夏夜の海、思い出の場所 12-3
〈 8月9日 〉
「“夏は夜”──、清少納言の気持ちがよくわかる季節になってきたな」
「どっちかというと、夏は昼には動けなくて、夜にしか外に出れない感じだけどね。私、毎年エアコンを発明した人には毎年感謝の手紙を送りたくなるもん」
「間違いない」
「ね」
夏の夜は、比較的涼しい。
昼間は肌が焼けるほどに陽が照りつけ、過ごしやすい過ごしにくい以前に、熱中症の心配があるほどである。
だから相対的に、早朝や夜は涼しくて、外に出ても問題のない程度の気温になる。
しかし、比較的涼しいとはいえ、あくまで比較的な話。
暑いものは暑い。
だから、夜だからとて外を出歩くのは、暑さを気にしない人か、用がある人か、夏の夜を楽しむ物好きくらいで。
そして彼らは、物好きに分類される人たちだった。
「まさか盆休みにここ来ることになるとは」
「えー、いいじゃない。私、ここ好きだけどなー」
「いや来たことに不満があるとかじゃなくて。単純に感慨深いな、と」
「そこまで久しぶりってわけでも──……あ、もしかして夏に来るのがってこと?」
「そうそう」
「それは確かにそうかも……? あれ、ほんとに久しぶり? 私の記憶だと、4年ぶりくらいな気がするけど……千夜さんは?」
「真魚さんの記憶力にぼくの記憶力が敵うわけないんだよね」
「えー、そう?」
「そうだよ」
砂浜に続く石階段に腰掛け、千夜と真魚は、他愛のない話をしていた。
かたわらに置いてあるビニールには、空のペットボトルやアイスが入っていて、先ほどまでそれらを口にしていたことがわかる。
「どうせなら花火とか買えばよかったなー」
「あのコンビニ、そんなのあったっけ」
「あったよー。私の目は誤魔化せなかった」
「なら買いに行く?」
「んー。んー……そこまでしなくてもいいかなって気分です」
「なるほど」
「それより海入ろうよ。ね」
「やりたいことの反復横跳びが凄まじい」
「思い出の場所補正があるので……」
「気持ちはわかる」
じゃあ決まり、と真魚は立ち上がり、千夜へと手を伸ばす。
「いやかばんとか……」
「見える場所に置いとけば大丈夫だよ。行こ」
「なるほどね?」
彼は、彼女の手を取り、立ち上がった。
そして砂浜に足を沈めて、波打ち際へと向かう。
手早く靴を脱いで、靴下も脱いで、スカートの彼女はそのままに、彼はズボンの裾をきちんと捲って、海の中へ。
「うーん。こうしてると夏って感じがするね!」
「だいぶ特殊な夏の感じ方だなぁ」
「でもするでしょ?」
「まぁね」
彼らは、波打ち際で足元を遊ばせるのが好きだった。
引いては寄せる波の感触。乱れた砂が、波で戻る。単調な繰り返し。
やがて飽きてしまいそうで、それでもやっぱり飽きない繰り返しの形。
月はいつも空に浮かんでいる。欠けていたとしても、見えないだけでそこにある。
それでもやっぱり月は綺麗だ。それと同じこと。
「あーきもちい」
「真魚さん、ほんと海好きだよね」
「千夜さんも好きでしょ」
「好きだけどさ」
どちらかというと彼は、単純に海が好きというよりは、彼女と海と夜のセットが好き、というほうが近い。
夜の中で、月明かりと海水を纏う、世界で一番きれいな女性。
そんな彼女の左手の薬指には、二つの指輪が重ねてつけられていた。青玉のついた
彼はなんとなく愛しくなって、彼女の手を取る。
指を絡める。
笑みを深めるでもなく、怪訝な顔をするでもなく、なんでもない日常の動作の一つとして、それらは行われた。
「私、夏自体はそこまでだけど、夏の夜のことは、この世で一番愛してる気がする」
「まぁわかる」
「でもココアがおいしい冬も好き」
「わかりすぎる」
「春と秋は特に言うことなく好き」
「過ごしやすいもんね」
「ね」
春夏秋冬を、ずっと穏やかな気持ちのまま過ごすことができる。
そんなありふれていて、だけど、ありふれているからこそ、それを愛せることは尊いことで。
秋の月はひと際美しく、心が奪われるようで。
冬のココアはとてもおいしくて、身も心も温まることができて。
春のしゃぼん玉は、秘めた想いを、いつも煌めかせてくれて。
夏の夜海は、ぬるくて、心地よくて。
だから好き。だから生きてる。だから愛してる。
「すごい当たり前のことを言うけどさあ」
「……?」
「季節にまつわるものって、その季節にしか味わえないから、年一回って思うとすごい希少なんだよね」
「あー」
「仮に80歳くらいまで生きるとした場合、ぼくなんかだと、あと50回ないくらい」
「……あー。そう言われるとすごい少ないね」
「うむ……」
「じゃあ、せっかくだし花火する? 私、線香花火耐久したいな」
「耐久の二文字いる?」
「いる」
ふふ、と微笑み、するりと手をほどいて、彼女は我先にと海からあがる。
海と月に、背を向けて。
「行こ、千夜さん」
そして彼女は、また彼へと手を伸ばす。
手を繋いではほどいて、ほどいては、手を繋いで。
そんなことを、いつも繰り返している。
繰り返して、繰り返して。
かつて歪だった彼らは、ごくごく自然な、仲睦まじい夫婦になった。
──病めるときも健やかなるときも、共に喜び、悲しみ、あなたを愛します。
そんな誓約を胸に抱いて、彼らは、これからも、寄り添って生きていく。
家出娘のなつき度が上がった。通い妻に進化した。 夜桜さくら @Iray_h
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