犬も食わない冒険録

「ひどい目に遭いましたわぁ……」


 ランネルたちと同じ船。彼らと逆の船尾側。

 ウィナ=コットは青褪めた顔で船の縁にもたれかかっていた。

 当然ながら、エイルとランネルが起こした船揺れは、船室内にも届いていた。右へ左へ上へ下へと身体をぐるぐる掻き回されたとなれば、船旅に慣れているウィナであれ、酔い潰れるのは仕方がないだろう。

 胃の中身も、すべてが外へ出てしまった。

 代わりに涙も引っ込んだ。


「……いまごろ、どうなさっているのでしょうか」


 泣き腫れた瞳で空を見上げる。

 グァルグと結ばれないことなど、ウィナにはとっくに分かっていた。

 彼が大船長――王としてイスラフラッグを導く以上、妻という席を軽率に埋めるわけにはいかないだろうし、自分が妹分としてしか見られていないことくらい、長年のアプローチで学んでいた。

 なによりの決め手は、エイルを襲ってしまったことだ。あの醜い行いはソーラジェーラの加護を弱めただけではない。ウィナは自ら、己が王妻に相応しい器ではないと示してしまい、自分でも納得してしまった。

 彼の助けとなれるのは自分ではない。

 その時点で、ウィナはもう恋を諦めていた。


 最後に想いを伝えられたのは本当に僥倖だった。ジレンから聞いた王の人となりから同盟の未来を察したことに加えて、ランネルが騒動を起こしてくれたことで、グァルグと向かい合う機会に恵まれた。きっと、失恋のなかでは上等な部類だったはずだ。

 とはいえ、簡単に割り切れるはずもなく。


「はぁ……」


 溜息は海に落ち続けるのだった。


「せめて手を動かしていれば、気も紛れるのでしょうが……」


 苦い表情を浮かべながら、ウィナは舷側へと目を向ける。

 そこではエイルとランネルが、ふたりで語り合っていた。

 船を動かすにも彼らの意見と協力が必要となるのだが――

 

「……仲睦まじく結構ですこと」


 失恋したての女にとっては、なんとも辛い光景だ。極力視界に入れたくないし、会話だって聞きたくもない。もしも彼らが旅に出ようとしなければ、自分はもう少しグァルグと共に居られたのではないかと、醜い思いすら湧き出てしまう。

 そんなわけで、ウィナは極力、彼らと関わりたくなかったのだが――


『……なにバカなこと言ってんの』


 流れてきた言葉を追いかけるようにして、エイルがこちらに向かってきた。


「あら、なにか御用ですこと?」


 無視などという醜い行為を選ぶわけなく、ウィナは彼女を迎え撃つ。

 だが、どうにも様子がおかしい。

 エイルは顔を俯けており、その足取りもゆらりとしたもの。さらに暫く見ていると、彼女は船壁に頭をとんと預けたまま動かなくなってしまった。まるで物語に出てくる幽鬼レイスのようだ。付き合いの短いウィナでも普通ではないことくらいわかる。

 

「疲れているのであれば船室でお休みになってはいかが? 船を動かす人手が減ると、私が困りますわ」


 そう告げたところで、エイルは返事ひとつしない。

 ウィナはむっと顔を顰める。いちどは敵対した相手だ、嫌われるのは理解できる。理解できるが、だからといって無視はあるまい。自分とてそうしたいのを堪えて声を掛けたのだから、言葉を返すのが礼儀だろうに。

 ――気に入りませんわ。

 ウィナは苛立ちのままエイルの肩を引き、無理矢理に目を合わせた。

 

「返事くらいなさいな! 誰の船に乗っている、と、……あら?」


 そこで目にしたのは驚きの顔色だった。

 病のせいで青白い……のではない。

 赤いのだ。

 まるで熱に浮かされたように――いやこれは?


「なんで急に、こんなに変わるのよぉ……!」


 この表情は、いつか鏡で見たことがある。

 あれは確か、グァルグに容姿を褒められた日だ。潮風に傷んでばかりだった髪を、彼が出港しているあいだに必死に整えたとき、見違えたと褒めてもらったのだ。その夜に鏡で見た己の顔が、たしかこんな感じだった。

 しまりの無い赤ら顔。

 つまり、エイルは――

 慌てて気を引き締めたことがあるので、覚えている。


「あなた、まさか照れていますの? あの男に口説かれて?」

「ッ……!」


 どうやら図星を突いたらしい。

 エイルは顔を両手で抑え、へろへろと屈み込んでしまった。


「こんなハズじゃなかったの。ランが、その、そうなのかもとは、思ってたもの。だからもし、そういうことを言われたって、あぁそうなの、って格好付けるつもりで。でも、でも、イキナリあんな、あんな風にッ……?!」


 赤毛をぶんぶん振り回しながらエイルは喚く。

 その様を見て、ウィナはすべてを理解した。


「つまり、貴女もランネルを好いていたと」

「……だからランから言い出すまで、旅を我慢してたんだもの」


 ――ばっかじゃねぇですの。

 ウィナは船虫を噛み潰したような顔を浮かべた。

 従者と姫の叶わぬ恋。七年越しの片思い。海賊相手の略奪愛。

 そんなものなどありはしない。姫はとっくに男に恋していたのだから。何もせずとも側にいられたからこそ、行動せずに済んでいただけ。いざ男から変化を求められてみれば、このザマだ。

 互いに想いあってる癖に、意地やら照れですれ違う。

 なんと恵まれていて、もったいのない恋だろう。

 腹立たしいったらありゃしない。

 

「だったらさっさと、それを彼に伝えなさいな」

「イヤ」

「はぁ?」


 キレ気味に睨んでやると、エイルはごにょにょと呟いた。


「…………だって、その方がいっぱい追いかけてもらえるじゃない」


 頬が引き攣ったまま固まった。

 まさかとは思うが、式から逃げ出さなかったのも、それが理由ではあるまいか。だとすれば、恋する乙女どころか狂人だ。望まぬ相手と番わされる危険を受け入れてでも、身勝手な欲を優先するとは。

 なんにせよ、これは流石に付き合いきれない。

 ウィナはうんざりした表情を浮かべ、エイルに背を向け歩きだす。

 本当に、アディエラのような女だ。

 自由も恋も冒険も、なにひとつとして諦めない。それどころか、最高の形で得るためならば、博打にだって打って出る。その度胸は認めるが、失恋した身では眩しすぎて、ついつい拳が出てしまいそうだ。


「……彼らはきっと、こんな調子で歩みますのね」


 なんて苛立つ旅だろう。

 愛していると口説く男に、だから何なのと誤魔化す女。男の方は落ち込んで、女の方は影で頬染め。時に困難に見舞われようと、踊るように乗り越えていく。そのくせ時に離れては、見ている周囲をやきもきさせる。

 想像だけでも甘い旅路に、ウィナは耐えれず吐き捨てた。


「それはなんとも、犬も食わない冒険ですこと!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫も食わない冒険録 新宮冊册 @ticktacat123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画