松田真一

翌日、松田が学校に着くと、廊下で集まっている男子生徒の口から、加地が自殺したという言葉が聞こえてきた。どうやら加地が死んだという情報は周知されているようだった。

二人の関係を知っていた生徒は、ユキの後追いだと言った。

他の生徒は、続く死を不審に思い「呪い」ではないかと恐れる者もいた。

誰かが「呪い」をかけている。そう解釈をして人間不信となる生徒もいた。

教室の加地とユキの机には、それぞれ二本の花を生けた花瓶が置かれ、朝礼にて黙祷が捧げられた。

加地と仲が良かった生徒はひどくショックを受けていた。松田もその一人だった。

だが、それ以上に“次は自分の番”かもしれないと、松田は言い知れぬ不安を感じていた。

休み時間、松田の教室に広瀬がやってきた。

何しに来たと言わんばかりに、クラスの生徒たちは広瀬を目で追った。そんな生徒たちに目もくれず、広瀬は松田の前で立ち止まった。そして、顔をぐっと松田に近づけ、

「放課後、図書室に来て」と言い、返事も待たずに教室を出て行った。教室内にいた生徒たちは告白かと勘ぐり、松田を茶化した。

松田がギロリと睨みつけると、茶化した生徒は押し黙った。

その日、同学年での死が続いたことで、職員室では問い合わせの電話が鳴り続いていた。教師たちはそれらの対応が忙しく、授業の一部が自習となった。


そして放課後、松田は広瀬に会うために図書室に向かった。すでに下校のチャイムが鳴り終わり、校内に残っている生徒も少なく静かだった。

松田が図書室に入ると、読書スペースで一人読書をしている広瀬の姿が見えた。他に生徒はいないようだった。

気配に気づいた広瀬が、すっと本から視線を松田に向けた。だが、その視線はすぐに本に戻ってしまった。松田は広瀬の正面の席に座った。

広瀬が読んでいるのは、厚いミステリー小説だった。テーブルの上にも、オカルト小説が一冊置かれていた。

「本、好きなんだな」

松田の声に広瀬の視線が一瞬止まるも、すぐにまた広瀬の視線は上から下に向かって流れた。

「こっちはもう読んだのか?」

 松田は広瀬が読んでいる本のタイトルを覗き込んだ。だが、広瀬は何も話さない。

「亮介も好きだったな。こういうオカルトもの……」

 松田は感慨深く、置かれたオカルト小説に触れた。

「この前、亮がここに来た」

 広瀬は本に視線を向けたまま話し始めた。

「亮って呼んでいるのか」

「悪い?」

「いや別に」

「亮がここにきて、この映画を知らないかって尋ねてきたの。私はそんな映画、知らないって答えたわ。またバカみたいに、呪いだの霊障だのって面白半分で探しているんだろうなと思いながらね」

「それって、まさか山荘の惨劇?」

「へー、あなたもそういうの好きなんだ。意外」

「俺は別に」

「亮がね、呪いの映画だったって、そう言ったの。それを見たせいで、如月さんが亡くなったって。呪いを解かないと自分も親友も死ぬかもしれないって。そんなの知らないって私が言ったら、お前のせいでもあるんだからって。助けて欲しいって。身勝手すぎて、頭に来たから追い返したの」

「広瀬は呪いって信じるのか?」

「さあ。でも、嫌なことされた時に思うことってあるでしょ。死ねよ、ってさ。負の念が強いほど、ある日その相手が交通事故にあって生死を彷徨うとかって時々あるじゃん」

「そんなこと本当にあるのか?」

「たまたまとか思ってる? 私は、結構見てきたけどね。目の前で車に跳ね飛ばされた奴」

にやりと笑う広瀬に、苦笑いをする松田。

「それでここからが本題。亮に頼まれて、私もその映画のことを調べたの。暇じゃなかったけど」

広瀬は開いていた本を机に伏せ、鞄から小さな猫柄のメモを取出し机の上に置いた。メモには、羅列する英数字が長々と書かれていた。

「これは?」

「ある掲示板の古いログのアドレス。そこに、それらしき情報が載ってた」

「よく調べられたな」

「情報収集は得意なの。人間関係よりもね。参考になればいいけど」

「ありがとう。さっそく見てみてるよ」

松田は小さなメモをポケットに入れると、図書室から出て行った。

「これで許してくれるかな、亮」

松田の背中を見送りながら、広瀬はそう呟いた。


地元の駅に着いた松田は、いつものネットカフェに向かった。松田の脳裏に浮かぶ、不愛想な店員とイビキ男の顔。出来ればもっと静かな個室で、愛想のいい店員がいるネットカフェに行きたいと願う松田だった。

松田が入口のドアを開けると、来店を知らせるチャイムが鳴った。

「いらっしゃいませ」

という落ち着いた挨拶の声が聞こえて来た。

受付にはいつもと違う眼鏡をかけたやせ形の中年男性が立ち、来店してきた松田に笑みを浮かべながら立っていた。

松田は思いがけない愛想に戸惑いながらも受付の前に立つと、店員から利用料金や注意事項を丁寧に説明された。

松田からお金を受け取ると、店員は「ごゆっくりどうぞ」とにこやかに頭を下げた。終始笑顔だった店員が少し怖くなり、松田は個室の方へ足早に向かった。

振り返ると、店員がにこやかに見続けている。それを見て思わず、「あれはあれで怖いな」と呟いた。

フロアには他の客の姿はないが、個室は相変わらず埋まっているようだった。

そして空いていたのはやはり一番奥の薄暗い個室。ただ、隣の個室から聞こえていたイビキが、今日は聞こえず松田は安堵しながら個室に入った。

松田はパソコンの前に座ると、広瀬のメモに書かれたアドレスをパソコンに打ち込み、エンターキーを押した。すると、画面に表示されたのは不特定多数が利用する大型の掲示板だった。周囲には卑猥な広告バナーが表示され、目のやり場に困る松田だった。

そのサイトでは、怪奇現象が起こる映画をテーマにして、それぞれの噂で盛り上がっているようだった。

松田は上から順に書き込みを読み進めた。いくつかの映画で、映像に霊が映り込んだり、霊の声が入り込んだり、ポルターガイストが起こったりという報告が書かれていた。

そして、しばらく読み進めた時、山荘の惨劇らしき映画の噂を見つけた。


A:この前、自主製作のホラー映画を、見たんだけど、「さんそうのさん劇」って、いうやつ。見ると、やばいって、聞いたんだけど。知ってる人いない?

B:知らないな。

C:やばいってどんな風に?

A:呪われる、って。

B:ビビり乙―。

D:俺、知ってるかも、その映画。見てはいないから、呪われるかどうかは知らないけど。子供の頃にそんな名前の映画の噂を聞いたことがある。

C:どういうこと? 詳細よろしく。

D:俺の地元って山に囲まれた小さな村だったんだけど、近くの山は自然豊かで、鮎なんかが釣れる川もあれば、珍しい野鳥とか動物もいて、キャンプ場なんかもあった。だから、夏になるとキャンプに来る客が多かったらしい。十年ほど前か、自主製作映画を作るからって十五人ぐらいの若い男女が一週間ほど村に滞在したんだ。撮影は山の中でしていたみたいだけど、飯を食う時は俺の叔母がやってた食堂によく食べに来ていたんだ。ある時、叔母がどんな映画を作ってるのか、って監督らしき人に聞いたら、ある監禁事件を基にしたホラー映画だって。それを聞いた叔母は、「よしなさい、そんなこと。祟られるよ!」って怖い顔して言ったんだ。けど、まぁ、ただの食堂のおばちゃんに忠告されたぐらいじゃ撮影をやめるわけもない。結局、すべてのシーンを撮り終えたらしい。

B:長いなw

C:監禁事件ってどんなのよ。

D:当時を知る大人たちは、その事件のことを聞くと嫌がるんだ。あまり触れられたくないらしい。

A:どんな、事件だったんだろう……。

D:祭りがあった日に、酔っぱらって上機嫌だったじいちゃんに聞いたら、昔、山奥に建つH家の地下室で、一人の女性が監禁された挙句に亡くなったらしい。

B:誰も気づかなかったのかよ。

C:どのぐらい監禁されていたんだろう。

D:一年以上だって聞いた。犯人はH家の長男だった。じいちゃんの話では、勉強熱心で大人しい子だった。父親の仕事を継ぐために上京したらしいけど、父親が亡くなっても姿を見せなくて、まさか戻ってきていただなんて誰も気づかなかったらしい。

B:一年以上ってことは、飯は食べられていたんだな。

C:だろうね。

A:死因は……?

C:餓死らしい。

B:途中で女のことが飽きたか。

D:どうやら、先に犯人の方が死んだらしい。しかも地下室で。

C:まさに呪いだね。

B:こじつけだろ(笑) 監禁事件なんて、他にも探せばいくらでもあるだろうし。

D:その女性はさ、生きるために目の前の犯人の体を食べたそうだよ。でも、結局、誰にも気づいてもらえずに餓死をしてしまったんだよ。事件が発覚した後に、村長や駐在員が地下室に入ったら、その夜に亡くなったり、失踪したりで、あの家は呪われているって噂が広まったらしい。俺もばあちゃんから山奥の家には近づくなって言われてた。それで話は戻るけど、撮影を終えて翌日帰るという時になって、出演者の一人が行方不明なったんだ。村中大騒ぎで、総動員で探したんだけど見つからなかった。撮影隊の人達は捜索願を出して帰っていったんだけど、その帰りに事故を起こして、キャストとスタッフが多数亡くなったらしい。それを聞いた村の人たちは、祟られたって口を揃えて言ってたんだ。だから、その映画も呪われるだろうって噂になった。

B:どうせ作り話だろ。

カースド:その映画は見ない方がいい。関わらない方がいい。命の保障ができない。

B:なんだ? 中二病みたいな奴が来たな、笑 

D:まぁ、信じるかどうかは勝手だけど。

A:レスが遅くなって申し訳ない。色々あって……。この映画、最初は俺が見たって言ったけど、本当は大学のダチが見たんだ。そのダチがさ、映画を見てから様子がおかしくなって……、誰かに監視されているって幻覚に悩んでた。で、昨日そいつが電車に轢かれて死んだみたいだ。一緒にいた友人が言うには、踏切の前で待っていたら、そいつが急に挙動不審になって、逃げるように踏切内に侵入したところに特急電車が来て轢かれたらしい。首が転がるのを見てしまったと震えながら言ってた。それが呪いかどうかはわからないけど、俺は見なくてよかったと思ってる。

B:面白いじゃん。俺も見てみたいわ、その映画。どこで見れるんだ?

A:ダチの家にあるかもしれないけど、やめておけよ。お前が死んだら、俺が悪いみたいになるだろ。

B:えー、いいじゃん。

A:ダチのお母さんに確認してもらったけど、そんなDVDはないってさ。もう返したのかも。

B:どこに行けば見れるんだよー。

A:知らないよ。この話はもうおしまい。


書き込みはそこで終わっていた。

やはり監禁事件は実際あり、そこで女性が亡くなった。あの白い服の老婆は、その女性の亡霊だろうと解釈した。だが、呪いの解き方はおろか、事件が起こった場所すらも分からずじまい。呪いを解かなければ、自分も白い服の老婆によって呪い殺される。

もっと情報が欲しい。けれど、最後に書かれたメッセージは、もう三年以上前のもの。もう誰も見ていないかもしれない。

それでも、松田は書かずにはいられなかった。


松田:この掲示板をまだ見ている人はいませんか。「山荘の惨劇」という映画の情報をもっと知りたいです。事件の詳細や事件が起こった場所について誰か教えてください。時間がありません。どうか助けてほしい。


投稿を押すと、松田のメッセージが掲示板の最後に載った。とにかく誰かの目に留まってくれればと願うのだった。

突然、画面全体が真っ白になった。松田はパソコンが壊れたと思い、焦りうろたえた。

すると真っ白だった画面が、今度は赤黒い斑模様の不気味な背景のページを映した。周りの文字もアドレスさえも文字化けをして、サイトのタイトルもメッセージも読めない。どんなにページを閉じようとしても、マウスは反応しない。

画面の中央に現れた静止画。それを見た、松田は驚き手を止めた。

家具の位置、カーテンの柄、飾ってあるサボテン、自慢のオーディオを見て自分の部屋だとすぐにわかる。そして、静止画が動き出すと、部屋の中に入ってくる自身の姿が映る。

それを見た松田は、とっさにDVDドライブのトレーを開けたが、もちろんそこにはディスクなどは入っていない。

動画の中では、自身がベッドに寄りかかりながらスマホを見ている。すると、次第に眠気からか首を上下に揺れ、床にスマホを落とす。それに気づいた自身は、スマホを机の上に置くと、ベッドに横になり部屋の明かりを消した。

 映像はノイズでゆらゆらと波打つように乱れた後、画面全体が灰色に変わった。そして、部屋の壁にじわじわと黒いシミが広がっていくのが映る。すでに寝ている自分はそれに気づいていない。

その映像を見ている松田は驚愕し、不安で手が震える。

スピーカーから鎖の擦れる音がした。

その時、それを見ていた松田の背後ドアがノックされた。音に驚いた松田はびくりと肩を震わせた。

ドンドンドン!!

誰かが乱暴にドアを叩いている。松田は恐る恐るドアを開けた。すると、そこにはあの不愛想な店員が立っていた。

「時間過ぎてんだけど。延長すんの」

時計を見ると、すでに一時間を十分ほど超えていた。

「え、ほんとだ! すみません。すぐ出ます」

「ったく、わざとらしい。少しぐらいなら大目に見てくれるとでも思ったか」

ブツブツと文句を言いながら、不愛想な店員は受付に戻っていった。

「あの!」

松田はパソコンの不具合を伝えようと店員に声掛けたが、店員は無視して行ってしまった。戸惑いながらパソコンを見ると、松田の部屋を映していたページは、「ページが見つかりません」というエラーページに変わっていた。隣の個室からは、微かにイビキが聞こえていた。

店から出る際、松田は不愛想な店員に尋ねた。

「もう一人の店員さんは帰られたんですか?」

すると、不愛想な店員はさらに不機嫌な表情で言った。

「は? 店員は俺だけだけど」

「え、でも」

言い返そうとする松田だったが、不愛想な店員に怪訝な顔をされ、訳も分からず店を後にしたのだった。おかしなことばかり起こる。

松田は頭を抱えながら家路に着いた。


松田が家の玄関を開けると、音に気付いた母親がキッチンから顔を出した。

「ただいま」

松田は廊下に腰かけながら、疲れた様子で靴を脱ぐ。

「おかえり。最近、遅いわね。寄り道でもしているの?」

「調べ物があるんだ。大丈夫。父さんより後にはならないようにするから」

母親の後ろから様子を伺うように、茜が顔を出した。

「おかえり。お兄……」

「どうした?」

「いや、何でもないよ」

「今夜は、お兄ちゃんの好きなロールキャベツだから」

「うん、着替えてくる」

そう言うと、松田は階段を上っていった。

すでに日も暮れ、二階の廊下は薄暗い。階段付近にあるスイッチを押したが、何故か照明がつかなかった。

仕方なく、松田はそのまま自分の部屋に進んだ。窓の向こうは街灯が灯り始めている。

部屋に入ろうとドアノブに手を掛けた時、中から物音が聞こえた気がした。脳裏に白い服の老婆が浮かびあがり、松田はドアノブに手をかけたまま硬直していた。すると、一階から階段を上ってくる足音が聞こえ、松田は肩を震わせた。

あの白い服の老婆が階段を上ってくる。そんな想像をして、呼吸を荒げる松田だった。

だが、実際に階段を上がって来たのは茜だった。暗い廊下に驚いた茜は、廊下の照明スイッチを押した。

すると、廊下の照明が灯り明るくなる。茜は廊下に立っている松田の姿に驚き、松田は足音の正体が茜であると安堵した。

「どうしたの、お兄」

「お前こそ……。母さんの手伝いしていたんじゃないのか」

「私はちょっと頼まれごと。お兄も早く着替えて一階に下りてきなよ」

ドアノブを掴みながらも、部屋のドアを開けようとしない松田。

「部屋に入らないの?」

「入るよ」

茜に急かされ、松田は部屋のドアを開けた。

部屋の中は暗いが、誰かいる様子はなかった。

部屋に入っていく松田に茜が声をかける。

「お兄。友達が死んじゃって悲しいのはわかるけど、元気出してね」

「知ってたのか」

「うん。まさか、あの加地君が自殺するだなんてね。そんなことするタイプには見えなかったのに。人ってわからないね」

「あいつは自殺じゃない。殺されたんだよ」

「自殺って聞いたけど違うんだ。それなら早く犯人が見つかるといいね」

「犯人なんて捕まらないよ。あれは、呪いだから」

「は? お兄、大丈夫? ショックなのはわかるけど、呪いって……」

「だよな。俺もそう思うよ。呪いなんてあるわけないって。今のはなしだ。気にしないでくれ」

そう言い、松田は部屋に入った。

ドアの向こうで、茜の足音と隣の部屋のドアが開く音がした。

松田は暗く静かな部屋で、ネットカフェで見たあの映像を思い出していた。監視された自分の部屋。壁の黒いシミ。それは加地の部屋にもあった。


その時、ふと冷たい空気が自分の頬をかすめ、驚いた松田は部屋の明かりをつけた。そして、松田は恐る恐る壁に目を向けると、そこに黒いシミはなかった。松田はそのままベッドの上に立ち上がり、監視カメラがないかを探してみるが、それらしきものは仕掛けられていなかった。どうやって部屋を映しているのか。やはり呪いなのか。松田は戸惑うばかりだった。

就寝前、松田が書き込んだ掲示板にスマホからアクセスしてみたが、誰からの応答もなかった


その夜、松田は悪夢に魘された。

そこは天井が腐り、壁はタールがこびりつき、床は赤黒い肉塊で覆われている。そんな変わり果てた自分の部屋で、松田は一人立ち尽くしていた。

家具は赤黒い肉塊に飲み込まれている。だが、テレビだけは妙に綺麗で、画面には砂嵐が映っていた。窓ガラスは割れ、カーテンは破れている。外は白く、部屋の中に僅かな光が入ってくる。

砂嵐のテレビから、隙間風のような高音が聞こえると、画面は砂嵐からぼんやりと何かを浮かび上がらせた。そこに映ったのは、首を吊られている加地の姿。スピーカーから、助けてくれという弱々しい加地の声が聞こえる。

だが、松田にはどうすることもできない。

地面に加地の赤黒い血が滴っている。加地の前には、背を向けた白い服の老婆がクチャクチャと音を立てながら何かを貪っている。

ガクガクと体を震わせた後、手足がだらりと垂らしこと切れた。

加地の体がゆらゆらと揺れている。

背中を向けていた白い服の老婆が、ゆっくりと松田の方に顔を向ける。口元にはべっとりと加地の血液がついていた。

白い服の老婆と目が合った松田は、息を呑みたじろいだ。

画面の向こうで、白い服の老婆が手を伸ばしながら近づいてくる。

そして、テレビの向こうにあるはずのその手が、テレビの外に伸びてきた。

松田は恐れ、部屋から出ようとしたがドアが開かない。振り返ると、テレビから白い服の老婆が這い出して来ている。

松田は必死でドアを叩く。ドアの向こうで、家族の楽しげな声が聞こえてくる。

「助けてくれ!」

どんなに叫んでも、松田の声は届かない。

耳元で鎖の擦れる音と息遣いが聞こえた。

振り返ると、目の前に白い服の老婆が立っていた。

ー逃ガサナイ

松田は絶叫し、ベッドから飛び起きた。

全身びしょびしょに汗をかき、心臓は痛いほど強く脈打っていた。

そこはいつもの部屋。部屋の中は暗く、テレビは消えていて白い服の老婆の姿もない。

ホッと胸をなでおろし、松田は汗で湿った服を着替えようと立ち上がった。

その時、部屋にほんのわずかな違和感を覚え、松田はゆっくりと部屋を見回した。

すると、壁にぼんやりと黒いものが浮かび上がって見えた。電気をつけると、そこには薄っすらと黒いシミが出来ていた。


それから二日が過ぎた。

 掲示板の進展は見られず、眠るたびに悪夢で起こされた。

寝不足で朦朧としながら、松田は横になりながら天井をただ眺めていた。

朝が訪れたことも気づかずに。


突然、部屋のドアが開いた。

「お兄、早く起きてよ! うるさい、その音!」

部屋に入って来たのは、パジャマ姿の茜だった。枕元では目覚まし時計のアラームがけたたましく音を立てていた。止まない目覚ましの音に、茜が先に目を覚ましたのだった。

「せっかく、いい夢見ていたのに!」

茜は文句を言っていたが、その声も松田には届いていないようだった。

「お兄、聞いてる?」

そう言いながら、茜は松田の枕元に近づいた。その影が松田の視界に入った時、それが白い服の老婆だと勘違いした松田はとっさにベッドから飛び起きた。

その反応に茜も驚いた。

「大丈夫? お兄……」

それが茜だと気づいた松田は、バツが悪そうに顔を伏せた。

「部屋に勝手に入って来るなって言ったろ」

「ご、ごめん」

いつもと違う松田の態度に戸惑い、普段は強気な茜も思わず謝った。

「あの……、お兄。目覚まし時計、鳴ってるよ」

ようやく目覚まし時計の音に気付いた松田は慌てて止めたのだった。

「お前も学校だろ。俺に気にせず、先に朝食食べてくれ」

「私は今日、学校が創立記念日で休みだったの!」

「休みか」

「そうよ! だからお昼まで寝てようと思ったのに。隣から大きな目覚まし音がずっと鳴ってるんだもん」

「それは悪かった」

ため息をつく茜。

「しょうがないから、私も朝ごはん食べようかな」

「俺は支度してから下りる」

「おっけー」

そう言うと、茜は松田の部屋を出て行こうとして立ち止まった。

「お兄。何か悩みがあったら言ってよね。家族なんだから」

「ああ、ありがとう」

茜は部屋を出て行き、階段を下りていった。

松田は着替えようと重い腰をあげた。頭が重く、体調は最悪。壁の黒いシミは消えておらず、ほんの少し大きくなった気さえした。


松田が着替えを済ませて一階のリビングに行くと、すでに父親は出社した後だった。テーブルの上には、こんがりと焼けたトーストと目玉焼き、そしてサラダに牛乳が並べられていた。茜はトーストを頬張りながらテレビを見て笑っている。

松田は母親に挨拶をすると、椅子に座ってトーストを一口食べた。

「真一、大丈夫? 顔色悪いけど。今日は学校休んだ方がいいんじゃない?」

心配そうに声を掛ける母親。テレビを見ていた茜までも、視線を松田に向けた。

「大丈夫だよ。心配しないでくれ」

松田は平静を保ちながらそう答えた。


学校についた松田は、何となく加地の教室を覗いた。賑やかな教室内で、ひっそりと佇む加地の机。そこに置かれた花瓶の花はすでに枯れていた。

校内ではユキや加地の話題も聞かなくなり、噂好きの女子グループですら別の噂で盛り上がっていた。

楽しげに会話をしているクラスメイトを見ながら、死んだ者が忘れ去られていく現実を思い知らされたような気がした。

掲示板にアクセスしても、最後の書き込みは変わっていない。時間だけが過ぎていく。加地と同じ運命を辿るかもしれない。と不安に思う松田だった。


昼休み、松田が廊下を歩いていると、前方で分厚い本を抱えた広瀬が歩いているのに気づいた。

松田は広瀬に駆け寄って声を掛けた。

「あのさ」

松田に気づいた広瀬が、手の平を松田の方に突き出した。そして、キョロキョロと辺りを見回し、誰もいないことがわかるとホッと肩を撫で下ろした。

「廊下で声を掛けないで。変な噂が立ったら困る。用があるなら、放課後の図書室に来て」

そう言うと、広瀬は足早に行ってしまった。そんな広瀬の姿を、ただただ唖然と見送る松田だった。


その日の放課後。松田は広瀬に言われた通りに図書室に向かった。誰もいない静かな廊下を渡り図書室のドアを開けると、奥の机で本を読んでいる広瀬の姿があった。

松田が声を掛けると、広瀬は睨むように松田を見上げた。

「廊下や教室では話しかけないで」

「どうして」

「勘違いされたくないの」

「勘違い。何を?」

「……もういい。例の掲示板に書いたあなたのコメント見たわよ。案の定反応ないわね。古すぎて誰も見ていないでしょうね」

その掲示板のページが賑わっていたのは、もう三年以上も前のこと。日々変わっていく好奇心。更新される話題。過去の産物はそれらに埋もれ、誰も見なくなる。

「これからどうしたらいいんだ……」

 松田がボソリと呟く。

そこで広瀬が提案を口にした。同じオカルト掲示板の中で、新しいテーマとして書き込むこと。やり方がわからないという松田に、広瀬が代わりに立ててくれると言った。

「その映画のことを詳しく教えて」

広瀬は鞄の中からペンとメモ帳を取り出し、松田は「山荘の惨劇」のあらすじと、その後に起こる不可思議な映像のことを伝えた。

まるで監視されているかのように、映像に自分の部屋が映し出されること。本編に出ていた白い服の女が老婆となって現れること。

その白い服の老婆によって、殺されるところが映ったこと。ユキも加地も、その映画を見て死んだこと。松田もそれを見たこと。

広瀬は松田の言葉を一つ一つメモに書いた。

「とにかく事件の詳細が知りたい」

「わかった」

広瀬がそう返事をすると、松田は自身のメールアドレスと携帯番号を連絡用にと広瀬に教えた。

「あなたも見たって言ったよね。もしも本当に呪いがあるとするなら、あとどれぐらいの猶予があるの?」

「数日はあると思う。具体的に何日かっていうのはわからない」

「私も見ようかな。そうしたら、もっと何かわかるかもしれない」

「やめておけ。呪いを解く方法がなかったら困るだろ。見ないことが、触れないことが最善だってこともある」

「なんかそれ、諦めているような言い方」

「そうじゃないよ……。広瀬のコメントに、あの人が気づいてくれれば望みはある」

「あの人?」

「映画の基になってる監禁事件のことを知っていそうな人物を二人見つけたんだ。一人は掲示板に書き込んだ人物。もう一人はカースドという人物だ。どちらかと接触できれば、ヒントが手に入るかもしれない」

「間に合わなかったら?」

「それで死んでも、広瀬を呪ったりしないから安心しろよ。むしろ感謝してる」

松田はそう言って微笑んだ。

広瀬は顔を赤らめながら、メモ帳と持っていた本を鞄に詰め込んだ。

「ちゃんと書いておくから」

そう言うと、広瀬は足早に図書室を出て行った。

一人残された松田。窓の外を見ると、校庭ではサッカー部員が部活動をしている。それを応援している女子生徒たち。数人の男子生徒が、女子生徒に声をかけてあしらわれている。だが、その男子生徒は懲りずにちょっかいを出しながら笑っている。それに嫌気がさしたのか、女子生徒たちは不満げに帰っていった。それでも笑っている男子生徒。その姿を加地と重ねる松田だった。


帰り道、松田はおばけ横丁のレンタルビデオ屋に寄ってみたが、相変わらず店はシャッターが閉まったまま。臨時休業の張り紙もそのままだった。仕方なく、松田は引き返した。

松田が商店街のメイン通りを歩いていると、呉服屋と和菓子屋の間に細い砂利道があり、その先に小さな鳥居があるのを見つけた。松田がその砂利道を歩き小さな鳥居を潜ろうとした時、背後から声を掛けられた。

「待て、小僧」

振り返ると、杖をついた背の低い老人が松田を睨むように見上げて立っていた。

「何ですか……?」

「穢れ者が神聖な場所に近づくんじゃない。今すぐ立ち去れ」

杖の先端を松田に向けながら怒っている。

商店街にいた通行人らも、何事かと目を向け集まってきた。

「すみません」

松田は頭を下げ、その場から立ち去った。

老人は松田が商店街を出て行くまで、ずっと目で追っていた。

結局、松田は神様にすら助けを求めることが出来なかった。


松田が家に帰ってきた時には、すでに夕暮れ時になっていた。玄関のドアを開けると、一階の奥で母親が夕食の支度をしている音が聞こえた。

「ただいま」

 松田が靴を脱ぎながらそう言った。

 だが、おかえりの声がない。いつもなら、どんなに忙しくても、玄関のドアが開けば「おかえり」と母親の声が聞こえるというのに。

 少し違和感を覚えながらも、松田は二階に向かった。 

 松田が部屋に戻ると、タイミングよくスマホの着信音が鳴った。広瀬からのメールだった。

『新しく作ったから見て』

文章の下にはアドレスが書かれていた。

それをタップすると、掲示板サイトの別のページに飛ばされた。

一番上には、

『「山荘の惨劇」という映画について知っている人はいませんか?』


と広瀬が書いたとみられる見出しが載っていた。すでにその下には、いくつかのコメントが載っていたが、どれも「知らない」「聞いたこともない」という否定的なものだった。

だが、反応があるということは、他に映画の事を知っている人物やあのカースドという人物に会える可能性が高まったということ。

松田は広瀬に感謝のメールを送った。


その時、前方から電源が入る音がした。顔を上げると、消えていたテレビが勝手につき砂嵐を映していた。動揺しながら、松田はテーブルの上のリモコンに手を伸ばした。

すると、砂嵐は松田の部屋が映し出した。

薄暗い部屋の中、松田がベッドで横になっている。魘され、何度も体を左右に揺らしている姿が映っている。ノイズが混じり映像が乱れると、壁に黒い霧が広がっていくのが見え、慌ててテレビを消した。

胸騒ぎがした松田は、テーブルの上のレンタルビデオ屋の袋に手を伸ばし、ケースの中身を確認した。すると、何故か山荘の惨劇のディスクがなく、半信半疑でプレーヤーのトレーを開けると、そこには入れた覚えのない傷ついた山荘の惨劇のディスクが入っていた。

それを見た松田は、慌ててトレーから取り出した。

戸惑う松田に追い打ちをかける。

壁のシミは明らかに広がり濃くなっている。床には微かに足のような形をした黒いシミが出来ていた。松田は床の黒いシミを指でなぞった。すると、指先に砂のようなものが付着した。タオルで擦ると、床の黒いシミは取ること出来た。だが、壁の黒いシミはどんなに擦っても消えることはなかった。少しずつ、呪いが近づいてくるのを感じた。


眠るたびに見る悪夢。

松田は一人、気づくと薄暗い場所に佇んでいた。足元には、泥やカビに塗れたコンクリートの床。どこからか水滴が滴る音が聞こえる。奥はより暗く、闇が広がっている。

歩いても、歩いても、出口が見えてこない。

そのうち、暗闇の中から息遣いと鎖が擦れるような音が聞こえてきた。

松田は走って逃げたが、どんなに逃げても音は遠ざかるどころか近づいてくる。

恐怖と疲労で過呼吸になり、松田は膝から崩れ落ちた。朦朧とする意識の中で見えたのは、鎖に繋がれた足と嫌悪に満ちた目だった。

松田はハッと目を覚ます。そこは自分の部屋。

薄暗い部屋の中で、耳に残るのは鎖の音。時計の針の音ですら敏感になり、眠ることが出来なくなった。


学校でも同じ。授業中、睡魔に襲われても、黒板に文字を書く音、教師の足音で目が覚める。周りの楽しげな笑い声さえも不快に感じるようになり、少しずつ精神が削られていった。


放課後、松田は図書室に向かった。

図書室のドアを開けると、数人の見知らぬ女子生徒が本棚で探し物をしていた。その向こうでは、机に向かって読書している広瀬がいた。

変わらないその光景に、松田は安堵した。

そして、広瀬の正面の椅子に松田は座った。

松田の存在に気づいた広瀬が松田の方に一瞬目を向けたが、すぐに視線を本に戻した。お互いに何も話さず、聞こえてくるのは本を探し歩いている女子生徒の足音だけだった。

少しして図書室のドアが開き、その女子生徒らも帰っていった。

すると、広瀬は視線を本に向けたまま松田に声をかけた。

「顔色悪いよ」

「それ言われるの、今日で何度目かな」

「あなたの探し人、まだ現れないね。もう死んでるかも」

「不謹慎なことをさらっと言うなお前」

松田は広瀬を見ながらふっと笑った。

「ここっていいな。静かだし、明るいし」

松田は机に突っ伏して、目を閉じた。

「うるさい男子もいないからね」

「亮介がいたら追い出されそうだ」

そう言いながら、松田は眠りに落ちた。

寝息を立てる松田を、広瀬は本を閉じて見つめていた。穏やかな時間が過ぎていく。

しばらくして、広瀬に肩を叩かれた松田が目を覚ました。広瀬はすでに鞄を肩にかけ帰る準備を済ませていた。

「日が暮れるわよ」

「久しぶりに、少し寝られた気がする」

「よかったね。じゃあね」

そう言うと、広瀬はひとり図書室から出て行った。広瀬を見送った後、松田もまた図書室を後にした。


夕暮れの駅。駅に向かう人の流れ。改札からはひっきりなしに学生や会社員が出入りしている。不揃いな機械音と足音。その流れに乗る松田。

急いでいるのか、前方から走ってきたサラリーマンに気づいた松田は避けようとして、横を追い抜こうとした若い男とぶつかった。

「すみません」と謝る松田に、舌打ちをして睨みつけながら追い抜いて行く若い男。

走ってきたサラリーマンの姿はもうない。

ホームに下りると、ちょうど車掌のアナウンスと共に電車がやって来た。


電車の中は他の乗客で混みあっていた。流れに身を委ねながら前に進みと、ちょうど空いていたつり革を見つけて握りしめた。毎日乗っている電車だが、夕方の混雑を忘れていた。

揺れる電車の中で、松田は窓の外を眺めていた。街は夕焼けに染まっている。前の座席に座っている乗客は、寝ているのか頭を垂らしながら体を揺らしている。周囲の大人たちも疲れた様子で俯いていた。

いつもよりレールを走る音が長く感じた。

窓の外を流れる景色も、まるでループしているかのように同じものだった。

耳の奥で、テレビの砂嵐のような音が聞こえてくる。だんだんと大きくなる音に、血の気が引いてくるのを感じた。

ようやく電車が駅に着くと、車内にいた乗客が一斉に降りていった。

気分が悪い。

松田は空いた席に座ると、そのまま目を閉じた。電車の揺れが体に伝わってくる。暗闇の中でレールの音が聞こえる。音の間隔はずっと変わらない。ずっと、ずっと……。

やけに長い。違和感を覚え、松田が目を開けると窓の外は真っ暗だった。スマホで時間を確認する松田。時間はそれほど経ってはいない。窓の外は、建物も見えないほど暗い。まるでトンネルの中のようだが、その区間にトンネルは存在しなかった。

「(乗り過ごしたか?)」

そう思いながら周囲を見回すと、車内に乗客が一人もいない。それどころか隣の車両にも乗客がおらず、照明が点滅を繰り返し、二つ後ろの車両は真っ暗だった。

目を凝らすと、点滅する照明の下に白い服を着た女が立っているのが見えた。嫌な予感がした松田は、そっと前の車両に移動した。

すると、点滅していた照明が完全に消えた。

恐怖を感じた松田は、車内に設置された非常通報ボタンを押した。

車内にブザーが鳴り響いた。だが電車が止まる気配はない。まるで闇が近づいてくるように、後ろの車両の照明が点滅し始めた。同時に、白い服の女がだんだんと近づいてくる。

車内に鳴り響いたブザーの音が歪む。

松田は前の車両に逃げていく。

どの車両にも、松田以外の乗客がいない。

次の車両に移ろうとした時、連結ドアは固く閉ざされ開かなかった。ドアの向こうに、乗客の姿が見えた。松田はドアを叩き、開けてくれと叫んだが、誰ひとり松田の方を向く人はいない。

そして、松田がいる車両も照明が点滅しはじめた。後方の連結ドアの前に白い服を着た女が立っている。

「こっちに来ないでくれ」

松田は連結ドアにもたれながら呟く。必死でドアを開けようとするも、ドアは少しも開かない。心臓の鼓動が今にも張り裂けそうだった。

ゆっくりと床を滑るように近づいてくる白い服の女。明と暗が交互に訪れる車両の中。

恐怖の限界が近づく。

「……逃ガサナイ……早ク返シテ……」

目の前にやってきた白い服の女の顔は皮膚が溶けて骨が見えた。

絶叫し目を見開く松田。

並びに座っていた乗客たちが、松田の叫び声に驚き一斉に顔を向けた。

また悪夢を見ていた。

窓の向こうはオレンジ色のまま。辺りを見回すと、乗客たちが怪訝な顔で松田を見つめていた。

車内に駅への到着を知らせるアナウンスが流れ、松田は乗客の視線に耐え切れずに電車を降りた。


ようやく家に着いた松田。玄関を開けると、一階の奥から楽しげな母親と茜の声が聞こえ、「おかえり」の声がした。ひどく疲れた松田は、そのまま自分の部屋に向かった。

部屋のドアを開けると、暗い部屋の中でテレビの明かりがついていた。そこには自分の部屋と、ベッドで寝ている自分が映っていた。

壁の黒いシミが動き出し、人の姿になっていった。そして、黒い影は寝ている松田の方へゆっくりと近づいていく。

スピーカーから、鎖の擦れる音がした。

松田はリモコンを手に取り、何度も電源ボタンを押したがテレビは消えず、業を煮やした松田はテレビのコンセントを引っこ抜いた。

すると、部屋の映像が消えて真っ暗になり、松田は安堵のため息をついた。

しかし次の瞬間、通電のないテレビの画面に砂嵐が映り、大音量のホワイトノイズが響いた。砂嵐はやがて、ノイズのひどい自分の部屋をまた映し出そうとしている。

「いい加減にしろ!」

松田はテレビを持ち上げると、そのまま床に叩きつけた。映像は消えたが、テレビはショートして液晶は割れた。無残に横たわるテレビを見ながら息を荒げる松田。

一階から慌ただしい足音が聞こえてくる。

ドアが勢いよく開くと、部屋の電気が灯った。

「何してるの、お兄!!」

部屋が明るくなったことと、茜の声で松田は我に返る。振り向くと、茜と母親が戸惑った様子で見つめていた。

「テレビが消えなくて」

床にはテレビの破片や部品が散らばっている。

「お兄ちゃん……。明日、お母さんと病院に行こうか」

突然暴れ出した松田に戸惑いながら、母がそう言った。

だが、松田は「病院には行かない。大丈夫だから。ごめん」と謝ると、床に落ちた欠片を拾いながら、母親と茜に部屋を出るように言った。

「もうすぐご飯だからね」

 母親が心配そうにそう言った。

「悪いけどいらない。早く出て行ってくれ」

母親と茜は部屋を出て行った。

部屋に一人になった松田は、床と壁の黒いシミを見ながら頭を抱えた。

松田はベッドの上に椅子を置き、その上に乗りながらカメラを探した。加地と同じように。だが天井には穴もなく、やはりカメラがつけられている様子もなかった。

その時、スマホの着信音が鳴り響き、驚いた松田はバランスを崩しベッドに倒れた。

届いたのは一通のメール。送信者のアドレスに見覚えはない。

いつもなら即ゴミ箱に捨てるメールを、松田は何となく開いてみた。


『山荘の惨劇という忌まわしい映画のことを調べているそうだが、一体何が知りたい。あの映画は、興味本位で見てはいけないものだ。どこで手に入れたのか気になるところだが、とにかく持っているなら、早く廃棄しなさい。カースド』


本文の最後に書かれたカースドという名前を見て、松田はハッとした。

「山荘の惨劇」のレビュー欄に、唯一書き込みをしていた人物。松田が知りたい情報を持っている可能性が一番高く、呪いを解く手掛かりが見つかるかもしれない。

ただ、カースドがなぜ自分のメールアドレスを知っているのか。疑問に思いながらもカースドに返信をした。


【松田】はじめまして。俺の名前は松田真一と申します。訳あって、「山荘の惨劇」という映画を調べています。あなたは、あの映画の関係者ですか?


 震える手で、松田はメールを送信した。

 少しして、メールが返ってくる。


【カースド】さぁ、それはどうだろうね。


【松田】あの映画は呪われていますか?


【カースド】首を突っ込むべき案件ではないのは確かだ。


【松田】すでに見てしまったとしたら。


【カースド】ならば、呪いの有無は自分がよくわかっているのでは。


【松田】映画を見たのは俺だけではないのです。先に見ていた友人二人が、不可解な死で亡くなりました。


【カースド】また犠牲者を増やしたのか。あのDVDは処分したはずなのに。君は一体、あの映画をどの程度知っているのかな。


【松田】監督やキャスト名と、あの掲示板に載っていた情報のみです。調べても、情報は得られませんでした。


【カースド】事故事態がもうずいぶんと昔のことだ。そして、あの家の事件はそれよりもっと昔。一体、それを調べてどうするというのだね?


【松田】俺は呪いを解きたい。だから、その方法を知りたい。


【カースド】そんなものはない。あったとしても、私は知らない。あのDVDを処分する前に映画を見た何人かを知っているが、みんな一週間ほど死んだよ。君に残されている時間も少ないのでは?


【松田】はい。少しずつ、説明できない何かが近づいてきているのを感じます。それが呪いなら、俺は解く方法を見つけたい。方法がなかったとしても諦めたくない。この事件のことを、もっと知りたいんです。


【カースド】私が映画関係者かどうか。答えはイエスだ。当時、私は撮影班の運転手兼編集担当だった。現場には行ったが、撮影には直接関わってはいない。


【松田】帰りの自動車事故で生き残った人は、その後どうなったのでしょうか。


【カースド】監督は一命を取り留めたが、両足切断の脊髄損傷で一生寝たきりとなった。生き残ったキャストやスタッフも不可解な死を遂げている。あの映画に関わった人間はみんな不幸になった。


【松田】あなたは呪いを受けなかった?


【カースド】呪いなら受けたさ。


【松田】でも、まだ生きているってことは、呪いは解けたんですよね?


【カースド】呪いの解き方は知らない。神も仏も私には役に立たなかった。


【松田】でも、映画を見たのに生きているじゃないですか。教えてください。俺には時間がないんです。あの映画のように、部屋にはカメラなんてないのに監視されているんです。きっと、あの女が俺を殺しにくる。俺はまだ死にたくないんですよ。


【カースド】世の中には、触れてはいけないものがあるんだよ。それに触れたらもう、運命を受け入れるしかない。


【松田】だけど、このまま死を待つだけなんて嫌です。あの場所に行ったら、きっと何か手掛かりがあると思うんです。教えてください。監禁事件が起こった家の場所を。


【カースド】なら、私に会いにおいで。そこでもっと詳しい話をしようじゃないか。


カースドから返ってきたメールには、とある住所が書かれていた。


【松田】明日、会いに行ってもいいですか。


【カースド】待ってるよ。


微かな光明を得た松田は、広瀬にメールでそのことを伝えた。

すると、すぐに広瀬から返信が届いた。


【広瀬】よかったね。


「(それだけかよ)」

広瀬らしい返事に松田はふっと笑った。


一階では父親が帰って来たようで、「真一は体調が悪い」という母親の声が聞こえて申し訳なさを感じる松田だった。

しばらくして、部屋のドアをノックする音と茜の声が聞こえた。

「お兄、入るよ」

ドアが開き、夕食をお盆に乗せた茜が入って来た。

「お母さんが持っていけって」

「……ありがとう」

「お兄、何を隠しているの?」

「何も隠してないよ」

「嘘。加地君が死んでから、帰って来る時間が遅くなったし。何を調べてるの?」

「お前には関係ないよ」

茜が部屋に入ってくると、床に散らかったテレビの破片を見て思い出し、悲しそうな顔をした。

「あんなお兄、初めて見た」

「すまん。飯を食べたら綺麗にする」

茜が夕食のお盆をテーブルの上に置いた。

ふと部屋を見回した時、壁と床の黒いシミに気づいた。

「どうしたの、このシミ」

茜は黒いシミを指で触れようとした。

「やめろ! 触るな!!」

大きな声に驚く茜。

松田の顔は怯えているようだった。

「カビかもしれないから触れるんじゃない。病気になるぞ」

「でも……、このままにしておけないよね」

「明日にでも薬買ってくるから、お前は早く自分の部屋に帰れ」

茜はムスッとしながら、部屋を出て行こうとして立ち止まった。

「あのさ、加地君が亡くなった次の日、駅のホームでお兄の学校の制服を着た女の子を見かけてね、その子たちの会話を聞いちゃったんだけど……。加地君とその彼女が呪われて死んだんじゃないかって」

茜は松田の異常な行動をみて、それに関わっているのではと危惧した。

「もしも困っていることがあるなら、私にも協力させてほしい」

「呪いなんてあるわけないだろ。そんなもの信じているのか?」

フッと松田は笑った。

「笑わないでよ! 真面目に心配してるんだから」

「ごめん。けど大丈夫。心配いらない。それより、早く食べて片付けないと。だから、お前も自分の部屋に戻れ」

茜はムスッとむくれながら、部屋を出て行った。

「ありがとう。けど、兄として妹を巻き込むわけにはいかないんだよ」

松田は小さな声でそう呟いた。

一人になった松田は、母親が作ったハンバーグとサラダとみそ汁を食べた。

「冷めてるけど、やっぱ美味いな」

松田は家族の愛情を感じていた。


その夜も、松田は悪夢にうなされた。

松田は目を開けると、そこは真っ暗な場所に立っていた。周りは何も見えず、何も聞こえない。

近くで低い機械音がして、突然暗闇から眩しい光が広がった。

思わず、松田は目を細めた。

その光は電源のついたテレビだった。画面には砂嵐が映っている。耳障りなホワイトノイズが聞こえる。

また小さな機械音がした。目の前のテレビの横に少し小さなテレビがもう一台現れ、それもまた砂嵐を映している。

続けて同時に二つの機械音が聞こえ、小さなテレビが宙に浮くように左右に現れた。それもまた砂嵐を映し、ホワイトノイズを流している。

砂嵐の画面は、まるで古いビデオテープのように乱れながら、どこかの家を映し出した。

そして、それぞれのテレビでいくつかの静止画が切り替わっていく。

四つのテレビはそれぞれランダムに映しているが、同じ静止画を繰り返しているようだった。どれも山荘の惨劇の中で見たものによく似ていた。

森・森の中の家・地下室・三人の影・苦しむ人・首を吊る人影・血と肉、煙を吐きながらひどく潰れた車・車内で死んでいる数人の姿・森で彷徨い歩く白い服の女・薄暗い部屋の中で、天井から吊るされている複数の人影。暗闇の中で何かを貪る人の影と、赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。

赤ん坊の泣き声が耳を塞ぐほど大きくなり、次の瞬間テレビ画面とホワイトノイズが一斉に消えて真っ暗になった。

戸惑う松田の背後から光が差し、振り返るとそこには光る大きな鏡が現れた。鏡の向こうに、自分の部屋と自分自身が映っている。

自分が近づけば、相手も近づいてくる。

光る鏡に手を伸ばそうとした時、耳元で鎖の擦れる音が聞こえた。同時に、鏡の向こう側に立つ松田の背後に、両手足に枷と鎖を垂らした白い服を着た老婆が現れた。白い服の老婆が、ゆっくりと松田に近づいてくるのが見える。

それを見ている松田は息を呑んだ。

耳元で鎖の擦れる音がする。意を決して振り返るが、そこには誰もいない。

だが、耳元で「返セ」という声が聞こえた後、自分の首に鎖が巻き付いていることに気づく。

「返セ……返セ……返セ……」

声がするたび、首に巻かれた鎖が締まっていく。逃げようにも足が動かず、苦しみもがきながら松田は気を失った。

ハッと目を覚ました松田は、部屋のベッドの上にいた。全身にびっしょりと汗をかき、息苦しさと喉の渇きを感じた。

松田は部屋を出て、一階の洗面台に向かった。そして、洗面台の鏡を見た時、首周りに薄っすらと蚯蚓腫れが出来ていることに気づいた。松田はそれを見て、恐ろしくなった。


朝になり、カースドに会いに行くために松田は制服に着替えた。家族にばれないようにするためだ。鞄には教科書ではなく私服を詰め込み、松田は大きく息を吐いて一階へ下りた。

リビングでは弁当と朝食を作っている母親と、スーツ姿で新聞を読んでいる父親がいた。

「おはよう」

松田がそう挨拶をすると、父親は新聞に目を向けたまま挨拶をし、母親は心配そうな顔をしながら、「おはよう」と言った。茜はまだ寝ているようで姿がなかった。

松田は両親に頭を下げながら、昨夜のことを謝罪した。

「もういいから。早く朝ごはんお食べ」

 テーブルに松田の分の朝食を並べられ、松田は席について朝食を食べ始めた。

父親はすでに朝食を食べ終え、時計を見た後で新聞を閉じて立ち上がった。

「行ってくる」

父親は母親から弁当を受け取り、リビングから出ようとした。

その姿を、松田は横目で見ていた。

すると、父親は立ち止まり、

「真一、気を付けて行けよ」

そう言って、振り返りもせず出て行った。

普段はそんなことを言わない父親なだけに、松田は驚いていた。

「お父さんだって、心配しているのよ」

母親はそう言いながら微笑んだ。

そして、茜がなかなか起きて来ないと嘆きながら、母親は茜を起こしに行った。

いつもと変わらない朝。

美味い飯と、居心地のいい家。愛する家族。

生きたいという思いが強くなる。

母親と茜の騒がしい声が聞こえてくる。

リビングにやって来た茜は、松田の顔を見て口を紡いだ。

「おはよう。昨日はすまなかった」

 松田がそう言うと、茜の表情は一気に明るくなった。

「おはよう、お兄!」

 茜が朝食を食べ終える前に、松田が席を立った。駅まで一緒に行こうという茜の誘いを断り、松田は母親から弁当を受け取った。

不貞腐れる茜をなだめ、私服が入ったリュックを背負って家を出た。


駅に着いた松田は公衆トイレで私服に着替えると、メールに書かれていた場所に向かった。

カースドに会うために。

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