カースドという人物

そこは電車で一時間ほどかかる、とある大きな大学病院だった。朝の電車はどの線も混雑していて、周りはスーツ姿のサラリーマンと学生ばかりだった。

電車が駅に到着するたびに濁流のように乗客が押し出され、そしてまた一気に入って来る。

不慣れな乗り換えの駅では彷徨い歩き、ようやく辿り着いたホームも驚くほど混雑していた。

押し潰されそうな車内で耐えること数十分。大きな駅で一気に乗客が下りた後は、嘘のように乗客の数も減って車内はガラガラとなった。


そして、ようやく松田が降りる駅に着いた。

改札を出ると、周囲には都心とは違い高い建物もなく空が広く見えた。駅前には綺麗な花壇があり、広い道路の脇には青々とした街路樹がずっと続いていて、遠くには山も見えた。

駅前にあるバス停。そこには病院直通のバスがすでに停車していた。出発のアナウンスが聞こえ、松田は急いで飛び乗った。

車内はお年寄りが数人、座席に座っていた。松田の顔を見て、微笑みながら会釈をした。松田も会釈をしながら空いている座席に座ると、バスは出発した。


バスに揺られること十分。前方に大きな白い建物が見えてきた。

××病院前。

車内に到着を知らせるアナウンスが流れる。

「(ここにカースドという人物がいる)」

松田の胸は高鳴っていた。

バスが停車すると、乗っていた乗客が次々と降りていった。

バス停の前には大きな門があり、奥に大きな白い建物が見えた。門の先には広い芝生の庭と桜の木が並んでいた。その庭では、多くの人で賑わっていた。

ベンチでは見舞客と患者が談笑している。芝生の上では子供たちが走り回り、車いすのおばあさんと両親らしき男女が見守っていた。

遊歩道では散歩している車いすの患者と、付き添いの看護婦とすれ違った。

入口の大きな自動ドアを抜けると、広くて清潔感のあるエントランスがあり、天井は高くてとても明るい。入口のそばにはエスカレーターもあり、おしゃれなカフェまである。まるでショッピングモールのような病院だった。

受付には多くの外来患者が順番を待ち、フロアには見舞客や看護婦が行き来していた。

松田は病院に到着したことをカースドにメールで連絡を入れた。

返事はすぐに来た。

【カースド】八階の八〇五号室に来て欲しい。


松田はエレベーターを探し、他の患者や見舞客とともに乗り込んだ。肩が触れるほど乗っていた人たちは、階を上がるごとに降りていき、八階に着く頃には松田だけとなった。


エレベーターの扉が開くと、松田は八階のフロアに降りた。すぐ横にはナースステーションがあるが、今は誰もいないようだった。病室のドアが奥に向かって並んでいた。だが廊下にも誰もおらず、気味が悪いほど静かだった。

松田は廊下に書かれた病室番号と名前を見ながら八〇五号室を探した。

八階はすべて個室のようだが空き部屋が目立っていた。

そんな中、松田は八〇五号室の前にやってきた。だが、表札には何も書かれていない。

「(本当にここがカースドの病室なのか? そもそも名前も書かれていないし、空き部屋じゃないのか? もしかして騙されたのか?)」

松田は不安に思い、ドアを開けることを躊躇っていた。

その時、病室の中から声がした。

「入っておいで。松田君だろ」

松田は恐る恐る、病室のドアを開けた。


広い病室の中で、窓辺では白いカーテンが風に揺れていた。隅には取り残されたような小さなチェストがあり、そして、ベッドを隠すように大きな白い衝立が置かれていた。

「失礼します」

松田が声をかけると、白い衝立の向こうからスッと看護婦が現れた。

緊張していた松田は、突然現れた看護婦の白衣が白い服の老婆と重なり、驚いて声をあげた。

それに引き換え看護婦は何の反応もなく無表情のまま。「こちらへどうぞ」とベッドの方へ促した。その看護婦は、一階で見かけたどの看護婦よりもやつれて顔色が悪かった。

松田が白い衝立から覗くと、ベッドに横たわる患者と目が合った。

そしてその姿を見て、松田は息を呑んだ。

何故なら、見た目では性別や年齢の判別がつかないほど、まるでミイラのように全身に包帯が巻かれていたから。顔すらも包帯で覆われ、体からはいくつも管が出ていて、ベッドの横にある点滴や機械に繋がられていた。薬品と喉に纏わりつくような異様なニオイが漂っていた。

「あの……」

松田はその様子に戸惑った。

「遠いところすまないね、私がカースドだ。こんな状態だから、君に会いに行くことが出来なかった。私の姿に驚いただろう」

「いえ……、そんな……」

「いいんだよ。誰でもそうさ。私だって、鏡を見るたび自分の姿に驚くのだから。まぁ、とにかくそこに座りなよ」

カースドはそう言って、ベッドの横にある椅子に顔を向けた。

「すまない。少しのあいだ、二人きりにしてほしい」

カースドが看護婦にそう言うと、不愛想な看護婦は淡々と使い終えた注射器と空の薬瓶を乗せたトレーを持って病室を出ていった。

カースドの体に巻かれた包帯はよく見ると血が滲み出ていて、そこから腐敗臭のようなニオイがした。

松田はどんな風に話を切り出そうかと迷っていた。

周囲を見回すと、ベッドの横には年季の入ったクローゼットと床頭台があり、そこには数名の男女が並んで写る写真盾が置かれていた。だがその写真は、半分ほど焼けてしまっていた。そして、枕元には液晶テレビとノートパソコンが置かれていた。

ふと、松田が足元に目をやると、使用済みの血と膿に染まった赤黒い包帯が山のように捨ててあるゴミ箱があり、それを見た松田は動揺した。

カースドはそれに気づき、静かに口を開いた。

「君は、私が映画を見たのにまだ生きてる。だから、呪いは解けたのだと言ったね。これを見て、君はどう思う」

「本当に、あの映画の呪いなのでしょうか」

「確かに呪いを証明することは難しいな。けれど、あの映画に関わった人間はみんな死んだ。呪いだと思わざるを得ない」

そう言うと、カースドはこれまでに起こった自身の体の異変を話し始めた。始まりは首元に出来た、ほんの小さな日焼けのような薄紅の斑点だった。

あの日撮影隊の自動車事故で多くの人間が即死する中、運よく軽傷だったカースド。病院から退院した後に、映画のプロデューサーから編集作業を任された。

その時は呪いなんて考えていなかったが、死亡事故が起こり曰く付きとなった映画の編集作業などやりたくなかった。だが、監督はまだ入院中。新たなスタッフが雇われることはなく、カースドは生活のためにしかたなくやることにした。斑点はそのストレスからくるものだと思っていた。

次第に痒みが現れ、無意識に搔き毟るようになった。血が滲み、服にも赤黒い血が付くようになった。それでも、すぐに治るだろう思っていた。

しかし、それは消えるどころか日に日に痣のように広がっていき、病院で検査をしてもらったが、原因不明のアレルギーだと言われた。処方された大量の薬を飲み続けたが、痣は消えることなく広がり続けた。

「山荘の惨劇」の編集作業が終える頃には痣が全身に広がり、皮膚が赤黒い色が変わっていた。

病院をいくつ変えても、治らず改善すらしなかった。その時から呪いを疑い、いくつもの神社や寺で厄払いをしたが結果無駄だった。

そのうち倦怠感に襲われ全身の力が入らなくなった。

ある朝、腕の皮膚がベロりと捲れ、血の塊と肉がボタリと床に落ちるのが見えた。もちろん、それは幻覚だった。けれど、血生臭いにおいが今でも鼻に残っているという。

そして、カーストは入院することになった。

今では、その幻覚が現実になりつつあるほど肉体が腐りかけている。有能な医師のおかげで生きてはいるが、ただそれだけのこと。

死ぬまで治らぬ「呪い」だと、カースド言った。

事故の後、監督から奥さんを通じて「世に出してはいけない」と警告されたにも関わらず、編集作業を辞めることが出来なかった。

その結果、ゆっくりと呪いに侵された。

カースド自身も呪いを解こうと躍起になっていたが、その前に激痛で体が動かなくなってしまった。

あの映画のDVDは、とっくに廃棄されたと思っていた。だがあの掲示板で、映画を見たという者の書き込みを見たカースドは、まだどこかにあることを危惧していた。そんな時、古いメールアドレスに一通のメールが届いた。


『友人が呪いの噂のある「山荘の惨劇」という映画を見てしまいました。呪いが真実かどうかはわかりませんが、何かご存じでしたら教えていただけないでしょうか。どうか彼を助けてあげてください。このメールが届くことを祈っています』


そんなメールだった。本文の最後には松田のメールアドレスが書かれ、その下には送信者の名前が書かれていた。

松田がその名前を尋ねると、カースドは広瀬だと言った。

広瀬がカースドの古いメールアドレスを見つけ、藁をも掴む思いで送ってくれていたのだった。

「広瀬が俺のメールアドレスをカースドさんに伝えてくれたのか」

「本当に偶然だったよ。あの掲示板で使っていたメールアドレスは、今はもう使っていなかったからね。いいな、君は。協力者がいて。当時の私にはいなかった。もしかしたら、悲しいこの呪いを君が解いてくれるかもしれない。何が知りたい。知っていることは話そう」

松田は映画に関することを、カースドに質問していった。

「他に制作に関わった人はいますか?」

「監督や役者、撮影スタッフもすでに亡くなっている。一人は行方不明だが、これまで見つかったという知らせもないし、おそらくは……」

「行方不明ですか?」

「ああ。撮影の最終日に、ふらっといなくなってしまったんだ。撮影隊の全員と村の人達の手まで借りて探したけれど見つからず、警察にもお願いしたけど音沙汰なしだ」

「それは誰ですか?」

「白い服の女を演じた女優だよ。伊織ちゃんと言ってね、大人しくていい子だった。それで後残っているのは、私とプロデューサー。だが、彼は何一つ制作には関わっていない。企画と金を出しただけさ。今も生きているだろうが、私がこんな姿になってからは連絡も取れず、どこにいるかもわからない」

松田は、映画のクレジット後に流れた映像について尋ねた。

「クレジットの後の映像?」

「はい。交通事故のようなシーンと、薄暗い場所でいくつかの人影が吊るされている。その後で、最後に生き残った役者が、白い服を着た老婆に殺害されるという映像が流れました」

カースドは松田の話を聞いて首を傾げた。

「そんなシーン、私は知らない。クレジットが終えれば映画は終わり、再生が止まる」

カースドは、あの不可解な映像のことを知らなかった。

最後に生き残った女優は自殺ということだが、その死は不可解で他殺の噂も流れたそうだった。

映画を見た人間は誰かに監視されるようになる。映像に自分の部屋が映し出される。

だが、カメラはどんなに探しても発見できない。そのうち、部屋に白い服を着た老婆が現れ、映画を見た者を殺しに来る。

加地やその恋人だったユキもその白い服を着た老婆によって殺された。

そして、その映像をまた次のターゲットが見ることになる。

白い服の老婆こそが呪いの元凶。

松田は白い服の老婆が何者なのか、心当たりはないかとカースドに尋ねた。

「それが呪いの元凶だとするなら、やはり映画の基となった事件が関係しているかもしれない。被害者がされたことを考えれば、恨みがあるのは当然。呪いを解く方法があるとするなら、その被害者を成仏させてやることだろう」

事件については掲示板に書かれていたことが概ね正しいとカースドが言った。


昔、山奥に建つ一軒家の地下室で若い女が監禁された。生かすために食事は与えられていたが、手足には枷がはめられ壁に繋がれていた。犯人はその家の長男と、協力者は姉だった。犯人の男は彼女を毎日のように犯し、時に暴力を振るった。心も体も傷つけられながらも、彼女はいつか助けが来ると信じて耐えた。

ある時、犯人の男が地下室で亡くなった。

映画の資料とされた当時の地域新聞には、死因は不明と書かれていた。

腹を空かせた彼女は、生き残るために目の前に横たわる犯人の男の血肉を喰った。

だが、助けは最後まで現れず、憎しみだけを残して彼女は餓死をした。

それからしばらくして事件が発覚した。姉もまた罪悪感に苛まれたのか、二階で首を吊って死んでいた。現場検証で地下に入った警官らが心臓麻痺や事故で亡くなった。

 怨念が渦巻く家は、一家の親戚が管理しているが、地下室は立入禁止となった。

「どうしてそんな……。こんな映画を作ったんですか……。この映画を見たせいで、俺の友人が亡くなった」

「それについてはすまないと思っている。けれど、映画を作るというのは仕事だった。誰も呪いなんて信じていなかったんだよ。若い役者やスタッフが悲惨な事故にあっても、プロデューサーはお蔵入りさせるわけにはいかないと完成させ、ごく一部の小さな映画館では上映までした。そこでも問題が起こって即中止になった。ビデオもレンタルビデオ屋のみで販売された。だが、それもすぐに苦情が入って廃棄されたと聞いた」

ビデオからDVDに時代が変わったことで、レンタルビデオ屋にも残っていないだろうとカースドは思っていた。

「最後にプロデューサーに会った時、オリジナルは処分したと言っていた。だから、君たちが借りたDVDが廃棄されれば、もう呪いは広がらないはずだ」

だが、松田は不可思議なことを思い出す。

「DVDは追い込まれた友人(加地)が踏みつけて壊したはずなのに、いつの間にか元に戻っていました。今は俺が預かっています」

「そうか。君以外に、誰か見たのかい?」

「いえ、俺が最後です」

「ならば君が燃やして廃棄するんだ」

「わかりました。だけど、今は俺自身の呪いを解きたい」

松田は監禁事件があった場所を聞き出そうとした。

その瞬間、カースドは突然顔を歪めながら両腕を持ち上げた。腕の包帯が赤黒く染まり、隙間からは赤黒い体液が滴った。苦しみ悶えるカースドに驚き、松田は慌ててナースコールを押した。

「ちょ、ちょっと待ってください。今看護婦さん来ますから」

松田がそう声をかけるが、カースドの耳には届いていないようで、痛みで苦しむカースドの声が病室に響いていた。

病室の外から近づいてくる足音が聞こえた。そして、病室のドアが勢いよく開くと、先ほどの看護婦が病室に入って来た。手には点滴袋と注射器が置かれたトレーを持って。

邪魔になると思い、松田は椅子から立ち上がると窓の方へ移動した。

看護婦は手慣れた様子でカースドの腕に巻かれた包帯を解き、そこから鎮痛剤を打った。

「すぐに痛みはひきます」

痛みが引いたのか、カースドは安心したかのように目を閉じた。

腕から滴っていた赤黒い体液も止まり、看護婦はカースドの腕を布団の中に入れた。カースドは寝てしまったのか、目を閉じたまま動かない。不安げに見つめる松田。

「すぐに目を覚まします。けれど、患者さんに無理はさせないで」

看護婦は点滴を取り換え、病室を出て行った。残された松田は、カースドが目覚めるのを待つことにした。

松田は窓辺に立ち外を眺めた。気持ちのいい風が病室に入ってくる。

窓の外から子供の言い争う声が聞こえてくると、松田は窓から顔を出して下を見下ろした。

すると、病院の庭で二人の幼い男の子が、大きな声で言い争いをしながらラジコンの取り合いをしていた。

「僕のおもちゃ取らないで!」

「貸してよ。すぐ返すから」

「ダメ! そのおもちゃ買ってもらったばかりなんだから!」

片方の男の子がラジコンを奪うと、走って逃げようとした。

「すぐに返すから!」

もう片方の男の子は大事なラジコンを取られてしまい、泣きべそをかきながら逃げる男の子を追いかけていく。

「返してよ!! 僕のラジコン。カエセェエ!!!!!」


ーカエセェェェエェェ!!!!


松田の脳裏に悪夢が蘇る。白い服の老婆が口にした「返セ」という言葉。

「何を返して欲しいんだ……」

松田は追いかけていく男の子たちを見ながらそう呟いた。

「すまない。こんな大事な時に発作を起こしてしまって」

 カースドが意識を取り戻した。

松田は窓を閉めると、ベッドの横の椅子に戻った。

「謝らないでください。それより、体の方は大丈夫ですか」

「ああ。優秀な看護婦がすぐに来てくれたろ? 彼女とは長い付き合いで、私がナースコールを押すとすぐに駆けつけて最高の痛み止めを打ってくれる。おかげで痛みは一瞬で消えるんだ。まぁ、意識もなくなるがね。それで何処まで話したかな」

松田は、夢の中で白い服の老婆が「カエセ」と言った事を伝えた。ただ、それは単なる妄想なのかもしれない。けれど、もし何か暗示だとするならば、白い服の老婆は一体何を返して欲しいのか。

カースドは、白い服の老婆が死んだ女性と同一人物だとするなら、命を落としたあの場所に行けば何かわかるかもしれないと言った。そして、病室の隅にひっそりと置かれたチェストを顎で指した。

「あのチェストの引き出しを探してごらん。当時の撮影資料が入っている」

松田がチェストの引き出しを探ると、一番下の奥に大きな封筒を見つけた。中を覗くと、当時の台本や地図、それに撮影資料と手帳が入っていた。

「山の麓には世話になった小さな村がある。ただ、そこに行くためには車が必要だ。交通機関など通っていないよ」

地図を広げると、カースドの言う村から山ひとつ超えた場所に町がある事に気づいた。そして、その町までは単線らしき線路が書かれていた。

「最悪、この町まで行って、ここから歩いて向かいます」

「歩くなんて無理だよ。車を運転できる知り合いはいないのかね。例えば、ご両親とか」

「両親には迷惑をかけたくないんです。でも、誰かに頼んでみます」

「その家の隣には診療所が建っている。山に入れば診療所までの道標があるはずだが、もう壊れているかもしれない」

「診療所があるんですね」

「とっくに廃院している。家の方も事件後は一家の親戚が管理をしていたが、今はどうなっているのかわからない。廃屋になって酷く荒れているかもしれない。それでも行くかい?」

「行きます。それしかないから」

「手帳を見てごらん。そこにあの家の場所が書かれている」

手帳を開くと、小さな村、診療所、事件があった家、犯人の写真が挟んであり、ページには家の登記簿とカースドが調べた監禁事件のことや地域新聞の切り抜きと、被害者の女性の顔写真と名前が書かれていた。

名前は神楽紗夜子。

写真の女性はとても若かい。

「この人が被害者ですか?」

そう尋ねた時、病室でカチッという機械音が聞こえた。音のする方を見ると、ベッドの横にあるテレビの電源ランプが点灯している。

「こんな綺麗なお嬢さんを監禁して死なせるなんて、加害者はひどい男だよ。けど、そんな悲しいお嬢さんを化け物として映画のネタにする私たちも最低だ」

カースドは反省を述べるばかりで、点灯したテレビには気づいていない様子だった。

真っ暗だったテレビ画面に、ゆっくりと映像が浮き出てくる。それは防犯カメラのような映像で、何処かの通路だった。行き来する人の姿が映っている。

「あの、テレビが……」

松田がテレビを指差しそう言った。

だが、カースドには真っ暗なテレビに部屋が反射して見えるだけだった。

「テレビが見たいのかい? 確かに病室は静かで寂しいからね。音があった方がいいかな」

「いえ、そうじゃなくて……」

松田は自身にしか見えてないことに気づき、映像をただ黙って見ていた。

カースドは自身が調べた紗夜子について語っていたが、その声は松田には届いていなかった。

テレビに映る廊下の先。そこにエレベーターがあり、扉の前に出来た人だかりが一斉に中に入っていく様子が見えた。

すると映像にノイズが混じり、画面は切り替わった。狭い空間の中で密集する男女が、ドアが開くたびに一人二人と出て行く。また扉が開くと、最後の一人が出て行った。

映像は誰もいないエレベーターの中。それでも、エレベーターは上の階に向かっている。

そこでまたノイズが走り、エレベーターの中に白い服の老婆が現れた。一瞬、その姿が若い女に見え、松田は紗夜子なのだと理解した。

またノイズで映像が乱れ、切り替わると長く続く廊下が映った。

「これって……」

それは見覚えのある場所。

エレベーターが到着し扉が開くと、そこには紗夜子の姿がない。だが、エレベーターの扉は開いたり閉じたりを繰り返していた。それを不審に思ったのか、エレベーターのスイッチを押す人物が映りこんだ。それを見て松田は気づいた。それがカースドを担当しているあの看護婦であると。

看護婦がエレベーターのボタンを何度か押すと扉が閉まり、下に向かって動き出した。その瞬間、看護婦の背後に紗夜子が現れたが、本人は気づいていない様子だった。

「(これって病室前の廊下だ)」

松田は全身に嫌な汗をかき、心臓の鼓動が早まった。

テレビを見れば、白い服の老婆が廊下を滑るようにゆっくりと進んでいる。

「(ここにくる)」

松田は直感し、震えが止まらなくなる。

白い服の老婆は、ちょうどカースドの病室の前で止まると、ノイズで映像が乱れそのまま真っ暗になった。

松田は動揺し、体を小刻みに震わせながらゆっくりとドアの方を向いたが、誰も入ってくる気配はなかった。

「どうした。何かいるのか?」

カースドは震えている松田を心配し、そう声をかけた。

「いえ、何もないです。すみません」

 松田はそう答えた。

「本当に行くのかい? 呪いの家に」

「このまま待っていても、友人の二の舞になるだけ。可能性があるならそれに賭けたい」

「私がこんな体じゃなければ、協力してあげられるのに。すまない」

「情報をもらえただけで十分です」

「村の人たちは親切な人ばかりだった。もしまだご健在なら頼ってみるといい」

「はい。ありがとうございました」

「あまり役に立てなくてすまない」

「俺がもし呪いを解くことが出来たら、カースドさんもきっと治ると思います。そのためにも、俺行ってきます」

「私の呪いも解いてくれるのか?」

カースドは赤黒く染まっている包帯を見ながら微笑む。

「もちろんです! では、時間もないのでこれで失礼します」

「ありがとう。私はここで祈っているよ」

松田はカースドに一礼をして、病室のドアノブに手をかけた。ドアの向こうに紗夜子がいるかもしれないと、ドアをゆっくりと開けるが、廊下には誰もいなかった。松田は安堵しながら病室を出た。


松田を見送った後、カースドは枕元にあるパソコンでメールを打ち始めた。一文字ずつゆっくりと打ち込む。包帯だらけの指は血が滲み、痛みで顔が歪む。

『彼と会い、知りうる情報はすべて与えた。後は彼次第だ。どうか助けてあげてほしい』

メールは無事送信された。


カースドがノートパソコンを閉じようとした時、病室の隅に黒い靄のようなものが目に入った。黒い靄は渦を巻くように漂っている。

「私に残された時間はもうないようだ……」

その黒い靄をじっと見つめていると、だんだんと人の形に変わっていった。

カースドの耳に鎖が擦れる音が聞こえる。

近づいてくる黒い影。全身に巻かれた包帯が黒く変色していき、カースドは痛みで顔が歪み呻き声をあげながらナースコールに手を伸ばす。

だが、カースドの指は僅かに届かない。

全身が腐るように黒く変色していく。その様子を、黒い影は見つめている。

ついにはナースコールを押せないままカースドは力尽きた。

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