まるはだかだよ小春ちゃん

アサミカナエ

第1話

 夏目 唯、31歳。


 かわいい名前だろう? 悪いな、俺はおっさんだ。


 昼間はおばちゃんたちに混じってスーパーのレジ打ちをして生計を立てている、無遅刻・無欠席を誇るプロアルバイターだ。


 家は関東区内。2階建ての木造アパートに住んでいるが、家賃2.5万というところから治安は察してくれ。


 俺の部屋は2階の真ん中。手前には聞いたことない芸人がひとり住んでいる。


 そして一番奥は……。


「こんにちは、夏目さん」


「ああ、おかえり小春ちゃん」


 階段下から見上げる女の子に、俺は声をかける。


 お隣の小春ひよりちゃん。美しい黒髪と切長の瞳。そしてきりっと結んだ薄い唇が、凛としたオーラを主張する現役女子大生のお嬢さんだ。


 服装も露出が少なく、持ち物もブランド品というわけでもなく質素だが、大事に使っているのが伺える。


 どんなにそっと上がってもうるさく響く階段を、彼女がカツンカツンと鳴らして上がってくる。


 その音を背中で聞きながら、俺は自分の部屋へと向かう。ドアの鍵を開けたとき、ようやく彼女が2階へと到着した。


「……それじゃあ、ね」


 なんとなく無言で入るのもと思った俺は、そんなキモいあいさつを残して部屋に入る。彼女の方を一切振り返ることもなく。


「はあ」


 ガチャリ。後ろ手で扉を閉めてため息をついた。


 さてここからだ。


 そろそろと歩いて、狭い部屋の中央にあるベッドの上に座った。小さなテーブルに転がる短くなった煙草に火をつけ、息を吐く。一度見に来た友人が「ヤリ部屋?」と引いたほど、ベッドしかない簡素なおっさんの部屋だ。


 祈るような格好で呼吸を落ち着ける。


 隣人が部屋に戻る音がした。


 そして少しの間のあと。


『みーたん!! 聞いてぇみーたぁーーんっ!! 夏目たんがねっ、おかえりって言ってくれたの〜〜〜〜〜!!!』


 ああ……。


『おかえりなんて、もうほぼ同棲だよね!! 本当に幸せ!! どうしよう私、明日死んじゃう!? もうちょっと話しかければよかったのに、超緊張してなにも言えなかったの!! でもね、明日こそは話しかけるよ! 私から「行ってらっしゃい」って言うね!! 変に思われないかな!? きゃ〜〜〜〜〜!!』


 ああ………………始まってしまった。


 木造だってのにきみ、声でかいのよ。


 あのスンとした麗しの美少女が、家でぬいぐるみ(みーたん)に、しかもなぜか俺のことを、甘い声色で話しかけていると思うと頭がバグりそうだ。


 だって、表ではそんなの一切見せないんだぞ。


 どんな顔してそんなゲロ甘な言葉を吐いてんだろうか。一回見てみたい気もするけど、恥ずかしくて俺が気絶しそう。


「うわ〜」


 音を立てないよう静かにベッドに寝転ぶ。布団を耳にあててジタバタする俺は、今日もきっと顔が赤いのだろう。


 ただ、確実に言えることは。


 小春ちゃんの気持ちが俺にまるはだかだってことを、本人にバレてはいけない。

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