条件その6
ドラム式の洗濯機が大きな音を立てて揺れている。
街角のコインランドリーの中。マリアは洗濯が終わるのをただじっと待っている。残り時間を示す表示は50を示している。つまり、洗濯が終わるのは50分後だ。まだまだ時間はかかりそうである。節電対策なのか空調はオフになっており、代わりに大型の扇風機が窓辺にかかる風鈴を揺らす。季節は夏。外からセミの鳴き声が聞こえる。
「人間というのは待つことを強いられる」
隣に座っていた男が話し始めた。
「ロボットであれば、設定時刻まで演算を停止することができるだろう。つまり擬似的なタイムスキップだ。だが人間にそれはできない。人間が思考を停止するためには、意識を絶たなければならない。つまり睡眠や気絶だ。どちらも簡単にコントロールすることはできない。オレのような繊細な人間はこんな暑さの中ですやすやと眠ることなどできない」
マリアは黙っている。
「オレたちは常に待つこと強いられる。電車を待ち、コンビニのレジを待ち、仕事が終わるのを待ち、ご飯ができるのを待ち、風呂が沸くのを待ち、眠りに落ちるのを待つ」
相変わらずマリアは黙っている。聞いているのだろうかと、男は不安になった。
「人生でも同じ。子供は大人になることを待ち、高校生は大学生になることを待ち、大学生は社会人になることを待ち、社会人になれば結婚することを待ち、子供が生まれることを待ち、子供が大人になることを待ち、定年になることを待ち、最後は死ぬ時を待つ」
男は揚々と話し続ける。
「人生の時間は限られている。それなのに人間は待つということに時間を浪費する。待つことばかりを続ける。ただひたすらに順番待ち続ける。自分がなんの順番を待っているのかも知らないまま。なぜそれを待つのかも知らないまま。そしてやがて自分の順番が来たら、突如として終わりを告げられる。待つことの終わり。そして生きることの終わり。人間というのはそういうものだ」
長台詞を言い終えた男は、満足気に締めの言葉を言う。
「お前には分からんだろうがな」
しばしの沈黙の後、マリアが口火を切る。
「はたして浪費と言い切れるものでしょうか」
マリアの反論が始まる。
「私は待つ時間が好きです。洗濯物が乾くのを待つ時間が好きです。シチューがコトコト煮込まれるのを待つ時間が好きです。あなたが帰ってくるのを待つ時間が好きです。夏祭りの日を待つのが好きです。夜が来るのを待つ時間が好きです。あなたが文句を言いながら浴衣に着替えているのを待つ時間が好きです。バス停の人混みに並んで順番を待つのが好きです。花火が上がるの待つ時間が好きです。二人きりのバス停で帰りのバスを待つ時間が好きです」
何か直近であったシチュエーションのようだ。男も何かを思いだしている様子である。しばらく感慨に浸っていた男がブンブンと首を振る。
「浪費だ。どれもこれも時間の浪費。無駄だ」
男は強く断じた。それに対して少し間をおいてからマリアは言った。
「夜が来るのを待つ夕暮れの時間が一番好きだと、あなたは以前におっしゃっていました」
「言ってない」
確かに言った。男はとぼけていた。
「オレは夜が好きだ。そして朝と昼は嫌いだ。でもその間の移り変わりの時間。夜が来るのを待つ夕暮れの時間が一番好きだ、とあなたは確かにおっしゃっていました」
マリア相手に嘘は無意味だった。男は軌道修正を図る。
「確かに言った。だが夕暮れはそれ自体で価値があるという意味だ。断じて待つことの価値を言っているのではない。待つことは浪費だ。浪費に価値を感じるなど阿呆の所業だ」
「では、どうして私についてきたのですか?」
マリアが切り返す。男は押し黙る。
「家に居てもやることがないから、でしょう?」
男は押し黙る。
「何かを待とうが待つまいが、あなたが時間を浪費することに変わりはないようですね」
男はまだまだ押し黙る。しばらく沈黙が続き、男が不機嫌そうに言った。
「寝る」
そう言って男は寝転がりマリアの膝に頭を預けた。
残り表示は40。
まだしばらくこの時間は続くようである。
終わり
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