第4話

 小春さんが引っ越してきてから、数日が経った。


 そもそも俺は無口だし、電話する相手もいないしテレビも見ない。漫画なども無心で読むタイプだ。


 隣の芸人に「いつも家にいないですよね?」と言われたこともある。


 だからだろうな。


『はーい! 今日は寒いので、シチューを作りまーす。わー、ぱちぱちぱち』


 隣の小春さんのひとりごとは、初期から増しに増して絶好調になっていた。


 本当に申し訳ないと思っております。


(今さら『全部聞こえてましたよ』とも言えない……どうしよう……)


 ただ、あれから顔を合わせることもなかったし、伝えるタイミングがなかったという言い訳もさせて欲しい。


(そうだ、俺が大きなひとりごとを言って、相手に気づかせるか?)


 そんな作戦も思いついたが、かなり恥ずかしい。


 31歳おっさんのひとりごとチョイス、慎重。


『みーたん、隣の夏目さん、もう帰ってるかなぁ。きっとそろそろだよね?』


(ん? 俺の話? つか、みーたんって誰と話してるんだ?)


『エアコンも直ったし、借りてたもの返しに行こうと思うのよ。それでね、夏目さん料理とかしてるっぽい感じじゃなかったし、シチューを差し入れようかなって思うんだけど……食べてくれるかな?』


(!?)


『それとも、他人が作ったものなんて気持ち悪いって思われちゃう?』


(いや、食べる! 食べますよ!?)


 年中金欠で、スーパーの廃棄惣菜に生かされている。外食もほぼゼロ。あたたかい手料理なんて、しばらくありつけてない。


『うーん、でも他になにもお礼なんて思いつかないし、これで行く! あっ、服服〜っ』


 それからパタパタという足音が続いたあと、玄関のドアが開閉する音が聞こえた。


 俺の視線は真っ暗な玄関へと釘付けになる。


 心臓がドキドキと音を立てる。


 ピンポーン。と、予告通り玄関チャイムが鳴った。


 なんとなく忍び足で玄関へと向かい、そろりとドアを開ける。


「ご無沙汰してます、夏目さん」


 さっきの無邪気な声とはうって変わり、冷えた瞳の少女が、背筋を伸ばして玄関前に立っていた。


(あ、対面はそのキャラなんだ)


 今日は清楚な吊りワンピースに、えんじ色のベレー帽をかぶっている。


「これから出かけるの?」


「いえ。なぜですか?」


「いやその、かわいい服を着てるなと思って」


「か、かわっ!?」


 目を見開いて、パチパチと瞬きがせわしない。


 しかしすぐにコホンと咳払いをして、氷のような表情に戻る。


「……普段着です」


 さっき着替えてたよな。


「本日、エアコンが動くようになりましたので、お借りしていたものをお返しに来ました」


「いつでもいいのに。わざわざありがとう」


 ずっしりとしたブルーの袋を受け取る。


 小春さんの手元を見れば、もうひとつ小さな紙袋を持っていた。きっとそこに手作りのシチューが入っているのだろう。


「……」


 しかし小春さんは、視線をうろうろとさせて黙りこくる。


(おっさんに食べ物を与えるのを迷っているのか?)


 確かに、知らないおっさんに食べ物を与えて、変に懐かれたら嫌だろう。


 俺にそんなつもりはないが、彼女モテそうだし。男女関係で面倒な経験もひとつや二つはありそうだ。


 だったらシチューは残念だけど、俺から引くか。


「それじゃあね」


「あっ」


 ドアを閉めかけると、小春さんは残念そうにわずかに表情を崩した。


 ……本当に、俺のために用意してくれたのか?


 半信半疑で会話の糸口を探る。


「な、なんだろう、いい匂いがするな」


「あっ……今日、夕飯にシチューを作ったんです」


「それでか。いいね。俺、料理全然できないから」


「……失礼ですが、本日は何をお召し上がりになる予定で?」


「菓子パンとキャベツの千切りかな?」


「……やっぱり」


 おっ、なんか難しそうな顔。


 おっさんのリアルな食生活に嫌悪感ってところかな。一応野菜も食べてるから許して欲しいぞ。


「あのっ」


 小春さんは持っていた小さな紙袋を、俺の胸の前に突き出す。


「これ、お礼にどうぞ。栄養のあるものを食べてください」


「いいの? ありがとう、いただきます」


「では失礼します」


 始終顔をそらしていた小春さんは、俺が紙袋を受け取ると、さっと部屋に引っ込んでしまった。


 さあどうか。


 俺、無理矢理奪ってないよな?


 あの子の本音はいかに。


「やった! 渡せたよぉーーーー緊張したーーーっ!」


(素直かよ)


 彼女の叫び声が聞こえて、俺は玄関の内側でホッとするのだった。



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