確か国語の教科書だったと思いますが、こんな趣旨の文章を読んだことがあります。
「北方のある民族は、子供をあえて一度熱いものに触らせ、火の危険性を教える」
本作を読んで、この話を思い出しました。
私にも、本作に書かれているのと同種の痛い記憶があります。
小学校低学年時代の話ですが、いまだに棘となって心の奥底に刺さっています。
しかし、だからこそ、その後の人生でより大きな過ちを犯さないで済んでいるのかもしれません。
呼び起こされた自分の記憶と、もちろん文中の作者様の記憶とに、色々と考えさせていただきました。
ありがとうございました。
タイトルからも分かる通り、作者さんの過去の過ちが語られています。
自分の犯した過ちを語ることができるというのは、とても勇気がいることでしょう。でもそれを反省した気持ちがありつつ発信したのであれば、きっとそういう気持ちを抱いている人を思いとどまらせる効果もあるように思うのです。
大人の多くは「清廉潔白」みたいな顔をして子どもに色んなことを教えますが、彼らだって間違いの一つや二つがあったはずです。それが法律で裁かれる罪かどうかは別として、「大人になっている自分も、こんな間違いをしたことがあってとても反省しているんだ」と言われた方が、子どもとしてはほっとするのではないでしょうか。
『私の懺悔録』に書かれた出来事は、作者さんのなかでずっと反省すべきこととして心の中にあるのだと思います。きっと「しなきゃよかった」と思っていることでしょう。
しかしその気持ちは、作者さんの心の隅にずっとあって、人生の中で活かされているんじゃないかなと思いますし、読んだ人の心に温かな光を与えてくれるようにも思います。
気になった方は、是非読んでみてください。