけ。
二人と接するのは気まずいのに、二人の事は大好きなままだから、そんな大好きな人達が書いてくれた手紙を無碍にする事は出来なかった。
「ありがとう。向こうに行くまでの間に読むね」
「うん!」
「じゃあ、そろそろ電車来るから、、」
「行ってらっしゃい拓海。気い付けてね」
「行ってらっしゃい。またね」
仲良く手を振る二人に、切符を持ったままの手を振り返す。
改札を通ってホームに向かって、ホームの柱に背中を預けた途端、肩の力がすとんと抜けて、リュックがずり落ちそうになった。
(トイレ行くの忘れてた、、、)
身体の力が抜けた途端。
知らず知らずの内に高まっていた尿意が襲ってきた。
ホームをきょろきょろと見回してトイレがない事を確認して、一気に重たく感じるようになってしまった荷物を持ち上げて、上がってきた階段を降りる。
近くにエレベーターがある事に気が付いたのは、防具入れを乗せたキャリーケースを持ち上げて階段を降り始めてからだった。
数段だけだけど戻る気にはなれないから、そのまま下っていく。
(あ、、、)
階段を降りきってトイレへ向かう途中。
恥ずかしそうに手を繋いで帰路に着く葵と遥の姿が目に入った。
見慣れたはずの二人の背中なのに、まるで初めて見るものみたいに感じる。
(あれ、、止まらない、、、)
先生達からの色紙で緩んでいた涙腺が、溢れ出す感情に押し出された。
悲しさなのか寂しさなのか辛さなのか
感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い過ぎて、どの感情が強く涙を押し出してるのかは分からない。
周りの目がある中で涙を流して恥ずかしいし、すぐに拭って誰にも見られない場所に行きたい気持ちがあるのに、何故か僕は涙を拭う事もその場から離れる事もせず、二人から視線を逸らさなかった。
あんなに好きだったのに、あんなに付き合いたいと思っていたのに。
幸せそうな横顔を見せる遥に変わって、自分が葵の横にいる姿が想像出来ない。
今も気持ちの大きさは変わってないのに、あの場所に居たいと強く願う事が出来ない。
本当は、強がってるだけで最初から葵と付き合う未来を心から願えてなかったのかもしれない。
本当は、待っているだけの恋心に、告白という目に見えて分かりやすい価値を付けたかっただけかもしれない。
臆病な僕の、何も望まない存在しないかのように透き通った恋心は、芽生えた時点で終わりを告げていた。
(ああ、、。やっぱり───)
この恋心は濁っている。
透き通るほどに濁って 中田滝 @nakatataki
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