削ぎ取られた世界

縁田 華

削ぎ取られた世界〜その選択は正しいのか?〜

 気がついた時、私はベッドに寝かされていた。清潔なシーツに白い掛け布団。白い塗装が施されたパイプベッドの脇には小さなチェストがあり、その上にはやや古いデザインのテーブルランプがある。天井は白く、この上ない虚無を連想させた。最先端の医療が日夜行われている病院でさえ、こんなに白くはないだろう。普通の病院でさえ様々な色が緩く混じり合っているし、子供たちが入院するようなところなら、子供が喜びそうな遊び道具や絵本などでカラフルに見えることだろう。ひょっとしたら、カラフルが過ぎてサイケデリックにさえ見えるかもしれない。だが、この空間には白以外は何も存在しなかった。

 身体を起こして周りを見渡すと、ベッドとチェストの周りには何もないことが理解出来てしまった。広い部屋の中に、たった一人私だけがいる。壁には壁紙さえもなく、床は水鏡のように磨かれている。一体何畳あるのか見当もつかないような部屋である為か、もう少しだけ狭くてもいいのではないだろうか。そんな風に思うが、口には出さなかった。

「失礼シマス」

人型のロボットが自動ドアを開けて私の部屋へとやってきた。声は若い女性の、所謂ウグイス嬢と呼ばれる類の澄んだソレだが、機械特有の癖がある。ただ、人間の声としては然程違和感を覚えることはなく、自然さを感じられた。

 ロボットは両手の中に、私の着替えらしきものを持っていた。今着ている、入院患者用の病衣のような服ではなく、青いタータンチェックのシャツに黒くぴっちりとした長ズボン、黒い編み上げのブーツといったカジュアルなものばかりだが、別にこの茶色い短髪だ、服装にこだわりはないしどうでもいいとさえ思える。それだけを渡し終えたソイツは、音も立てずに出て行った。

 私が着替えを終えて暫く経った後、部屋の中に時計がないことに気がついた。それどころか、鏡も無ければ棚や椅子、机の一つもない。窓もない。その上、手元に櫛がないので髪の手入れができない。私はやることもなく、仕方なくベッドの上に座った。

 マットレスは低反発というやつだろうか、沈み込むような心地良さだ。市販のソファでもこうはいかないだろう。そのまま暫く座っていると、またもドアの向こうからロボットがやってきた。今度は人型ではなく、料理を運ぶワゴンのような形をしている。トレーの上には、緑茶が入ったペットボトルや、クッキーやチョコレート、キャンディーが包装ごと入った菓子鉢が載っていて、私がそれを取るとさっさと部屋から出て行ってしまった。音を立てることなく、ゆっくりと。

 与えられた菓子の包装を、僅かに力を入れつつ端のギザギザに沿って破る。すると中からはパフが見え隠れしている半球状のミルクチョコレートや、砂糖がまぶされたプレーンのクッキー、バター味の明るい茶色をしたキャンディーが現れた。私はチョコレートを手に取り、そのまま口の中に放り込んだ。前歯で噛んだ瞬間、ただの茶色く甘い塊とは違うのだと思い知らされる。パフを噛んだ瞬間に、サクサクという食感が口の中全体に伝わった。身体中を眩しい蜜柑色の光が駆け巡り、脳のてっぺんまで来た時に漸く感じられた。甘くて美味しい、と。お腹が空いていたせいか、いくらでも食べられてしまいそうだ。クッキーはバニラ味だろうか、まろやかで温かみのある味が、私の舌を楽しませ、腹を満たしていった。

 菓子鉢の中にある菓子を全て食べ終え、ジャスミン茶のペットボトルが半分以上減った時、小さくて乾いた足音が聞こえてきた。靴の音からして革靴だろうか。少なくともフォーマルな場面で履きそうな靴ではある。その上、徐々にこちらへ向かってくる。つまりは走ってきているのだ。どんどん靴音が大きくなっていき、遂にドアが開いた。

「お目覚めかの、お客人」

目の前にいたのは7歳くらいの少女だった。黄緑色のそれほど長くない髪を二つに結び、ダボダボの白衣を着ている。裾も袖も、床に着き、引きずるくらいには長い。その中にはアースカラーのシンプルなワンピースを着ていて、年齢の割には地味な印象を受ける。靴は素足にブーツ。服と同じくらい地味な茶色だ。もしかしたら、そこまで服装に気を遣おうとは思っていないのかもしれない。

「あなたは……」

「儂のことが分かるのか。儂はシンディ。こう見えて数百歳は生きておるが、訳あってこの世界におる。お前さん、名前は?」

「……私はもう長らく名前を呼ばれてはおりません。だから覚えていないんです」

「ほう、こりゃ珍しいモンじゃのう。呼ぶべき名前がないなんてなあ……」

シンディは驚いている。そして、すぐに元の子どもらしい笑顔に戻り、

「見たくはないか、お客人?儂が手間暇かけて作りあげた世界じゃよ。此処は地下じゃから、窓がない。だから、外の様子は分からんじゃろ?」

「……私も、外の様子を見たいと思っておりました。どうか、案内してください」

 私達はエレベーターに乗り、地下から一階へと移動する。回廊を見ても、人の姿は見当たらず、様々な形のロボット達が淡々と業務をこなしていた。掃除機に似たような形のロボット、こちらへ機械的な挨拶を返してくるロボット、人型だが金属質でコードが見えているロボット、先程も見かけたワゴン型のロボットなどがいる。壁にはまるで蜘蛛のようなロボットが脚にブラシを付けて掃除をしていた。ブラシには泡が付いている。後ろ足に装着しているダスターでソレを拭き取ると、そこだけ蝋で磨いたように綺麗になった。大きな窓の外を見てみると、南国にあるような植物ばかりが生い茂っている。棕櫚、蘇轍、羊歯の一種や椰子の木など。地面にも芝生かと思うくらい沢山の植物が生えているが、よく見るとそれらは芝ではない。白詰草に蒲公英。大葉子などといった、道端で必ず目にする雑草ばかりがある。ちなみに、窓の外からは青空が見えない。ドームで覆われているからだ。案内役を務めるシンディは建物の出入り口の前に立ち、

「外の様子も案内しよう、着いて参れ」と楽しそうに言った。

 自動ドアが開き、私と彼女は外に出るが、何故か風の音がしない。小鳥の鳴き声も聞こえないし、周囲を見渡すと誰もいない。

「誰もいませんね……」

「広いからな」

植物以外は隔絶された土地に私達二人だけ。寂しい、というわけでもないのだが、少し疑問に思ったので、

「何故、あなたはここにいるのですか?」

「話すと長くなるが、ソレでもいいかの?」

シンディは話し始めた。

 元々シンディはごく普通の家庭に生まれた子供であったが、生まれつき他人よりもIQが高く、天才やギフテッドと呼ばれるような存在だった。五歳になる頃には新聞記事の意味を全て理解し、記事に対して批判さえしたという。しかし、あまりにも賢過ぎたからだろうか。それとも彼女の脳みそが元いた世界に合わなかったからだろうか。たった十二歳で名門大学を飛び級で卒業した彼女は、ある日テレビで児童虐待のニュースを目にした。別の日には戦争やテロのニュースをラジオで聴いた。雨の日に、何となく愛用のノートパソコンでインターネットを見ていたら、毒親の記事を見た。そこでこう思ったのだという。

『世の中なんでもかんでも感情に左右される輩が多すぎる。みんな感情やクオリアを持っているからいけないんだ。それに性差があるから比べるし、争いが起きる。性差もクオリアもなく、皆が綺麗に幸せに生きられる楽園を築けないだろうか』

幸い、彼女がいた世界では次元移動船が実用化されていたらしく、シンディは中古でソレを購入した。幼い身で主任研究員となり、数億ドルを稼いでいた彼女は、この世界と元いた世界を数ヶ月の間行き来し、楽園づくりに勤しんだ。最初は彼女の部下もいたようだが、本人曰く、あまりにも役立たずだからロボットを導入してからは全員暇を出したのだそうだ。言葉巧みに身寄りのない少女たちを誘拐し、この施設に連れてくるのもロボットの役目だった。ヒトに近いロボットが選ばれて、別の世界から連れてくるのだという。そうして数年の時をかけ、楽園は完成した、と彼女はにっこり笑った。

白く、ピカピカに磨かれた手すりに沿ってしばらく遊歩道を歩いていくと、シンプルな長袖の、白いワンピースを着た一人の少女が現れた。歳の頃は十二歳くらいだろうか、髪の色は桜色。眼はチョコレートのような焦茶色で、ボーっとしながらこちらを見つめている。口が少し開いているが、ヨダレは出ていない。こちらに気づいてはいるが、駆け寄る様子は一切なく、少しするとゆっくりと歩いて去って行った。もう少し行くと、今度は八歳くらいの、同じく白い服を着た少女達が二、三人ほどこちらを見つめている。彼女達は皆髪が短く、左から順に、深緑、紫、薄いオレンジの髪をしていて、真ん中だけ緑と茶色のオッドアイであることを除けば、あとの二人は菫色の目をしていた。双子だろうか。さっきの子と変わらず感情はない。

「あの子は……」

「儂の研究成果じゃよ。ここは人間の居住区。有害な動物に怯えることなく過ごせる安全な箱庭じゃ。一つのドームには大体百人程暮らしておる。大都会並みに広いドームじゃが、ロボットが何でもかんでもやってくれるから、人間達は何をせずとも生きていられるぞ。食糧は人間を捕捉したロボットが即座に運んでくれるし、ドームの外の話じゃが、農業や、生きるのに必要な栄養が詰まった食べ物はロボットが工場で生産しておる。まあ、味はないがな。三食全く同じものじゃが、悪くはないぞ」

彼女が言う通り、草の上を一台の、背中にタンクを括り付け、足がキャタピラになった配給ロボットが駆けていき、こちらを見たかと思うと二つの缶を、まるで自動販売機のようにゴトンと落とした。缶はプルタブ式で、赤いラベルには訳の分からない文字で製品名と栄養表示、それと原材料が書かれていた。私がソレを食べようと手に取り、蓋を開けると、中からはベージュのキューブが現れた。クッキーや角砂糖のような質感だが、彼女が言うとおり味は感じられない。というより、ベロの感覚を瞬時に失うような。何で出来ているのかさえわからないような、そんな感覚が口の中に広がっていく。悪くはないが良くもない。所謂ニュートラル、というやつで、ベロの目盛りがプラスにもマイナスにも動かないまま。こんなものを毎日食べていたら、それこそ数日で飽きそうなものだが。

 シンディが言うには、この世界には同じようなドームが数百ほどあり、その全てに百人あまりが暮らしている。その上、人間は人間でも皆同じ性別で、十七年程で皆死に絶えるそうだ。死に絶える一、二年前に自分のコピーを産み落とし、その子は三十秒程で五歳くらいに成長するとも。何の痛みもなく生まれた子には病気も障害もなければ、彼女らには意思も名前も感情もなく、何かを生み出すこともないし、争うことも一切ない。無論、言葉も文化もないし、暴力を振るうこともない。このことについて、彼女は、

「儂は見るのが嫌だったんじゃ。弱者が傷つくところを。ソレと、人間は生きる為に邪魔なものが多くてな。自分の思い通りにいかねば子を虐げる親もいるじゃろ?何かと理不尽な理由で他人を利用する者もいるじゃろ?皆が綺麗な少女のままで、感情も自分の意思もなければ、争いも何も起こらない。苦しむ必要も一切ない。あいつらは仮にこちらが殴ったとしてもされるがままじゃ。だって何も分からないんじゃから。でもそれでいい、幸せなんじゃから。ここには毒親という言葉も、戦争という言葉もない。比べるという概念もない。何もないから楽園なんじゃよ。複雑な社会などないし、下らん正義を振り翳すものもいないからの」

と朗らかに笑いながら言った。心の底から嬉しそうにしている。

「この世界の人間達は元からここにいたんですか?それとも……」

「今のあいつらは七代目じゃよ。元々のベースとなった彼女の先祖達は不幸な境遇の、誰にも愛されない少女達でな、それこそ両親から心配さえされないような子じゃ。そんな彼女達をさまざまな時代や国を巡って少しずつ増やしていった。幸せになれると吹き込んだ上で、な。その上で出来る限りの薬物投与に外科手術、適応しやすくなるように品種改良を重ねてからは三代目くらいでああなった」

「なるほど……。では、彼女達は一生あのままなのですね?」

「そうじゃな。今のままの方がきっと幸せじゃろうからな。儂の役目はこうして箱庭が永遠に続くように管理することだけじゃ。あ、そうそう。気付いたかの?儂もまた代替わりしとるんじゃ」

「今の貴女は何代目ですか?」

「二十代目じゃ。生前の記憶を移植したクローンを定期的に生み出しているんじゃ。今と姿は違うがな」

「意外ですね」

「儂が死んだらこの楽園は維持出来なくなるからな。中にいる人間達は死に絶える。植物も枯れるし、ロボットも壊れたままじゃ。ドームも破壊されてしまうじゃろうし。ところで、お前さんはどこから来たのかの?」

「私はこの世界の者ではありません。目が覚めたらここにいたんです。名前も何も分かりませんが、これだけは分かります。私の命はもうすぐで消えますから。シンディさん、そう遠くないうちにここには新たな管理者が現れます。彼女達は私の知己です。信頼出来る人です。だからもう、あなたは無理をしなくていいんです」

「ありがとうな、お客人。儂も漸くここの一員になれそうじゃ……」

シンディはそう言って懐から錠剤を飲み、持っていた水筒の中のお茶で流し込んだ。程なくして、彼女の目からは感情が消え、私の呼びかけにさえ反応しなくなった。言葉も失い、もう自分の名前さえ忘れているようだった。ソレを見届けた私は、

「さよなら、シンディさん……」

掌を見ると、少しずつ自分自身が透けていくのが分かる。完全に消えるまでもうすぐかもしれない。後のことは新しくやってくる、管理者たちに任せよう。そう思い、私はそのまま目を閉じた。







「あら、ここが新しい世界?随分と綺麗なところね」

「ここの人間達は話しかけても無駄なんだね、言葉を持たないから。感情もないからかな、みんな白い服でも気にしないんだ」

「そこがいいんじゃない、もう!私達、もう目まぐるしく変わる人間達に愛想尽きちゃったから、これが一番いいと思うのよ」

「えー……。ずっとこのままなんてつまんないよー。みんなボーっとしてるし」

「戦争も何も起こらないからずっと平和なままなのよ?このまま変化のない平和を享受しましょうよ。面倒くさいことなんて何もないのよ?」

「なあ、ここはホントに楽園なのか?」

「人間達は何もしなくていいのだから楽園ではなくて?」

「そうかなあ、あたしはアンタの言うことが分かんない……」

「誰が何と言おうとここは楽園よ。人間達は一生傷つくことなく生きられるのだから。さあ、美しい世界を愉しみましょう!」

「何もない上に、可能性もないってホントに正しいことなのかー?あたし、此処にいる人間達が可哀想になってきちゃったよ」

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