子守唄を重ねて

 古志加こじかは夢を見る。



 あたりは白い薄靄うすもやに包まれている。

 薄日がさし、もやにあたると、キラキラと小さくきらめく。

 向こうに一人のおみながいる。


(あっ!)


 母刀自ははとじだ。

 頬はつやつやとし、朱色の麻袋を握りしめている。


「母刀自、母刀自!!」


 走り、そばに駆けよろうとする。

 おかしい。

 足が重い。

 うまく動かない。

 下を見ると、沼地だった。

 いつの間に。

 バシャリ、バシャリ、足を沼から引き抜きながら足を進めるが、母刀自との距離は一向に縮まらない。

 どうして。


「母刀自……!」


 手を取りたい。

 抱き合いたい。

 泣きあいたい。


「助けてあげられなくて、ごめん……!

 死の間際に、そばにいてあげられなくて、ごめん……!

 一人にして、ごめん!!

 怖かったでしょう、無念だったでしょう、あたしを許して……!」


 そう叫ぶと、母刀自は目を見開き、悲しそうにかぶりをふり、その後、悲しいまま、ニッコリと笑って、自分の頬を二回、トントンと指でつついて、


 ────笑って。


 と、声は聞こえてこなかったけど、たしかに口がそう動いた。


(ああ……!!)


 古志加の目から滂沱ぼうだの涙があふれる。


(母刀自に笑ってと言われた。

 そう言われたら、あたしは笑わねば。

 無理にでも、笑わねば。)


 古志加は足を止め、顔に力を入れ、笑顔を作った。

 母刀自は、うん、うん、と二回、笑顔でうなずいてくれた。

 そのまま、ゆっくりと遠ざかりはじめる。


「待って!」


 慌てて、また重い足をすすめながら、


(会えたら、言いたいことが沢山あった!)


 多分、これは。

 本当のお別れ。

 最後のあいさつに、来てくれた。


(言わなきゃ、早く!)


「母刀自、あたし、上毛野かみつけのの衛士団えじだんに入れたんだよ!

 おみなで一人だけなの、すごいでしょう?

 ろくもでるの、一人で生きていけるんだよ!」


 すごいね、というように母刀自はうなずいてくれる。


「母刀自以外にも、あたし、抱きしめてもらったんだよ。

 すごく嬉しかったの。

 あたしも沢山の人を、抱きしめてあげたんだよ……!」


 えらいね、というように母刀自はうなずいてくれる。


「あたし、恋いしい人ができたの。

 三虎っていうの。

 すごく恰好良くって、強くて、優しいの……。

 あたしのこと、息もできないほど、強く抱きしめてくれる人なの……。」


 また母刀自はうなずき、……ますます、遠ざかる。

 行ってしまう!

 まだ何か、まだ何か……。

 一生懸命、足を進めながら、


「母刀自! あたし、子守唄も歌えるようになったんだよ!

 母刀自が歌ってくれた唄だよ!




 菅叢すがむらのや、


 はれ、小菅叢こすがむらのや、


 むらのや、 むらのや、


 ば、我こそ かいらめ……。」




 


 遠ざかる母刀自が、はっ、とした顔をした。

 そして、心から嬉しそうに、朝露がきらめく花のように、笑った。

 手には、不思議な、甘い、素晴らしい味のくるみを持ち。

 頬には宇万良うまらの香りの練り香油を塗り。


 歌いはじめる。


 声は聞こえないけど、古志加の歌い続ける子守唄に、口の動きが重なる。

 唱和する。

 嬉しそうに、唄を、うたう。

 子守唄を重ねて。




 そして、さあっ、と霧の風が吹いてくるように、古志加に母刀自の想いが届いた。

 温かい、泣きたくなるような優しさで、


 ────古志加、幸せに……。


 古志加は、子守唄を途切れさせないよう、ずっと歌いながら、ずっと涙を零しながら、


(母刀自、ありがとう。大好き……。)


 足を止め、両腕を愛おしく母刀自へ伸ばし、


(さようなら……。)


 心で想いを届け、母刀自を見送った。





    *   *   *





 花麻呂は夢を見る。




 あたりは白い薄靄うすもやに包まれている。

 一人のおみなが歌っている。

 嬉しそうに、笑顔で、……三十歳くらいの女だろうか?

 けっこう遠くに立っている。

 手には朱色の麻袋を握りしめている。




 菅叢すがむらのや、


 はれ、小菅叢こすがむらのや、


 むらのや、 むらのや……。


 



 知らないおみなだ。髪がくるくる巻いている。

 その女が、すっ、とこちらを笑顔で見た。

 そして、何も持っていないほうの手で、花麻呂の胸のあたりを指差した。

 すると、さあっ、と領巾ひれのような、やや冷たい感触が胸に触れ、すぐさま背中まで冷たさが抜けた。

 この感触は知ってる。


「ははぁん……。あなたですね? オレに胸の冷たさや、腹痛をおこさせたのは……!」


 腹痛は本当にひどいもので、


(い、一歩も動けなイイイ!)


 と声が裏返ってしまうほどのものだった。

 恨めしい顔を作ってやると、女がすまなそうに笑って、


 ────ごめんね。


 と口が動いたようだ。

 声は聞こえなかった。


(おや?)


 おみながごめんね、と口を動かした時も、あたりに満ちている歌声は途切れなかった。

 この女が歌っているわけではないようだ。

 女はゆっくりと遠ざかりながら、ふわりと、言葉、いや、心……。想いの波のようなものを花麻呂によこした。


 ───古志加を、ありがとう。


「いえいえ、どういたしまして。オレもやぐらの時は、命を助けられましたよ。」


 花麻呂は人好きのする笑顔で、爽やかにかえした。



 おみなは嬉しそうに笑いながら、歌い続け、遠ざかっていった。

 そこで一つ、ふりはじめの雨がぽとん、と肌に落ちたように、ほんの少しの悲しみが花麻呂の胸におとずれた。


(ん?)


 知らないおみな

 なぜ、悲しいのだろう?

 花麻呂は爽やかに笑って、女を見送りながら、


(ああ、お別れだからかな?)


 と思った。

 きっともう、この不思議で理不尽で、古志加の命を救える虫の知らせは、オレには来ない。

 




   *   *   *





 日佐留売ひさるめは夢を見る。




 あたりは白い薄靄うすもやに包まれ、おみなの子守唄で満ちている。

 ずいぶん空の高いところで、一人のおみながぷかぷか浮きながら、嬉しそうに、笑顔で歌っている。




 


 むらのや、 むらのや、


 ば、我こそ かいらめ……。





(浮いてるわね……。)


 頬がつやつやとし、朱色の麻袋を握りしめている。

 知らないおみなだ。髪がくるくると巻いている。

 古志加の髪にそっくり……。そういえば、この歌声も、古志加の声にそっくりだ。

 女が柔らかい笑顔のまま、こちらを見、目があう。

 すると、さあっと女の心のようなものが、光の波となって日佐留売に届いた。

 声ではなく、想いとして。


 ────ありがとう。


 日佐留売にはわかる。

 この想いの温かさ、切なさ、どこまでも深く、相手を包み込むような限りない大きさの愛。

 それを持って、ありがとうと言うならば。

 愛する子を想う母刀自が、子のお礼を言う時。


(ええ、わかりますよ。

 あたしも、子を持つ親ですから。)


 どんどん空の遠い、高い処へ遠ざかるおみなに、


「いいんですよ。どういたしまして。」


 と日佐留売はニッコリ笑顔をむけた。

 とうとう女の姿は空に溶け、目には見えなくなった。

 日佐留売は最後まで見送った。


 優しい子守唄が陽の光のように、空から降り注いでいた。












挿絵、36 〜助けてあげられなくて、ごめん〜

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077176843373


挿絵、37 〜頬を二回、トントン〜

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077177117803


挿絵、38 〜あたしは、笑わねば〜

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077177622281


挿絵、39 〜子守唄を〜

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077178008273


挿絵、40 〜重ねて〜

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077178329296


挿絵、41 〜両腕を愛おしく伸ばしながら〜

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077178660899


挿絵、42 〜花麻呂を指さした〜

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077179365614


挿絵、43 〜なぜ、悲しいのだろう?〜

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077179469933


挿絵、44  〜日佐留売ひさるめにはわかる〜

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077179900029

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