俺と友とタツノオトシゴ
高黄森哉
半魚的彼女
さて、どこから始めるとするかな、俺と友と、一匹の小さなタツノオトシゴの話。
*
なかなか大学生の夏休みというのは長い。
俺は今日、友人の運転で浜辺に来て、屋台のような場所で酒を飲んだり、砂で城を作ったり、友達が捕まえた小さなカニを海に返してやったりした。まるで、カニのように赤く焼けた友達の姿が、いまだ盲目に焼き付いている。彼は色白で日焼けしやすい体質なのだ。
宿から、夜の海が見えて、さざめきが聞こえる。危ないのは重々承知だが、海沿いを歩いてみたい気分だった。きっと、まだ酒が抜けていないらしい。体が火照っていて、ただひたすら風に当たりたい気分だ。
夜風は温かく、隙間から侵入すると、服を風船みたいに膨らました。獣の匂いがする。その風は、俺の麦わら帽子を吹き飛ばそうと躍起になっている。首回りに、ゴム製の首紐が擦れる。赤白帽のゴム紐の味が、おもむろに蘇ってきた。
潮の匂いが浜に満ちていて、海が香るたび、昼間、飲んだ海水の味を思い出す。海藻に似た、ミネラル豊富そうな、むせてしまう味覚。俺が苦しんでた横で笑う俺の友達の笑い顔がよぎった。
地面を踏むたびに軽い疼痛がするのは、サンダルの鼻緒に砂が入り込んで、親指と人指し指にあたる部分に接触しているからだ。履き替えたり、指でごしごしと拭っても不快感がぬぐえないので、波打ち際で右足を洗った。
波が来る前に、ズボンを膝まで上げた。しかし、折角、足を洗ったのに、引いていく海水に攫われた砂が、大量にサンダルへ侵入した。きりがないと足を洗うのは諦め、ひとえに、寄せて返す砂粒と波の感触を踝に受けていた。
長かったビーチも、あそこで終わりか。ビーチが終わると、岩がゴロゴロしているところに出る。瓢箪みたいな奇岩が、彼方と此方を隔てている。岩は、波の浸食を受けていて、表面がざらざらしている。こういうところによくカニがいるんだよな。明日、友達を連れてこよう。
奇岩を越えると、今度は、ドーナツみたいな岩が浜辺に身を浸している。そして、岩の真ん中に出来た、大きな水溜りに人が倒れていた。その人は、眩しいくらいの裸体で、水面下で丸くなっている。下半身は、鼠径部から砂に埋まっていた。溺死体かと思って、俺の心臓は止まりそうだった。大焦りだ。
でも、ちゃんと呼吸があった。
彼女が呼吸をするたびに、あらゆる出っ張った箇所が水面から出てきて、濡れて光沢のある肌を外気に晒した。それは驚くほど白い肌だ。それは人種的なものではないように思えた。もっと異質な、例えば海洋哺乳類的な質感をしているのだ。白さに血管のピンクが透けていて、ちょっとベタだが、水蜜桃みたいだ。
俺は、その人が、いつまで経っても潜っているので、心配になり声を掛ける。水中に居ることを考慮して、俺は音量を普段より少し上げた。すると、彼女は気付いたようで、上体が段々と起き上がる。その仕草で、平穏だった水溜りの砂は舞い、彼女の下腹部を隠すように、慌ただしく真っ白になった。
初めに、水面から出てきた頭が重そうに垂直を目指している。次に、髪の毛から永遠に透明な液体が滴っている。肩が、胸が、お腹が次々に浮上した。鯨の跳躍をスローモーションカメラで捉えた、みたいな重厚さ神秘さ。夜風に晒された表面から水分が撤退するとき、キリンのような模様がさっと現れて、すぐに消えた。
息をのんだ。彼女のアフロディーテな美しさもそうだが、それよりもっと ………………、濁りが収まると、とぐろが現れたからだ。そう、とぐろ。キリン色のごつごつしたとぐろ。俺は、そういう尻尾を持つ生物を、彼女の他に、もう一種類、知っている。それは、タツノオトシゴと呼ばれている。
彼女は、半人半タツノオトシゴだったのである。
目の前に広がる非現実的光景。絵画世界に迷い込んでしまったようだ。彼女はまるで、ゴルゴンのように恐ろしかった。それでいて神聖だった。真っすぐな瞳は、石にされても、許せるくらい美しかった。眼下に深海があって一匹の透明なクラゲが浮かんでいる、彼女は、そんな虹彩を具えている。
俺は、わけがわからない。はっきり、皆目見当が付かない。そうなのだが、求婚という文字に、どういうプロセスなのか、思考は囚われた。でも、この UMA に、どうコミュニケーションをとっていいか、分からない。俺は考えた挙句、神話的偏見から歌を採用することにした。カラオケで八十点以上かならず出す、俺の持ち歌を、君に送る。
どこまで通じたか、それは誰にも分からない。
しかし通じたことは確かで、聞き終えた彼女は、両手をいっぱいに広げ、俺に笑いかけた。イソギンチャクが一瞬、想起されたが、彼女はおそらくタツノオトシゴの類である。そして、タツノオトシゴに毒があるとは、寡聞にして聞かない。
その後、どんなことがあったかは想像で補って欲しい。気が付いたら浜辺にいた、というのは真っ赤な嘘で、途中までは覚えている。しかし、途中からは記憶にない。ま、ひと夏の思い出ってこった。だから、そんなもんさ。
後日談。
俺はビーチから帰ると、また怠惰な、夏の畳に寝そべって、バイトして、友達んちで少年雑誌読んで、帰ったら寝る、な日常が始まった。俺の腹は、怠惰な生活の頁を捲るたび、みるみる膨れていった。ダイエットを辞めたからに違いない。ビーチを訪れる前に鍛えていたのだ。だが、それから時間が進むと、肥満とかいうレベルじゃなくなった。
それで、友達に、あの夜のことを打ち明けて、これが、どういう性病なのか(話すと長くなるが、友達は性病マスターである。なんと、彼は致命的でない、ほとんどの性病に罹患したことがあるのだ。彼によると専門医は性病的童貞でありウブだそうで、俺は訳が分からないが、その凄みに圧倒された)調べてもらった。
結果だけ述べさせてもらうと、俺は妊娠していた。妊娠検査薬に縦筋が浮いていたので、まず間違いない。友達によると、タツノオトシゴは、雄が卵を体内で孵化させるらしい。なぜ性病マスターでしかない、彼がそのことを知っていたのか分からないが、とりあえず彼には感謝している。
それで、最近は友達と、生まれた子供を、どう育てるか考え中だ。それは、俺と友達による、男二人の育児が幕を開けた、ということである。つまり、俺と友と一匹の小さなタツノオトシゴの話の、始まり始まりってなわけさ。
俺と友とタツノオトシゴ 高黄森哉 @kamikawa2001
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