きみに恋をした医薬師のお話 完

「あー、やだやだ!」


 医薬師がこんな状況で公私混同だなんて、と思わず何度目かになるぼやきがもれるが許してほしい。


「お前は黙って手を動かせ」


 と、淡々とディーゼの花を擦り落とすチナンを横目に、あーあ、と俺は肩をすくめる。


 今日くらい、許してほしい。


 今日くらい。


「お加減はいかがですか?」


 普段とは全く違う柔らかなナイーダの声が隣の部屋から聞こえる。


 あの堅物は、寝る間も惜しんでああして横たわる隊士たちに声をかけて回り、手を差し伸べ続けていた。


 ディーゼの花の解毒効果も助け、少しずつ回復の兆しを見せた彼らの様態は安定し、これからは要安静の状態を保っている。


 俺たちはそんな彼らをあとは回復まで見守り続けるのだが、様態が落ち着いたのをいいことに隊士たちは隙あればナイーダに助けを求め、ナイーダはナイーダで気にする様子もなく義務的にそれらに応え、対応していく。


(ああ……)


 許してほしいよ、今日くらいは。


 何度目かになる苦言は心の中に終い、俺は瞳を閉じる。


 ナイーダを追いかけて雪道を駆けていったあのとき、衝撃的な光景を目の当たりにすることとなった。


 曲がったことが大嫌いの堅物で、自分にも他人にも厳しくてまっすぐで、笑えるくらい人付き合いは悪く、感情をうまく表すことのできない彼女が項垂れるようにしゃがみ込んだあの近衛隊の隊長に近づき、いきなりキスをしたのだ。


 冷静沈着でクールな様子を気取っていたあの隊長もさすがに驚いたのか、瞳を見開いていたし、俺は俺で腰が抜けそうになった。


 それからはもう見ていられなくなり、俺はもと来た道を全力疾走で逆走することとなる。


 同じ行為をしたことがないわけではない。


 恋人だっていたことはある。


 だけど、人生で初めてみた人様の逢引が、まさか初めて本気で恋に落ちたと思えた相手のものだとは予想もしていなかった。


「ああ、やってらんねぇよ……」


 やるべきことは全うしているため、口出しすることのないチナンのように心を広く持てたら良かったのだけど。


「いや、こちらとしては感謝しているよ」


 いつの間にか戸のところにもたれかかっていたセトが苦笑しながら近づいてくる。


 ああ、この男もやっぱりずいぶんいい男で腹が立つ。


 これが王宮の花形と言われた青薔薇騎士たちなのだろうか。


 とにかく気持ちは絶望的だ。


「ようやくあの鬼の隊長に笑顔が戻りそうだ」


「はぁ……」


 君には申し訳ないけどね、の大げさな身振り手振りをつけながら、本当に思っているのかと思えるほど軽薄な言葉を吐きながら、それでも彼は嬉しそうだった。


「平和なんだよ、あのふたりが並んでいると……」


 どさくさに紛れてナイーダに触れようとする隊士たちにギラギラと視線を送りながら、現れた近衛隊隊長に目を向け、セトはケラケラ笑う。


 全然平和そうではなさそうだと俺はふと思ったけど、言わないでおく。


(あーあ……)


 せっかく本気で心を動かされる相手に出会えたと思っていたのに。


 あんなにも柔らかくなったナイーダの表情を見ていると、勝ち目はなさそうだ。


 そう思わされる。


(あーあ……、なんだかなぁ……)


 言いたいことは山程あるのに、うまく言葉にまとまらない。


「どうせまた離れ離れになるくせに」


 ここからまた巻き起こすか?


 と考えて、頭を振る。


 あのキスシーンを見てしまってからは、彼女にどうこうできるとも思えなかった。


「いや、そうでもない」


「えっ?」


 チナンがポツリともらしたのはその時だった。


「チナン?」


 何のことだ?


 頭をひねる俺を気にすることなく彼は平然と続ける。


「俺は、城に仕える医薬師として働くことが決まっている」


「はっ、はぁ?」


 うそだろ、と思わず立ち上がりかけた。


「し、城って……そんな……」


 この男ならありゆると思っていた。


 誰もが認めることだろう。


 医薬師の誰もが憧れる場所に行くということを。


 だけど、こんなにも早く……と驚かされる。


「俺は、一番弟子にナイーダを推薦するつもりでいる。まぁ、あいつの努力次第だがな」


 それで、と続け、彼の鋭い瞳は俺を捉える。


「もうひとり、これもまた努力次第だが……」


「い、行きたい!! 行きたいです! お願いします!」


 話を最後まで聞くことなく、俺は手をあげ、乗り出していた。


 ナイーダが一歩先を行く。


 それなら俺だって同じく前に進みたい!!


 その気持ちが態度となって現れていた。


「おまえ次第だ」


 そう言って、彼はまた黙々と作業に戻る。


 そんな姿をただ呆然と眺め、俺はまだ見えない先の未来に俺はぐっと拳を握るしかなかった。







 それから少しして、ひとつの季節がめぐり、その次の春の日差しがあたりを照らす頃、俺はイディアーノ城に足を踏み入れることになる。


 残念ながらチナンの弟子としてついていくことは叶わなかったが、彼らが城を目指して半年後に国家資格を目指す受験者として、俺はあとに続くことが叶った。 


 そこで、俺はチナンの弟子として働くナイーダと再び再会を果たすことになる。


 変わらず凛としたオーラを放ち、一際注目を集めながらも淡々と働く彼女の側にはやっぱりあの近衛隊の隊長の影がついて回ったが、同じ医薬師として、今度こそ絶対に俺の実力を認めさせて見せるし、行く末には彼女を落としてみせる。


 自ら地獄の底から這い上がった男が再び熱くそう誓ったのは、ここだけの話だ。



                  完



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【完結】ひだまりの姫君(プリンセス) 保桜さやか @bou-saya

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