異世界に飛ばされるにあたり、言語の壁を乗り越えることになった

藤間伊織

第1話

ある日散歩していた俺は、道路に飛び出す子猫に遭遇した。

気づけば体が勝手に動いていて、子猫をかばい道路に飛び出していた。

死の間際には世界がスローモーションで見えると聞くが、俺もそうだった。重力につられて倒れる体、迫り来るトラックのフロント部分。そして俺の腕の間をすり抜け、たくましく跳躍する子猫。


次の瞬間には視界が暗転していた。


一瞬目が開いたのに気づかなかったのは辺りが真っ暗だったせいだ。

落ち着きなくキョロキョロしていると、柔らかな光が背後から差した。振り返るとそこに一目で女神だとわかる女性が立っていた。


「あなたは生前の行いが認められ、転生することとなります。では、良いセカンドライフを」


それだけ言うと、俺が聞き返す間もなく、再び俺の体は下に落ちた。



背中の柔らかい感触と心地よい温かさ、額の薄ら冷たい感覚に意識をはっきりとさせられた。

ガバッと身を起こすと、視界の隅で慌ただしく動く影を捉えた。そこには若い女性、バンダナのようなものを被り、ワンピースらしいものを着た村娘風な女が立っていた。

今、俺はベッドに寝ている。手の中に湿った布が落ちていた。木でできた家に、レンガ造りの暖炉。そこにはパチパチと控えめに炎がはぜていた。


「あんたが……看病してくれたのか」

体のどこにも痛み等異常は無く、声も問題なく出る。恩人と言えるであろう人物に声をかけたが、予想より長い沈黙が続いた。


「&◆※◎▽∞?」

返事は返ってきたのに、俺はショックで何も言えなかった。この娘は何を言っているのか?日本語でも英語でもなく、俺の知ってるどの言語の特徴ともかすらない話し方で、娘は話しかけてきた。


「すまない、言葉がわからない」

などと言って伝わるはずもなく。お互い困惑しながら見つめ合う時間が流れた。


異世界転生だのと言っていたな。俺はあまり読んだことないが、そういう場合、基本的な壁はご都合主義で消えるのでは無いのか?仮にあったとして、解決策やヒントひとつ提示されないとはいかがなものか。それとも俺はこれから、この人の話す言語を理解する冒険にでも出ろと言うのか。


うだうだ考えていると娘が飛び出して行った。こういうのはハーレムをつくれたりするんじゃなかったか。よく知らないし、別に衝動的で自己満足に過ぎない恋愛に興味も無いが。


バン!と勢いよく開いた扉からは娘と、瓶底メガネに爆発した白髪頭を持った年配の男が入ってきた。

入ってくるなりぐちゃぐちゃ喋り出す男は、当然何を言ってるか理解できないし、出来たとしてこんなに早口でまくし立てられては返事も出来ない。

「本当にあなた達がなんて言っているのかわからない」

一応こちらも話してはみるが、向こうだけ都合よく俺の言葉を理解するとは思えない。


突然男に腕を掴まれて、家から連れ出された。ずんずん歩くその背を見ていることしか出来ない俺は、ちょこちょこ転びそうになりながら必死に足を動かした。

何軒も家を通り過ぎ、そろそろ村の端まで来ただろうという頃、ちんまりとした絶妙に歪んだ家に着いた。にゅうっと伸びた長い煙突すらだらしなく曲がっていた。


「¥※^≫◇!」

中に入ると、俺の腕を引っ張っていた男の、孫くらい歳の少年が声を掛けてきた。

ここに連れてきた男は俺を乱暴に椅子に座らせ、ごちゃついた机の上を引っ掻き回しつつ、少年に何か指示を出した。

少年がてきぱきと草や瓶入りの液体を家中から集めてきて、それを男が次々と受け取る。何をしているかは陰になって見えないが、ゴリゴリ、コポコポと音がしたり、カチャカチャと固いものが鳴る音を聞くに、調合でもしているらしい。

苦い匂いが漂ってきたかと思うと、男がくるりとこちらを向き、ビーカーに入ったドブみたいな色の液体を突きつけて何やら言った。中身は不自然な流動を続けているが、飲めと言うのか?

少年がコップを持ってきて移し替える。ハッとした顔をして、ふーふーと息をふきかけた。確かに熱そうだがそういうことではない。というか、今蛍光緑に光らなかったか?俺は実験動物にされるのだろうか。

なかなか動かない俺に痺れを切らしたのか、男が俺の背後に回った。片手で俺の両手を後ろに拘束し、もう一方の手で俺の口をこじ開けた。こいつ、見た目の割に力が強い!

少年がコップを口元に近づける。ちらっと見えた中身は先程のドブ色ではなく、何故か鮮やかな青になっていた。怪しいことに変わりはないが。

ぐっと液体を流し込まれ、無理やり口を閉じられる。喉を少し押さえられ、反射的に飲み込んでしまった。


「……どうだ?成功したか?」

背後から声が聞こえた。驚いていると、

「博士!成功みたいです!」

と少年が笑顔で言った。


言葉がわかる……!何をしたのか、と言おうとして、俺は気づいた。


声が出ない。


正確には口、いや体が動かない。

「……何か様子がおかしくないか?」

正面に回ってきた博士という人物に異常を伝えようとしたが、視線をやるだけで精一杯だ。そのうち椅子に座っているのも難しくなり、俺は重力のまま床に崩れ落ちた。

若干ホコリっぽい床と力なく投げ出された自分の手が見える。

「大変です、博士!患者さんが!」

「一体なんだと言うんだ!何かまずいものを入れてしまったか?!」

少年が近寄って俺の頭を持ち上げ介抱にあたる。男は机の上に散らばった材料を見てブツブツと言っている。


「これは……!」

「どうしたんですか、博士?」

振り返った男の手には一束の草が握られていた。

「こいつはワシが今朝採ってきた薬草だ。最近見つかったものでな、精神安定作用のある薬草とよく似ている。気をつけるように言うのをすっかり忘れていた……」

「じ、じゃあ僕のせいで……!」

「いや、悪いのはワシだ……」

美しい師弟愛か何かを見せつけられた。なんだか胸が苦しくなった。


「そ、それで博士……患者は一体どうなっちゃうんですか!」

「入れたのはそこそこの量だった……。こいつは本来麻酔などに使われる予定のものだ。筋弛緩作用を持っているからな。恐らくは……」

そこで男は言葉を切り俯いた。

どうやら胸が苦しくなったのは俺の感受性故じゃ無かったようだな!いつの間にかまぶたも勝手に閉じているものなぁ!おい!


「そんなぁ……」

ぽたぽたと顔に温かい液体が落ちた……気がする。もはや感覚もおぼつかない。手足が冷えきっていることだけはわかる。


ぐっ……息が……。



パチリと目を開けるとまた真っ暗な空間にいた。

ぱあっと背後が輝き、女神がいた。


「可哀想なので元の世界に戻すことになった」


それだけ言うとまた落下が始まる。ずいぶん雑だな。一回目の倍速くらいで進んだぞ。



今度俺を迎えてくれたのは残念ながらふかふかのベッドでは無かった。硬くてゴツゴツした感触が俺の頬を刺激した。

ゆっくりと身を起こすと先程の道路のど真ん中。トラックも子猫ももういなかった。

それにしてもずいぶん危ないところに放置してくれたな。轢かれたら責任取ってくれるのか。

心の中で悪態をつきながら歩道へ移動する。多少ふらついたが頭ははっきりしていた。ある程度の安全地帯へ逃れると、精神的な疲れもあり座り込んでしまった。

顔を上げると、通行人と目があった。変なやつだと思われても仕方ないか……。

俺のそばをたまたま通りかかったその女性は、心配そうに声をかけてきた。


「:◇◎*▼§?」

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異世界に飛ばされるにあたり、言語の壁を乗り越えることになった 藤間伊織 @idks

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