廃村

三人を乗せた車は、再び高速道路を走り出し、順調に目的地に向かって進んだ。周囲にそびえていたビル群はとうになくなり、民家と畑が増えていった。車は周囲と同じスピードで、一定の間隔を保ちながら並走し続けた。

車内には、陽気な音楽が流れている。広瀬の兄は腹も満たされ機嫌は上々。

助手席の広瀬はまた眠っている。

後部座席の松田は写真を見ている。

《村の周りの山々、広大な畑とそこで働く人、いくつかの古民家と村人、食堂をバックに出演者と満面の笑みを浮かべる年老いた村人》

そして、映画の舞台になっている《山荘》と《小さな診療所》とその隣に建つ《呪いの家》

その家こそ、松田たちが向かう場所。

今も存在しているのか。

そこに行けば呪いを解く鍵は見つかるだろうか。見つからなければ、加地と同じ運命を辿り、その呪いは妹の茜にまで伝染するかもしれない。

考えれば考えるほど不安になる松田だった。


しばらくして、松田たちの車は高速道路を下りた。

遠くに大きな山が見える。高いビルはないが、商業施設もあれば民家も多く連なっている。車もまだ多く、歩道を歩く人の姿もある。

だが、山に近づくにつれて、建物も人も車も減っていった。前を走る車は、松田たちの車とは別の方向へ曲がり、後ろの車はかなりの距離を取っている。すれ違う車もほとんどいなくなっていた。

周囲は小さな民家と畑が増え、凸凹とした荒れた道の方が増えていった。

どのぐらい走っただろうか。後方を走っていた車の姿もなくなり、前方に古いトンネルとオレンジ色の照明がぼんやりと見えてきた。

かなり古いトンネルで、まだ日が出ているにも関わらず、中は夜のように暗かった。トンネルの手前で車は急に減速をした。

「ここ通るのか?」

 嫌そうな顔で広瀬の兄は言った。

「トンネル通った方が近い」

 いつの間にか起きていた広瀬が、カーナビを見ながらそう言った。

「別の道でいいだろ。引き返そう」

「兄貴、ビビってないで、早く行って。時間ないんだから」

「ビビッてはねぇよ。けど、見た感じ古いし、崩落するかも。他に誰も通ってないしよ」

「立入禁止の札もないし、大丈夫だって。早く、早く!」

 広瀬に煽られ、渋々アクセルを踏む広瀬の兄。車はゆっくりとトンネルに入っていく。

トンネルの壁面は亀裂があり、そこから雨水が滴っていた。弱々しいオレンジ色の明かりが不気味に映っていた。広瀬に兄は、しきりにサイドミラーを気にしていた。その表情は険しかった。

トンネルを抜けた時、眩しい光で目を細めた。何事もなくトンネルを抜けられたことに、松田以上に安堵している広瀬の兄だった。

またしばらく車を走らせた先で、広瀬の兄は車を止めてカーナビを見た。ナビに表示された目的地は目前。視線の先には、大きな山がある。車をゆっくり走らせながら、麓の小さな村を探した。


広がる草原と木々の向こうに民家が数軒見えた。草原をよく見れば、かつては畑だった形跡が残っている。だが、今では作物ではなく雑草しか生えていない。

少し離れた場所に、ポツリポツリと民家が見える。木造二階建ての建物が見え、車はゆっくりと近づいた。

その建物は外壁が黒く汚れ、ガラス戸は濁り大きなヒビが入っていた。上には看板らしきものがあるが、文字は擦れて読めなくなっている。その建物を見て、松田は写真の食堂であると気が付いた。

車から出た松田と広瀬は、入り口のガラス戸から中を覗き込んだ。店内は埃まみれでテーブルと椅子が置き去り。あちらこちらに蜘蛛の巣が張られていた。人がいる気配はなく、ガラス戸は鍵がかかっていて開かない。

二階も人がいる気配はなく、声をかけても返事がなかった。

食堂から少し離れた場所に、二階建ての建物が見えた。そこもまた長い間放置されているようで、外壁も剥がれ落ちていた。看板には薄っすらと「宿」という文字が見えた。松田が声をかけてみたが、誰も出てくる気配はなく、戸も開かなかった。他にも小さな民家が残っていたが人の気配はまるでなく、廃村になっていた。

車に戻ると、運転席では仏頂面の広瀬の兄が待っていた。

「ここは廃村だ。誰もいない。俺は、あまりここにいたくない」

 松田は謝りながら車に乗り込むと、目的地である山の入り口に向かった。

 そこは青々とした木々が生い茂る山。まるで森のようで、多方向から野鳥の鳴き声が聞こえてくる。

入口には木製の古い道標があり、擦れた文字で「山荘」「トンネル」と書かれ、山の奥を指している。

山道は長く放置されているようで、アスファルトの道は地割れでヒビが入っていた。

運転席の広瀬の兄は、ハンドルに腕を乗せたまま険しい顔で山道の奥を見つめていた。

「どうしたの、早く進んで」

痺れを切らす広瀬。

「本当に行くのか?」

「そうだよ。なんで?」

「嫌な予感がする。俺は行きたくない」

「兄貴はホント、ビビり」

「うるせーよ。もういいだろ。村には人もいなかったし。帰ろうぜ」

「ここまで来て引き返せるわけないでしょ!」

松田の目の前で兄妹喧嘩が始まってしまった。嫌な予感というのは、松田も感じていた。

「あの、ここからは俺一人で行きます」

「ここから歩くなんて無理でしょ。日没までに戻ってこれないかも」

「ここまで連れてきてもらっただけで十分だよ。本当に感謝している。広瀬のお兄さん、ありがとうございました」

松田は広瀬の兄に頭を下げた。

「広瀬も色々ありがとな」

そう言うと、松田は外に出て一人歩き出した。

遠ざかる松田の後ろ姿に、広瀬はとっさにドアノブに手をかけ車から出ようとした。

だが、とっさに広瀬の兄が広瀬の腕を掴んで阻止した。

「何? 離してよ」

「行くな!」

「私の勝手でしょ。兄貴はここで待っていてくれればいいよ」

「だめだ。お前に何かあったら、俺が親父に殴られるだろ」

「心配しなくても、用が済んだら戻ってくるよ」

「あいつが何の目的でこの山に入るのか知らないが、ここはよくない。ここというより、もっと奥にある何か。きっと、あいつが行こうとしている場所だろ。嫌な気配がする。わかるだろ。どういうことか」

「また霊的なこと?」

「違う! 予感だ!」

広瀬の兄は霊感がある。駅で松田を見た時、体の周囲に薄っすらと黒い靄のようなものが広瀬の何には見えていた。それは目的地に近づくほど濃くなっていた。

「それじゃ、なおさら一人で行かせられないでしょ。私にも責任があるんだから!」

なおも車から出ようとする広瀬を、どうにか止めようとする広瀬の兄。

「大丈夫だって。可愛い妹を見捨てたなんて、誰にも言わないから」

広瀬は兄の手を振り払い、意地悪そうに笑った。

そして、広瀬は松田の後を追いかけた。

そんな広瀬の姿を見て、広瀬の兄はため息をつきながらハンドルに顔をうずめた。


松田は地図を手に山道を進んでいく。地図に記された呪いの家まではかなり遠い。

「待って!」

振り返ると、広瀬が走って追いかけて来た。

「私も一緒に行くから」

「お兄さんが心配するよ。戻った方がいい」

車に戻るように促す松田をよそに、広瀬は一人前に進んでいく。

「私は興味がある。その呪いの家に」

「亮介みたいなこと言うなよ。何かあったらまずいだろ。ここまで連れて来てくれたのに、恩を仇で返すようなことはしたくないんだ」

「私はね、半信半疑なのよ。呪いとか祟りって、結局は思い込みなんじゃないかって。すべては偶然の不幸が重なっただけなんじゃないかって」

そう言いながら、松田の前を進む広瀬。

生い茂る草木がざわざわと音を立てて揺れた。ふと、松田は視線を感じた。

身を潜めているのは、野生生物かそれとも人ならざる者か。広瀬は前者で息を呑み、松田は後者で息を呑んだ。

その時、背後から車のクラクションが鳴り、広瀬が思わず悲鳴をあげた。その声は普段の広瀬とはまるで違う高い声で、松田は驚きながら広瀬を見た。

すると、それに動揺した広瀬はすぐに低い声で「あー驚いた。まったく」と呟いた。

二人に近づいてくるのは、広瀬の兄が運転する派手な車。松田のそばで止まると、広瀬の兄は「乗れよ」という合図をした。

「連れて帰る気?」

広瀬の兄を睨みつける広瀬。

「乗せて行けばいいんだろ。この先に」

不機嫌そうにそう言う広瀬の兄に、

「最初からそうしてくれれば、恥をかかずに済んだのに」

と広瀬は助手席に乗り込んだ。

一方、松田は遠慮してなかなか乗らずにいた。すると、苛立った広瀬の兄が強い口調で「早く乗れ! 時間が勿体ないだろ!」と言った。松田は頭を下げ、車に乗り込んだ。


車は山道を道なりに進んだ。奥に進めば進むほど道はひどく荒れていく。途中に薄っすらと「診療所」と読める木製の古い道標を見つけた。野鳥は相変わらず騒がしく、時々草むらの奥に獣の影を見た。

しばらく進むと、山道は二手に分かれた。

ひとつは舗装されたアスファルトの道。もうひとつは道幅が、車一台やっと通れる程の荒れた道。目的の家に行くには、荒れた道の方を進まなくてはいけなかった。周りの木々は入り口よりも無造作に生い茂り、中には倒れそうなほど傾いている木もあった。

地面は大小の石が転がり、進むとガタガタと車を揺らした。

そんな道をしばらく進むと、目の前に土砂崩れでも起こったのか、大木が根元から倒れ道を完全に塞いでいた。

「これ以上進むのは無理だ」

広瀬の兄はそう言い、倒れた大木の手前で車を止めた。

松田と広瀬が車を降りて調べに行くと、倒れた大木はその先の木に引っかかり、下には人が通れるだけの隙間があった。

「この隙間から通り抜けよう」

そう言って、松田は通り抜けようとした。

大木が寄りかかる木は頼りなく、いつ大木が地面に倒れるかわからない。倒れたら確実に押し潰される。

車から降りてきた広瀬の兄は、

「そこを通るのは危険だぞ」と言った。

だが、松田は耳を貸すことなく大木の隙間を潜っていった。

「本当に平気?」

広瀬も恐る恐る大木を潜り、松田の後を追った。

「嘘だろ……」

唖然とする広瀬の兄。

「危険なので無理しないでください」

大木の向こうから松田の声がした。

だが、「こんなところに一人で置いて行かれる方が嫌に決まってるだろ」と呟きながら、広瀬の兄も後を追おうと大木に手を触れた。

その時、倒れた大木の向こう側から風が吹いた。周りの木々がざわざわと音を立てて揺れ、広瀬の兄の不安を煽った。

「そこで待っててくれてもいいよ! 私たちだけで行ってくるから」

倒れた大木の向こうから広瀬の声がした。

「待て! こんなところに置いて行くなよ。お、俺も行くから」

そう言うと、広瀬の兄も意を決し大木の隙間を潜り抜けた。

三人の先には、薄暗い荒れた道が続いている。道はだんだんと上り坂になり、息が自然と上がっていく。途中にまた診療所への古い道標を見かけた。どれも文字が辛うじて読めるほど擦れていた。


松田と広瀬は、汗を拭いながら道標が示す方へ歩いた。そのずっと後方では、広瀬の兄が汗だくで息を切らせながら歩いている。松田は時々立ち止まり、後方から歩いてくる広瀬の兄のことを待った。一方、広瀬はお構いなしに先に進んでいく。

ようやく坂を上りきると、そこには木々に囲まれた広場と不釣り合いなコンクリートの建物、そして二階建ての家が建っていた。今まで鳴いていた野鳥の声が消え、気味が悪いほど静かだった。

松田はリュックの中から写真を取り出し、目の前に建つ家と見比べた。人が住んでいる様子はなく、写真よりも家の周囲には雑草が茂り、壁面には蔦が這い、玄関の引き戸はガラスが割れていたが、写真と同じく「廣田」と書かれた表札があった。

呪いの家が、そこに建っていた。玄関の前に立つ松田は息を呑んだ。

「中に入れるのかな」

すでに廃屋と化している家を見上げながら広瀬はそう言った。

「無理矢理にでも入る」

「ワイルドだこと」

戸は鍵が壊れているのか、よく見ると少し開いていた。松田は玄関の戸に手を掛けて力いっぱい引いた。

だが、立て付けがかなり悪いようで、開いたのは人一人が通れるだけの隙間だった。

松田はリュックを下ろすと、中から懐中電灯だけを取出し、リュックは玄関の横に置いた。そして、松田は戸の隙間から家の中に入ろうとした。

「ちょっと待て!」

ようやく坂を上りきった広瀬の兄が、家に入ろうとする松田を止めた。

汗まみれで息を切らせ、呪いの家を見上げる広瀬の兄の表情は険しい。

「目的地ってここか?」

「はい」

広瀬の兄の問いに、松田が返事をする。

「その家に入る気なのか? 俺はおすすめしない。入らない方がいい」

広瀬の兄には、その家から禍々しい気配を感じていた。

「またそれ? 兄貴はホントに怖がり。平気だって」

「どうしても、この家で調べたいことがあるんです」

「それなら、お前(松田)ひとりで行け。お前(広瀬)は入るな」

「は? 無理。私もこの家で起こった事に興味があるし」

「この家で起こったことってなんだよ」

「兄貴は知らない方がいいよ」

「何だよ、そりゃ」

「お兄さんの言うとおりだよ。広瀬はお兄さんと外で待っていてくれ。それに家の中は床が腐っていて危険かもしれない」

「行くか行かないかは自分が決める」

「俺は行かないぞ」

「いいよ、兄貴は外で待ってて」

「何があっても知らないぞ」

広瀬は兄の制止を聞かず、松田と広瀬は玄関の隙間から家の中に入っていった。

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