5.彼女はここで、永遠を垣間見る


 死にたくないと言ってくれ、とディイは言った。

 私は額に銃口を押しつけられたまま、覆いかぶさる彼を見上げた。瞳に映った灰色の海。迷子の子どものような表情。苦しそうだった。それは機械仕掛けの心臓に傷がついたからではないということは、人の心の機微にうとい私にも分かった。


 今さら理解した。彼がこういう表情をするのは、私とジフリンス・ヴェルナーを重ねて見ている時だ。そうでなければ、どうして私に命乞いなんてさせるものか。


「……死にたくないと」


 私は唇をほどいた。紡いだ声はかすれていた。


「死にたくないと言ったら、お前はどうするんだ」


「銃を下ろすよ」


 静かなディイの声が降ってくる。

 私は何度かまばたきをした。沈黙に潮騒の音が混じる。


「それで、その後は」


「今まで通りだ。俺はずっとお前の側にいる」


 ──ああ。

 私は吐息に似た感嘆を落とす。


 これがお前の望みか、ジフリンス・ヴェルナー。だとしたら、なんてひどい女だ。魔女とおとしめられるそのうちに、いつしかその通りに心が歪んでしまったのか。


「できない」


 私は短く、はっきりと答えた。ディイが瞠目する。


「私は命を惜しめない」


「……お前もあいつと同じ答えを出すのか。こんな世界で生きていたくないって?」


「違う」


 短くディイの言葉を否定して、私は不敵に唇の端を上げた。


「私はオートマタだ。どうして死を否定して、生にすがることができる?」


 嘘だ。私に植えつけられた本能は、機能停止を拒んでいる。


「それにジフリンス・ヴェルナーが、自分の代替を一体しか用意していないと思うか? 私が壊れても別の機体がいる。次が壊れても、また別の機体が。おまけに私たちには、ジフリンスの揺り籠の技術が備わっている。代わりはいくらでも用意できる。所詮はジフリンスという人間を模造した機械の集合体だからな」


 ディイの表情が歪んだ。


 ここで私がジフリンスのふりをして、死にたくないと、生きていたいと答えたら、本人が言った通り、ディイはずっと私の側にいてくれるだろう。今度こそジフリンスを亡くさないために、護り続けるために。機械仕掛けの私の側にいるために、身体のパーツを入れ替え続けてでも。永遠に。──ジフリンスの望み通りに。


 ジフリンス・ヴェルナー。あなたはきっと、寂しかったんだろう。一部の人間に生み出した技術を否定され、蔑まれ、命を狙われて、心底この世で生きていくのが嫌になったのだろう。


 それでも永遠には憧れていた。飼い犬の死に涙して、幼馴染の死を拒んだように、大切な人に、ずっと側にいてほしかったんだ。それがたとえ、オートマタになった少女の頃の自分でも構わなかった。


 けれど私は違う。

 私はまだ、世間に否定されて魔女になった、ジフリンス・ヴェルナーではない。


 ディイに呪いをかけるわけにはいかない。彼が本当は永遠を望んでいないのは、その容貌からも明らかだ。ただひとつ、ジフリンスに請われるという例外を除いては。


 ジフリンス・ヴェルナー。私はあなたの望みを拒む。

 たとえ揺り籠を作ったとしても、人の生を歪める権限はあなたにはない。

 あなたは神じゃない。揺り籠から出ることを選んだ人を、揺り籠に縛りつけてはいけないんだ。たとえ、どんなに寂しくても。ひとりぼっちが怖くても。


 潮騒が聞こえる。ディイと二人で見た、雪花まじりの灰色の海を思い出す。


 ──ああ、ディイ。あのときお前がテセウスの船の話を持ち出したのは、私に答えを決めてほしかったからなのか。あのとき私がすべきだったのは、パーツが入れ替わったものと前のものを同一視することでも、同一視を否定することでも、ましてや答えなどないと答えることでもなかった。テセウスの船を前のものと同一視したくてもできない気持ちや、同じだと思いたくないのに重ねて見てしまう気持ちに、寄りそう姿勢をとるべきだったんだ。


 今さらディイの気持ちに気づくなんて。私はいつもそうだ。人の心の機微に疎い。

 私はまた、ジフリンス・ヴェルナーと同じあやまちを犯してしまった。

 ──それでも。


「……ディイ」


 私は手を差し伸べて、彼の頬を撫で、不敵に微笑んだ。


「偽物の私を殺して、どこへなりと行けばいい」


 ディイ・フラメール。私の相棒。私の幼馴染。私の友達。

 どうかあなたは、なにものにも縛られることなく、自分の望む生き方を。


「……っ」


 ディイが眉を寄せた。


「殺せない」


 額から銃口が外れる。


「俺がお前を、殺せるわけないだろ」


 覆い被さっていたディイが離れる。


 暗闇のなかで、エンジニアブーツの分厚い靴底が鳴る。ラボでこの音を耳にするたびに、いつからか、私の心は浮足立っていた。彼と会えるのが楽しみだった。

 靴音が遠ざかる。ここで彼を引き止めなければ、もう二度とこの音は聞けない。

 私が、私を、ジフリンスと同一視するなと拒んだのだ。

 ここで何も言わずに彼を見送ったら、もう二度と会えない。永遠に。

 私は吐息ひとつも漏らさぬよう息を殺して、唇を噛みしめた。


 ……部屋の扉を閉ざす音が、私とディイの関係を断ち切る。

 あとには潮騒と私だけが、夜の底に残された。




 ◇ ◇ ◇




 今日もまた、オンラインで依頼された欠陥品を調律する。送られてきたパーツをチェックして、丁寧に調律し、箱に詰め、依頼主のもとへ送りかえす。満ちては引いていく潮のように、寸分の狂いもなく、私は同じ毎日を繰り返す。


 長い年月を経て、ジフリンスの揺り籠に対する評価も変わってきた。技術に反発する声が徐々に広がってゆき、そういった意見を汲み取って、技術を施す前にメンタルテストが必要だという声が上がったり、技術自体を封印すべきだと主張する議員が出たり、生に飽きてしまう脳の構造自体をいじればいいと研究者が発言して、物議を呼んだり……。


 いずれにしても、技術の番人にすぎない私は、世論の動きを見守ることしかできない。なにしろジフリンス・ヴェルナーは、技術の名を冠する創立者というだけの存在で、とっくに過去の人なのだから。


 優秀な後継の機械技師たちの活躍は目覚ましい。もしかしたら、そのうち人間の生に対する憂いが、すべて払拭される日が来るのかもしれない。


 単調な毎日を繰り返す私だけれど、年に一度だけ日常を外れる機会を設けている。それは降誕祭も近い冬の日。私は中央区の駅から古びた電動列車に乗る。旅には、同行者も、護衛もいない。ジフリンスの望みをこれ以上無下にするのはかわいそうだから、念のために私が活動停止したら、次のオートマタが目覚めるようプログラムをしておく。旅の服装はきまって、水色のシャツワンピースと白いマフラーといういで立ちだ。


 私は故郷で記憶をたどる。駅の近くの小売店で花を買い求めて、乗合自動車で動物墓地へ向かう。墓参りのあとは海へ行くつもりだ。ラボで仕事をしていても、あの灰色の海を懐かしく思い出すことがある。もしかしたら、これを人は郷愁と呼ぶのかもしれない。


 私はマイロの墓に、朝採れの瑞々しい花束を手向けた。

 私はいつもここで、永遠について考える。


 ジフリンスが望んだこと。それは大切な人と永遠を共にすることだった。私はその望みを絶ったつもりだったけれど、彼女は結局、望みを叶えていたのかもしれない。

 肉体という死を迎えても、誰かの精神に面影が残り続けるなら、それはその人が滅んだことには、きっとならない。二度目の死が、大切な人々に忘れ去られたときに訪れるのであれば、ジフリンス・ヴェルナーは死んでいない。彼女はある種の、永遠を手に入れている。私たちオートマタが、彼女を忘れることなどないのだから。それに……。


「……あなたがうらやましいよ、ジフリンス・ヴェルナー」


 私は目を細めてひとりごちる。


 は彼女の願いを叶え続けている。彼女が亡くなっても、彼自身が老いても、彼が息を引き取るその時まで、この営みは続くのだろう。


 ──墓標にはいつものように、先客が残していった枯れた花束が置かれている。薄水色のリボンでまとめられた花束は、永遠という概念が具現化したもののように私には映る。


 ここで、彼が残していった煙草の匂いを、私はいつも夢想する。

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テセウスの船を拒むなら オノイチカ @onoichica

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