桜が咲く前に
朝霞肇
桜が咲く前に
元カノが結婚式を挙げる日は、私が死ぬと決めている日だった。
一応言っておくとこれはまったくの偶然だった。私が死ぬのは元カノが結婚すると知るよりはるかに前だし、私が死ぬのに元カノは何も関係がない。
今年25歳になる私は、たぶん他の人よりはちょっと嫌な経験をして、他の人よりはちょっと弱くて、生きていくってことに向いてなかったんだと思う。
だから私は自ら命を絶つことに決めた。どこにでもあるありふれた話で、取り上げるようなものでもない個人的な話だ。
私は自分でもいうのはなんだが真面目な性格だ。死ぬにあたっても、なるべく人に迷惑をかけたくはなった。
迷惑ゼロが無理なのはわかっている。人間なんて生きてても死んでも人に迷惑をかける。だけどできる限りはゼロに近づけたかった。
仕事は必要なものを終わらせきっちりと引継ぎをして円満に退職した。私物も処分し、アパートもきっちり引き払うことになっている。サブスクリプションもすべて解約した。クレジットカードやスマートフォンの解約も手続きは住んでいる。参考にと終活についての本を読んでみたが、あれはいつ死ぬかわからないから準備しようという内容で、これから死ぬ人の役にはあまりたたなかった。
なんにせよ、死ぬ準備は万端だ。あとはもう死ぬだけという段階まで来ている。
そんな時、私は元カノと再会を果たしたのだった。
☆☆☆
地元を出てきても、意外に昔の知り合いに再会したりする。
私の地元は都会とは言い切れない田舎で、そこを出るとなるとおおむね選択肢が限られていた。東京までは行かないけど、そこは行きたがる人が多かった。
私は特に行きたいと思っていたわけではなかったけど、結果的にそこに腰を落ち着けた。その理由に関しては元カノが関係ないとは言えないけど。
なんにせよ、私は死ぬことは完全に理性をもって決定していたし、それを変更するつもりはない。
その日街に出ていたのは、映画を見に行っていたからだった。好きなシリーズの完結編で、死ぬ前に公開してくれて本当に良かったと安堵したものだった。
映画はとても良くて、私は深い満足感とともに映画館を出た。
「ねえ、もしかして――」
映画を見る前に、私はあることを思い出していた。
この映画を好きになったきっかけ、それは人に勧められたことだった。
正直に言えば、彼女も見ただろうかとは思った。どうしても、頭にはよぎってしまう。
だからか、声が聞こえた瞬間に誰なのかがわかってしまった。
私は精一杯表情を取り繕って、振り向いた。
「偶然、だね」
高校の時の元カノが、そこに立っていた。
「やっぱり、キミだった」
あなたは嬉しそうに笑う。それは私の知っている笑顔と変わらなくて、胸を掻きむしられたように苦しくなる。
どうにか表情には出さないようにして、私も笑った。
あなたははしゃいだ調子で、鞄から何かを取り出した。
「キミも見てたんだね。すっごい偶然。わたしも今の回見てたんだよね」
あなたが取り出したのは私が今しがた見たばっかりの映画のパンフレットだった。私も買えばよかったかなと一瞬思ったけど、私物はできる限り処分しないといけないので余計なものをあまり買うのも良くない。
同じ回を見ていたということは、近くにあなたがいたということだ。まったく気づかなかった。視界に入っていれば気づいただろうけど。
気づかないまま映画を見れて、良かった。
「あなたは元気そうだね」
「うん、元気だよ。キミは元気じゃないの?」
「元気じゃないよ」
普通にそう答える。元気ではない。その原因は、色々あるけれど。
あなたは困ったように笑みを歪めた。
「ダメだよ、ちゃんと食べて寝ないと。どうせ夜更かしばかりしているんでしょ」
「……そうだね、気を付ける」
あなたと付き合っていた時、よく夜更かしをして映画を見ていたのを叱られていた。あなたが映画を好きで、あなたの好きなものを知りたくてやっていたことだったけど、あなたは一緒に見ればいいのにと笑っていた。
パンフレットをしまうあなたの指に光るものを見つけて、目を見開いた。
あなたの指を指さして、私は聞きたくないことを訊く。
「指輪……?」
「え? あ、うん。そうなの」
あなたは照れたようにはにかんだ表情を見せる。
私が好きだった表情を。
「結婚するんだ」
「結婚……?」
私のオウム返しに、あなたは照れたまま頷く。
「うん。来週の日曜日に結婚式なんだ」
その日は私が死ぬと決めている日だった。だけどその時はそのことに気づきもしなかった。
ただ、耳にしたことが信じられないまま私は間抜けな質問をする。
「結婚って、男の人と?」
「うん、そうだよ」
あなたは幸せそうに迷いなく頷く。
私は訳が分からなくなって、何も言わなかった。何かを言うと、もう我慢できそうにないから。
あなたはそんな私に気づかないように言葉を続ける。
「キミも結婚式に来る?」
「……元カノを呼ぶなんてことある?」
かろうじて言い返すと、あなたは驚いたように両目を見開いた。
あなたはすごく複雑そうに表情を歪ませると、言い訳するように小声でつぶやいた。
「でも、キミには祝福してほしいから」
「祝福なんて……!」
声を荒らげそうになって、どうにか堪える。
私もあなたも黙り込んでしまう。映画館の出口のすぐそこで話しているので、行きかう人はそれなりに多く私たちを露骨に気にしている人もいる。
「帰るね。結婚おめでとう」
言い捨てて踵を返した私の腕を、あなたは掴んできた。
「……なに?」
私が訊くと、あなたは眉に力を込めて私を睨んできた。そんな目で見られるとは思っていなくて、私は怯んだ。
でも、あなたは何も言わない。言えないのか。
黙っていると、やがてつかむ手が緩んだ。項垂れるあなたに手を伸ばしかけて慌ててひっこめた。
「……結婚、おめでとう」
さっきと同じ言葉を繰り返して、今度こそその場を後にした。
☆☆☆
付き合ったのは高二から高三になるまでの約一年間だった。
あなたとは高校に入学した時からの付き合いだ。友達として仲良くしていたけれど、私はかなり早い段階であなたのことを意識していた。気持ちを伝えることには躊躇して、友達でい続けることを選んだ。
告白してきたのはあなたからだった。あの時の言葉、場所、あなたの表情、全てをまだ覚えている。それぐらい私の中の宝物になっている瞬間だったから。
周囲には隠して、こっそり会って触れ合うのが楽しかった。学校がある日はあえて学校に残り、際どいことをどこまでできるかを楽しんだりしていた。
休日にはお互いの家に行き会った。家族に「友達」と言った後、部屋でくすくすと顔を合わせるのも楽しかった。
まあ浮かれた付き合いだったことは認める。若かったし、思い返すと転がりたくなるような記憶も随分とある。
それでも、あなたとの日々は間違いなく私の人生の輝いていた部分だ。言ってしまえば、そこしか人生で楽しかったところはなかった。この言い方も、恥ずかしいか。
別れたのは、周囲に私とあなたの関係がバレたことが原因だった。
これに関しては調子に乗っていた私たちが悪いと言える。少し離れた町で普通に手をつないでデートしていたのだが、地元の人間だって遊ぶならそこに行くというようなところだったのであっけなく学校の誰かに見つかった。誰かは知らないが、あっという間に学校中に広まった。
私たちの関係が面白おかしくはやし立てられて、仕方なく私たちはしばらく距離をおくことにした。
あなたはひどくショックを受けていた。自分たちの関係が攻撃の対象になることが理解できないと言っていた。私も同感だったけれど、傷ついたあなたを守らなきゃっていう気持ちの方が強かった。
クラスの仲の良い友達と普通に話し、噂については否定した。
一度しつこく聞かれて、私はとっさに「女同士で付き合うなんてありえるわけないでしょ」と強めに返した。
それを聞いていたあなたは、ものすごく傷ついた顔を一瞬だけ私に向けた。
後でフォローをしたが、あなたは納得をしてない風だった。家族に友達って言ったのと同じようなものと言っても眉をしかめていた。
それからは関係がかみ合わなくなった。人前で会うのをあなたは噂されやすくなると嫌がり、なんとか隙間を見つけて会っても言い争いになることが多くなった。
噂自体は結構早く消えていた。みんなすぐに飽きたのだろう。けれどあなたはずっとそのことを気にしていて、私との別れを告げた。
あなたは地元に残ると言っていたので、私は逃げるように地元を出て大学に入学した。
それ以来あなたとは会っていない。恋人も、一人も作ってこなかった。
☆☆☆
元カノと映画館で再会して、家で悶々としていた。
もう今日死のうかとすら思った。さすがにあんな突発的なアクシデントで予定を変えたりはしないけれど。
元カノが男と結婚する。なんだろう。よくあることなんだろうか。頭がぐちゃぐちゃで、考えが全くまとまらない。
私は、同性愛者という自覚は特にない。好きになった人は一人だけで、他の人に興味を持てたことは全くなかったからだ。
男とも付き合える人だったってことなんだろうか。だからなんだと自分に言い聞かせる。だったとしても、あの日々の輝きが消えるわけじゃない。
どうにもならない感情を処理できなくて、コンビニで酒を買い込んでひたすらに飲んだ。
翌朝、だるかったが奇跡的に二日酔いにはなっていないようだった。そのことに安心して、外に出る。
あなたとは、一度だけこの街に来たことがある。付き合って最初の夏休みだ。お互いのお小遣いを出し合って、一泊の旅行に来たのだ。
一日でそれほど回れるわけもなくて、慌てながらメインのイベントをこなしにいった。それはあなたが自分で調べていた、なによりも楽しみにしていたものだった。
現在の私は今、そこへ向かっている。
何のためにそこに向かっているのか、私自身わからない。行ったところで何が変わるわけでもない。
そこは山だ。有名な観光地で、平日なのに人はかなり多くにぎわっている。
頂上まではロープウェイで行くことができる。ロープウェイに乗り、外を眺めながら頂上に着くのを待つ。
あなたと乗った時、二人ともなんだかハイになっててかなりはしゃいでしまい、乗り合わせた人からやんわりと注意されてしまった。二人して謝ったが、すぐに顔を見合わせて笑っていた。
客観性もなくて、自分たちのことしか目に入ってなくて、まさしく子供でしかなかった私たち。今そういうカップルを見たら、たぶん少し不愉快になるかもしれない。
でも、当時の幸せはどうやっても否定できない。
ロープウェイを乗り継いで頂上に到着する。街を一望できる景色は壮観で、しばし見入ってしまった。
本当の目的は景色ではない。足を動かして、そこへ移動する。
ここは恋人の聖地と言われているものがある。別にそんなに珍しいものではなく、鐘があってその下の手すりにカップルで鍵をかけるとそのカップルは永遠になれるというものだ(鍵は自動販売機で売っている)。
もちろん私たちもやった。うきうきでやった。カップルなんてそんなものだと開き直りたいけど、さすがにはしゃぎすぎていた気もする。
当時も無数に思えるほどの鍵がかかっていたが、あれから何年も経っているとさらに量が増えていた。まだ鍵をかけるスペースはありそうだけど、いっぱいになったらどうするのだろうとふと疑問に思った。
この中で既に別れているカップルはそれなりの数だろうし、その鍵を廃棄していけばいいのかもしれない。どうやって見分けるかは知らないけど。
手すりを探していくと、目当てのものはすぐに見つかった。
『次来た時に見つけやすいようにしておかない?』
『なくなったりはしないんじゃないの』
『そういうことじゃなくて、キミとあたしがここに来たっていう確かな証だから』
『……別に、覚えてるよ』
『そうだけど。何年も経って、また一緒に見に来てあの頃は初々しかったねなんて笑うの。だからいっぱい恥ずかしいメッセージ書いちゃおう』
あなたは本当に楽しそうで、あなたが楽しんでるから私も楽しかった。
この鍵が残っているということは、私とあなたが確かにあの時つながっていたという証ではある。一緒に見に来ることはなかったけど、それでもあの時私たちは想いあっていた。
恥ずかしいメッセージを見るのは嫌だったけど、誘惑に抗えずに鍵の表面を覗く。
表も裏も、真っ黒に塗りつぶされていた。
☆☆☆
記憶違いかと思って色々探したけど、間違いなく塗りつぶされている鍵が私たちの鍵だった。
性質の悪いイタズラなのかもしれない。けれど私は、どうしてだかあなたがやったことだと思っていた。
ロープウェイに乗って下山しながら、私はあなたが言っていたことを思い出す。
『あなたはどんなことを書いたの?』
『ダメ、教えない』
『ずるいよ、私に先書かせてさ。見たんでしょ?』
『見てないよ。次来た時にこんなこと書いてたんだねって笑いあいたいから』
『あなたはそういうの好きだよね』
『好きだよ。キミと、これからも続いていくことを考えるのはすごく楽しい』
『……好きだよ』
『えっ、何突然。あたしも好きだけど』
『言いたくなったから、言った』
『顔赤いよー?』
『うるさいよ、書き終わったら行こうよ。お腹空いた』
『はいはい、すぐ終わるから』
恥ずかしい会話まで思い出してしまって、うつむいて溜息を吐く。
あなたは、何を書いたのだろうか。今となっては知る術はないし、知ってどうなるものでもない。
私は普通に恥ずかしいことを書いた。今日まで忘れていたのだけど、ここにこようと思った瞬間に思い出した。
私は、あなたと付き合っていたことを後悔していない。あの頃の楽しい記憶がなければ、もっと早く死んでいたかもしれない。私はそれぐらいには弱い人間だ。
だから、死ぬと決める前にここに来なくて良かった。鍵が塗りつぶされているのを見たら情緒が不安定な私がどう思うかわかったものではない。
死ぬ理由にあなたのことを加えなくて、本当に良かった。
けれど、あなたにとって私との日々はなんだったんだろうか。
訊きたいけど、訊けないことにとても安心してしまう。
このまま、知らないままで、私は死のう。
☆☆☆
決行当日、よく晴れた日だった。
これは相当に気持ちが上向いた。よし、とビジネスホテルを出る。家を引き払ってからは、一週間ほどこのホテルに滞在していた。
なるべく迷惑にならない場所はもう決めている。あとはそこに行って、実行するだけだった。
今日はあなたの結婚式でもある。その意味でも、晴れて本当に良かった。
まだ桜が咲くには少しかかる。でも、この前見ることはできていた。
映画館で再会したとき、あなたのネイルが見えた。目立たないグラデーションに桜の押し花を使ったネイル。
それは、私が勧めたものだった。
『ネイルって不良みたいじゃない?』
『いつの時代観で生きているのよ。派手派手しくなければ問題ないって』
『じゃあキミがどんなのにすればいいのか選んでよ』
『私が? いいの?』
『家に帰って、キミがこれにしてくれたんだってニヤニヤするから』
『……はいはい。これ、あなたに似合うと思う』
『桜?』
『グラデーションにして、アクセントに桜をちょっとだけ』
『桜にしたのって、理由ある?』
『あなたが……桜みたいだから』
『よくわかんない』
『そこ突っ込む!? もういいよ自分で選んで!』
『あははは、ごめんごめん。顔真っ赤して言ってるのが可愛くてつい』
『もう……』
『気に入ったよ、これにする。ありがとう。ずーっとこれにするね』
『いや、たまには変えなよ』
たまたまなのかもしれない。いくらなんでもずっと同じものにしているわけがないだろうし。
でもあれを思い返すと、あなたの人生に私がいたんだってことが確信できる。
やっぱり、あなたには幸せになって欲しい。
これで終われるという嬉しさが、私の足取りを軽くしていた。
私は死んで幸せになるから、あなたは結婚して幸せになって。
☆☆☆
「スマホ見てどうしたの?」
「んー? 別に何も」
あたしはスマートフォンをしまって、旦那になる相手を見る。
旦那は緊張しているひきつった顔で無理に笑っている。
あたしも似たようなものかもしれないけど、はっきりと幸せで笑っているのだと確信できる。
「ちょっと深刻そうに見てたから」
「嘘、そんなことないでしょ」
軽く言い返しながら、そうかもしれないと内心で頷く。
キミの連絡先は入っていない。何も、来るわけはないのに。
旦那は不意に私の手を取った。勝手に触られるのはあまり好きではないけれど、今日ぐらいは許してあげよう。
「このネイル、本当にキレイだね」
「あなたが桜を好きだって言ったのよ。だからやってあげてるの」
「はいはい、ありがとう。でもさ、出会った時からしていたじゃないか。気に入ってるんだろ?」
あたしはその問いに、深く笑む。
「あたしに教えてくれた人がいるのよ」
「それ初めて聞いたな。彼氏とか?」
旦那の言葉に、あたしはゆっくりと首を振る。
「そういうのじゃないの。ただ、誰よりも仲の良かった友達。あの子がこれが似合うって言ってくれたの」
「へえ……よし、そろそろ出ようか」
「ええ」
返事をしながらも、あたしはまたネイルに目を落としていた。
これはとても気に入っている。キミも、旦那も好きだと言ってくれた。
まだ桜が咲くには少しかかる。けれどこれを見ればあの時の光景はすぐによみがえる。
キミがいなければ、ネイル自体することもなかったかもしれない。
キミはこの街にいるみたいだ。映画館の時みたいに、偶然会うことがまたあるかもしれない。
どうか、幸せでいてほしい。あたしのように、キミもどこかで幸せでいてほしい。
心の中でそう語り掛けると、あたしは旦那について家を出た。
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