モブ男とピンクの膝小僧~俺をマスターと呼ぶ美少女に日常を脅かされてます
悠木音人
モブ男とピンクの膝小僧 1話読み切り
自分の部屋は片付けられないくせに、転がったボールをカゴに入れるのは好きだ。体育が一日の最後の授業になってから、放課後の体育倉庫の片づけは楽しみのひとつだ。
皆が面倒くさがる作業をすすんでやる理由はひとつだ。
一人片付けをしていると、見知らぬ女子がやってきてこう言う。
「あの、私も手伝います」
そしてお互いの距離は徐々に縮まって、やがて二人は……。
なんて妄想ができるからだ。
「ま、そんな都合のいいこと、起こるわけないんだけど」
俺の名前はソウ。
モブとして高校生活を送ると決めたのは、中学時代のある事件がキッカケだ。その事件っていうのは……。
「なあ、ソウ。いい加減機嫌なおせよ。せっかく新しい環境になったんだ。目を開いてまわりを見ろ! 同年代の女子がいっぱいいるぜ」
そりゃクラスメイトはみんな同年代だろ。
翌朝、俺の名前を馴れ馴れしく呼んだのは、中学からの腐れ縁のスグルだ。こいつは中学の時に十人以上の女子に告白してすべて玉砕したというレコードホルダーである。こいつといること自体が縁起が悪いから、恋する男子はこいつに近づかない。
「ほっといてくれ。俺はモブに徹するって決めたんだから」
「ならなおさらだ。モブってのは適当に楽しくやってるもんだ。いつまでも過去を引きづってると、そのうち痛い目を見るぜ」
余計なお世話だ。
すぐに担任がやってきてホームルームが始まった。
転校生!?
見たこともないような美少女だった。まず髪の毛が真っ白だ。銀髪と言うらしいが、これに類するものを俺はお祖母ちゃんの白髪ぐらいしか知らない。
休み時間、彼女の席のまわりにアリ塚ができていた。最初はクラス委員長の女子、それから一人また一人と増えていった。男子は多少遠慮していたようだが、それでも目と耳は彼女に集中していた。彼女は気の毒なほど緊張していて、真っ白な髪が引き立つぐらい顔も首も真っ赤に染めていた。
あれだけの美少女だ。周囲に注目されるだけであれだけ真っ赤になるのだったら、さぞかし生き辛かろう。どちらにせよモブの俺には関係ない。俺は教室を出た。決して彼女の緊張が痛々しくて目をそむけたくなったわけじゃないぞ。
無関心をつらぬき通してまた体育の授業の日。俺はいつものように倉庫の片づけをしていた。
いったいいつからそこにいたんだろう。あの転校生の銀髪女子がひざまずいていた。砂だらけの地面に制服のスカートからはみ出た膝小僧を立てて。その膝は痛々しいくらいピンクに染まっていた。
「お、お待たせして、すみません。お迎えにきました。マスター」
「え、なに?」
「えっと、あの、ごめんなさい」彼女は気の毒なほどドギマギしはじめた。「あっ、そうだ自己紹介! き、
女子は今着替え中のはずだ。それに着替えが終わったらクラス委員長や他の女子たちに囲まれて帰宅するんじゃないのか?
それに俺が一人でいるところに女子が送り込まれてくる理由はひとつしかない。
「ああ、わかったぞ。俺をからかいに来たんだろ? 黒幕はスグルか? それとも他の奴か」
俺は体育倉庫から顔を出した。近くには誰もおらず、二人の様子を姑息な笑みを浮かべて観察している奴はいなかった。腹が立って仕方がない。こんなすぐに真っ赤になる子を悪戯に使うなんて。心臓がバクバク言って今にも倒れそうだ。
「私は、私の意志で来ました。でも決心が遅れて――」
「とにかく俺は帰る。鍵かけるから出て」
ずっと俺の前でひざまずいている彼女の膝から目が離せなかった。相変わらず顔も赤いが、膝はもっと赤くなってるじゃないか。
立ち上がると、彼女の膝には小石が刺さり、ひとすじの血が流れていた。それを見たとき、俺は心臓が跳ね上がるのを感じた。
それきり俺は彼女を見ずに鍵をかけて着替え、学校を後にした。
「くそ! くそ!」
ムカついて仕方がない。何に腹を立てているのか自分でもわからなかった。
翌朝の彼女は、昨日あんなことがあったのが信じられないほど普通だった。クラスの自分の席に借りてきた猫みたいに座っているだけだ。マスターと呼ばれて動揺したが、掃除の班長だと思っただけかもしれない。
それにあんな反応は俺らしくなかった。モブを自称するなら、美少女に話しかけられて腹を立てたりすべきではない。舞い上がって有頂天になり、たとえ勘違いだとしてもその一瞬の幸運を満喫すべきだったのだ。
「ただいま」
自宅に帰ると、いつものように誰もいない廊下に向かって言った。
「お、お、おかえりなさいませ……マスター」
「っ!? お、お前は。キサラギ、キラ!?」
言ってて恥ずかしい。なんだこの呼ぶだけで幻惑されそうなキラキラネームは!
「はい、はじめて名前で呼んでくださいましたね。マスター」
そう言うと、目をウルウルさせて俺を見つめた。ご丁寧に玄関のたたきに例のピンクの膝小僧をむき出しにしてひざまずいている。
「ここは俺んちだぞ。母さんたちは出張中で留守だってのに……。どうやって入ったんだ?」
「それは……。いいえ、そこは問題ではありません」
「いや、問題大ありだろ!」
彼女はゆっくりと立ち上がり、制服のシャツのボタンをゆっくりと外す。
「マスターはご自身を見失っています。ですから私がお迎えにあがったのです。あなたの場所にお連れするために」
言うなり、キラは俺の手をとって彼女の胸に誘導した。そこにあったのは柔らかなふくらみと、硬い何かだった。
「な、なにを!? いや、なんだ……これ」
「あなたの持ち物です」
俺はゆっくりとそれを持ち上げた。それはナイフだった。
「こんなもの、どうやって隠して……」
「マスターのは、硬くて大きいですから」
キラはそう言って頬を染めた。
「ん……」
いや、反応するな俺。キラはしゃべる度に顔を赤くしている。今のセリフに特別な意味はないはずだ。
「それは私たちにとっての聖剣。あなたの血によって完成します」
「俺の、血!?」
「それで、あなたはその剣の所有者となります。私の血を重ねれば、私たちは強い絆で結ばれます。どうかお願いします、マスター。私をあなたのものにしてください」
「ちょ、ちょっと待って。いったいなんの話? 血って、怪我したら出るあれのことだよな?」
「いえ、心配はいりません。痛みはしばらくありますが、すぐに幸福感で満たされます」
「えっと、ごめん。やっぱり何の話か説明して欲しいかな」
「あなたがその剣の所有者であることを否定するのであれば……」
「否定、するなら?(ごくり)」
「この場で自害します!」
キラは俺の腕をつかんで剣先を喉に当てた。とても冗談には思えない。
「わ、わかった。わかったから落ち着いて。急展開すぎて追いつけないだけだってば」
「は、はい。取り乱して申し訳ありません。そうだ、夕食の準備をしますね」
彼女はヒヨコのような動きでキッチンに収まると、かけてあったエプロンを腰に巻いて冷蔵庫を覗き込んだ。俺はその間にナイフを、彼女が聖剣と呼んだ武器を自分のベッドの陰に隠した。こんな物騒なものが目の前にあったんじゃ、俺も彼女も危険だからな。
とりあえず彼女をあまり刺激しないように話をしてみよう。何か手を打つのはそれからでも遅くない。
「冷蔵庫にあった材料だけで作りました」
彼女のオムライスはうまかった。とても。
「うまい。うまいよ」
「あ、おわ、おわりがとうございまじゅ!」
「泣いて感動するほどのことか? それと、如月の分はないのか?」
「はい、作りながら味見をしたので。あの、もし一週間後に死ぬとして、マスターがやり残したなって後悔するのはどんなことですか?」
「ごほっ、ごほ。な、なんだよそれ。考えたこともないし何も思い浮かばないな。あはは、死ぬ間際にそんなことじゃ、きっとアタフタするだろうね」
「慌ててしまいそうですか?」
「そりゃそうだよ。だって余命を告げる秒針がチクタク鳴ってるんだ。今いる道が行きたい場所につながってなかったりしたら最悪だよ。今の自分が……」
キラが何かに気づいたのか、僕の食べているオムレツを見てモジモジしている。
「どうしたの? やっぱりお腹すいた?」
「お願いがあるんですけど」
「なに?」
「あーんってしてもらえますか?」
「え、えっ、え!?」
キラがイスから腰を浮かせ、テーブル越しに顔を近づけてくる。恥ずかしいのか目を泳がせ、小さな口を半開きにする。
「あの、早くしていただけますか? 恥ずかしい、ので」
こっちだって心臓が張り裂けそうだ。なんて無茶ぶりしやがる。俺は恐る恐るオムレツをすくったスプーンを彼女の口に近づけた。くそ。心臓の音がこいつに聞こえちまう。
「あ、ん。ん。んっ。おいしい。マスターにあーんしてもったオムレツ。とっても美味しいです」
「なんでいきなりこんなこと……」
「ふふ、私の死ぬ前にやりたいことリストのひとつですから」
夕食が終わると、キラはまた来ると言って帰っていった。明日はお泊りの準備をしてくるそうだ。それまでに話をつけないと、また同じことが起きてしまう。
翌日、また事件が起こった。上級生の中で女子に人気が高く、しかも他校の女子を何人も食い物にしているという噂の毒蛇男がキラを教室から連れ出したのだ。
教室は騒然となったが誰もキラを助けに動こうとはしない。
俺は目立たぬように教室を抜け出した。自分が助けようなんて思っちゃいない。彼女がどこに連れ去られたか確かめておくだけだ。
「きれいな銀髪じゃないか。うちの学校は髪の色にうるさくてね。キミのことでもだいぶモメたらしいよ。黒く染めさせるべきだって。それに断固反対したのが僕たち部活連だ。キミには感謝して欲しいね」
毒蛇男はキラの髪を撫でながら、怪しく瞳を輝かせた。
「あ、ありがとうございます。それで他の部活連の方は? ここ家庭科室ですよね?」
「もう揃ってるよ。ほら、ここに料理部の連中がもらったトロフィーがあるだろう? これ、僕がいただいた女の子の数と同じなんだ。でも、キミみたいな子は初めてだ。キミに見合うトロフィーなんか料理部の連中じゃあ手に入れられないだろうね」
「その汚い手を放せ、毒蛇野郎!」
俺は踏み込んで叫んでいた。上級生にこんなセリフを吐くことができたのは、近くに落ちていた破れた割烹着袋を頭にすっぽりかぶって顔を隠していたからだ。
「なんだお前」
「俺は、お前に手を出された女の、か、彼氏だ」
「な、なんだって!?」急に動揺し始める毒蛇男。「他校の生徒がなんでここに!」
「俺はこの学校の生徒だ。お前はこれまで足がつかないように他校の女子を食い物にしてたんだろうが、この学校にその子たちの親友や彼氏がいるってことを知らなかったようだな」
俺は口から出まかせを言っただけだが、毒蛇男は明らかに狼狽していた。
「それで、どうするってんだ!」
「こうするんだよ」
俺は包丁を構えた。毒蛇男がキラを盾にして隠れる。
「お、お前、そんな危ないものはしまえ!」
「よく言うよ。お前に傷つけられた女の子の痛みを教えてやろうってんだ。ありがたく思え」
包丁はプラスチック製だった。こんなものではバナナぐらいしか切れないだろうが、ちょうどいい。奴のバナナを切り落とせば、もう悪さもできないだろう。
そんな冗談を考える暇があったのは自分でも驚きだが、自嘲が表に出ていたらしい。いかにもヤバそうな奴の声になっていたようだ。
「やめろ! やめろー!」
恐怖のためすっかり毒気の抜けた先輩を無視して、俺はキラの手を引いて走った。
その場から抜け出してまもなく、俺はすぐにその手を放して階段を駆け下りようとした。
「マスターはやはり、私が思ったとおりの方です」
「俺はマスターなんかじゃない。ただのモブだ」
自宅に帰るとキラではない女がいた。
「先生?」
「ええ、副担任の
「あ、いえ(正直名前は憶えてなかったけど)。あの、家庭訪問なんてありましたっけ?」
先生は俺にぐっと体を寄せた。香水や髪の匂いが汗の匂いと混じって鼻孔を刺激する。これは、女教師が男子生徒に嗅がせてはいけない類の匂いだ。
「迷惑をかけたわ。片づけはしておいたから」
そう言って出て行った。
その日、キラは家にこなかった。
キラは翌日の学校にも姿を見せなかった。
それどころか、あれだけチヤホヤしていたクラスの連中が、彼女が登校していないことに何の疑問も感じていない。俺は妙な胸騒ぎがしてスグルに言った。
「なあ、キラを見なかったか?」
「あん? 何の話だ?」
「如月キラだよ。転校生で、お前が大好きな美少女の」
「なんだそれ。いいか? 舐めてもらっちゃ困る。俺はこの学校はおろか近隣高校の美少女はすべてチェックしてるがな。そんな名前の女子はうちの学校にゃいないぞ」
『片づけはしておいたから』
昨夜の副担任の声が頭の中に響いた。
「おかえりなさい」
帰宅した俺を副担任のマナミが出迎えた。なぜかエプロンをして、廊下の奥からは食欲をそそる匂いがただよっている。
「これ、借りたわ。なんか新婚夫婦みたいで楽しくなってきた。ねっ、おかえりのキスは?」
「キラはどこですか?」
「もう、ソウくんったら、ノリが悪いなあ。ねえ、聞いてもいい? あなた、中学の時に失恋したわよね。それもずいぶんヒドい目にあったとか」
「っ!」
一気に頭に血が上って目の前が暗くなり、気がつくと俺は部屋のベッドで彼女を押し倒していた。
「もう強引なんだから。玄関でキスをお預けにしたと思ったら、いきなりベッドに押し倒しちゃうなんて」
「黙れ! なんでお前が知ってる?」
「お前、じゃなくて先生でしょ? そっか、マナミって呼びたかったけど恥ずかしくて呼べなかったのね」
マナミが俺の股間に手を伸ばす。その手を俺は払いのけた。
「もう。がまんしなくてもいいのに。あなたは知らなかったのよね? 彼女には付き合ってる相手がいたこと。いいえ、生徒で知らないものはいなかった。あなた以外は。あなたは彼女に夢中になるあまり、周りが見えなかった」
「やめろ」
「別に恥ずかしいことじゃないわ。あなたは学校中に笑いを提供したんだもの。記憶に残る偉業だわ」
「やめろー!」
俺はマナミの胸倉をつかむ。ボタンがはじけ飛び、胸のふくらみが揺れた。
「私を非難するのはお門違いよ。あなたが自分で決めたことだもの。あなたが望んだモブとしての生活はどう? とりたてて面白いことなんかないけど、そこそこ楽しいって顔に書いてあるわよ」
たしかにスグルに連れまわされて美少女を陰から見守るのは楽しかった。自分から手を伸ばしたりはしないし、そんな危険は冒さない。遠くから見守るだけの密かな楽しさを。
俺はマナミから降り、彼女の横に寝ころんだ。
「あら、しないの?」
だが、そんな俺の生活に踏み込んできた女がいた。面倒くさい奴だったけど、なぜか俺を信頼してくれていた。だけどそれが目障りだった。俺は彼女が言うような人間じゃないのに。
手をベッドの下に伸ばすと、硬くひんやりしたものに触れた。
『拒絶するなら私はこの場で自害します!』
ハッキリと彼女の声が聞こえた。目に浮かぶ銀色の髪。まっすぐに見つめる瞳。
俺はゆっくりと起き上がった。
「お前、いったい何者だ? 彼女を返せ」
「危ないからそんなものしまいなさい」
「いいや。放すもんか。こいつは彼女が俺にくれた聖剣だ」
俺はベッドから降りてマナミから離れた。
「聖剣? それが? 何の冗談よ。それ」
「な、何言ってる!」
「そんなみすぼらしいナイフが聖剣のわけないでしょ。聖剣は私が処分したもの。ここには何も残ってないわ」
「は?」
俺は手にしているものを見た。たしかにあのときキラに聖剣だと言って渡されたものだ。だがよく見れば刃先が曇り、刃こぼれもしている。こんな刃物を聖剣と呼ぶのだろうか。
「な、なんだろうとかまうもんか。彼女を返せ」
「私は彼女を連れ去ったりしてないわ。私はあの時聖剣を回収に来ただけだもの」
「え、だって」
「彼女はあなたが捨てた想いの残りかす、
俺が捨てた想い? 何を言ってるんだ、コイツは。それに、コイツが言うように聖剣を回収し、キラも消えてしまったのなら、なんでまだコイツはここにいる?
「渡さない……」
「はあ、しかたないわね」
マナミは瞳を怪しく輝かせ、頭から角のようなものを出現させた。手をムチのように伸ばし、威嚇するように床をたたいた。
くそ。なんなんだこの化け物は。
「それを持っている限り、あなたの痛みはなくならないのよ」
姿に似合わぬ優しい声をかける目の前の化け物は、触手のようなものを伸ばして俺から剣を奪おうとする。俺はその触手を薙ぎ払った。
「無駄よ! そんなことをしても傷が深くなるだけ。早く楽になってしまいなさい」
触手は切っても切ってもキリがなかった。さばききれない触手は俺の手足にあたり、骨がきしむような痛みを与えた。このまま殴り続けられれば意識を失うかもしれない。俺は意を決して彼女に突進した。
しかし彼女の体に突き立てようとした剣は、見えないバリアに跳ね返された。
「どうして」
「ふん、そんなへっぴり腰で剣を振り回しても何も変わらないわ。あなたの過去が変えられないようにね!」
『好きです。付き合ってください!』
俺は叫ぶように告白した。自分の勇気を褒めたい気分だった。フラれたってかまうもんか。精一杯やったんだから。
だけど彼女の反応は予想と違った。何も答えず、信じられないという面持ちで口を開きかけただけだった。そのうち男がやってくると、彼女は彼の腕にしがみついて去っていった。
「いいや、お前を倒して俺は変わる。変わるんだ」
先ほどよりも強く剣を振り下ろした。二度目となればさすがに剣を握る腕にも力が入り、思い切りもよかったはずだ。しかし剣は跳ね返された。
「無駄よ。あがこうとすること自体、無駄なのよ」
彼女が去っていったあと、すぐに彼氏のいる女子に告白した間抜けな生徒の噂が広まった。どんな言い訳も通用しないと悟った俺は、その日以来ただ耐え忍ぶだけの生活。自殺しようと川で自分の首にナイフを突き立てたこともあった。怖くてできなかった。
悔しくて悔しくて、夜になると俺はいつも涙と一緒に鼻血を流していた。
『あなたの血であなたがその所有者になります』
彼女が言ったのを思い出した。ただの戯言と思って聞き流していたが、もしかしてこの剣はまだ力を発揮してないのか?
俺は親指を刃に当てて撫でるように動かした。すぐに傷口から流れ出た血が剣の先へと落ちていく。ほんの少し傷つけただけのつもりだったが、痛みはどんどん酷くなっていった。
「い、痛ってー」
まるで剣が血を吸っているみたいだった。傷口にぐりぐりと舌を入れられてるみたいだ。
その隙をマナミは見逃さなかった。正面から一撃をくらって俺は壁まで吹き飛ばされた。
「痛いですか? 私に甘えればすぐに痛みを消してあげますよ」
「いやだ。この剣は俺のものだ。これで、お前を……」
「仕方がありません。その腕ごともらいます!」
言うなり、触手のひとつが大きなナイフの形になって振り下ろされた。一瞬、腕が切り落とされたと錯覚したが、何かの力によって刃は俺の腕の数センチ手前で止まっていた。
「ちっ、まだここに」
「マスター、私を思い出してくれてありがとうございます」
突然目の前に現れたキラがマナミの触手を軽々と持ち上げ、根元から切り落とした。
「き、キラ!? お前どこから」
「ずっとここにいましたよ。マスターの血でたった今復活したのです」
「ずっと? ならなんで出てこなかった」
「申し訳ありません。一言でいえば私は聖剣そのものです。エネルギーが枯渇して人の姿を失っていましたが、マスターの血で元気になりました」
キラはニコリと笑うと、血の涙が頬を伝った。そのしずくを指ですくい取り、俺の唇に当てた。
「あのときあなたが流した血の涙です。きっとお役に立てるでしょう」
自殺しようと首に突き当てたナイフは、ためらい傷から流れた血で汚れた。あの時の血が、今キラの頬から俺のもとに返ってきた。
「この死にぞこないの生意気な女が!」
マナミが触手ごと突っ込んでくる。俺は剣とともに奴に突っ込んでいった。俺の手をキラが支える。彼女が光り輝き、俺の体を温めた。恐怖心も消えていた。
「ずっとそこにいたんだな、キラ」
「はい、これからも一緒です」
そして俺たちはマナミを
日常が戻ってきた。
以前よりも少しだけクラスに溶け込んだ、モブらしい生活。中学の黒歴史などなかったように心は晴ればれとしていたし、こそこそ隠れるような生活から解放されたとはいえ、何かが物足りなかった。
転校生のキラや副担任として就任したはずのマナミの記憶はクラスメイトにはない。それとなく確認したけれど、そのような記録は職員室のどこにも見当たらなかった。
あれは何だったのかと窓の外を眺めていると、にわかにクラス内が騒がしくなった。ホームルームで転校生が紹介されたからだ。見覚えのある銀髪と顔。
気が付くと俺は席を立ちあがっていて、クラスの連中が注目している転校生の前に立っていた。
「キラ、だよな?」
「え!? あの、えっと」
「助けてくれたお礼が言いたかったんだ。また会えるなんて! 俺、俺は……。キミがいなければ何もできなかった。でもキミがいてくれたから、俺はちゃんと向き合えたんだよ!」
「おーい、ソウ? 落ち着けー、落ち着くんだソウ!」
冗談めかして俺を羽交い絞めにしたのはスグルだった。俺を教室の後ろへと引っ張っていく。
「お、おい、スグル。何するんだ。俺は彼女に話が!」
「ま、いったん落ち着こうぜ。転校生の女に興奮するのはわかる。だが、相手のことを知りもしないで告白するのは迷惑以外の何物でもない」
「お前がそれを言うか! は、放せ」
「すみませーん、こいつ気分が悪いんで保健室に連れてきまーす」
その後、俺はスグルに説教された。告白云々についてはスグルに言いたいことは山ほどあったが、転校生の名前が
「中学の時の二の舞だぞ? また学校中の噂になりたいのか。俺はもうお前のあんな姿を見たくないんだよ。告白するなら時を待て。俺がコツを教えてやるから」
教室に戻ると、彼女が俺の顔を盗み見てすぐに顔をそらしてしまった。その後の休み時間も俺の視線を避けるようにして、周囲からあれこれ話しかけられるのに対応していた。
放課後、俺は体育倉庫でいつもの片づけをしていた。
「やっぱりキラのことは夢だったのか? ま、夢オチなんていかにもモブっぽい結末だよな」
俺は拾い上げたボールをカゴに投げ込んだ。
俺の物語は終わったのだ。
私の名前は西村沙織。父親の転勤で転校してきた。
人付き合いが苦手な私だけど、ハーフの私はこの銀髪のせいで常に好機の目にさらされる。父は気にせず堂々としていろと言って染めることを許してくれない。新しい学校の校則は厳しいと聞いたとき、今度こそ髪を目立たぬように染められると思った。だけど職員会議で地毛を染めさせるのは人権侵害だという理由で私が髪を染めるのを強制しないことになってしまった。どうして? みんなと同じ色に染まったらクラスで浮いたりしなくて済むのに。
転入の挨拶で男の子が私を別の名前で呼んだ。
初対面なのに私にありがとうと言った。私のおかげで向き合えた?
何を言ってるのかしら。逃げているのは私の方なのに。
でも確かめたい。彼はなぜ知っているのかを。
「あの」
私は体育の授業のあと急いで着替え終わると、彼が片づけをしていた体育倉庫に走った。
「私のこと、どうして別の名前で呼んだんですか?」
「僕にはキミと同じ姿をしたキラっていう大切な人がいたんだ。ずっと逃げ続けてた僕を前向きにさせてくれたのは彼女だ。だけどお礼を言おうとしたら彼女は消えてしまって」
キラ。それは生まれ変わることを夢見て自分自身に付けた名前だ。小学生のときに夢と一緒に捨ててしまったけれど。
知りたい。私と同じ姿をしたキラって名前の女の子のこと。彼女が目の前にいるソウという男の子をどう変えたのか。もしかしたら彼女こそ、私の理想かもしれないから。
「あの、そのキラっていう人のこと、詳しく聞きたいんですけど。これから時間、ありますか? あっ、いけない! これからお料理教室が……。そっか、試食してくれる人を連れてきてもいいことになってるんです。よかったら食べに来ませんか? オムライスが嫌いじゃなかったら」
モブ男とピンクの膝小僧~俺をマスターと呼ぶ美少女に日常を脅かされてます 悠木音人 @otohitoyuuki
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