『中一の夏、苛立つ心』

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『中一の夏、苛立つ心』

 どこかからせみの鳴き声が聞こえる。まるで暑さを歓迎かんげいするような声に、僕はうんざりとした感情をいだいた。


 夏はあまり好きじゃない。暑いし、蝉の声はうるさいし、宿題があるから。


 僕は校舎のなかで絵をいていた。美術室にひとり。顧問の先生もいない。僕はじぶんの内部からあふれてくる苛立いらだちや迷いをカンバスへとぶつけていた。


 中学一年の夏は苛立ちに満ちていた。


 げるような夏の暑さ。うんざりするほどなげく蝉の声。変わらない宿題の多さ。


 いくつか理由は挙げられる。でもどれもなんだか違う気がした。


 もっと根本的な苛立ちのたねがある気がする。


 だけど何かがわからない。わからないから、僕はただカンバスに向かっていたずらに感情をぶつけるしかないのだ。


 僕が絵を描き始めたのは中学に入ってからだった。


 特に絵が好きだったわけじゃない。友達に誘われたのが美術部だっただけで、何かを描きたいとも思っていなかった。


 流されるままに入った先で、流されるままに絵を描き始めた僕を待っていたのは多くの戸惑とまどいだった。


 厳しいけれど距離の近くなった顧問の先生。僕よりもずっと大人びて見える先輩。友達というよりも仲間と呼ぶのがしっくりくる同級生。


 どれも小学校の時とは違う関係性で、僕は馴染なじむための努力をした。


 その過程で僕はじぶんが変わっていくのを感じていた。意識が、心が、僕の思いにふたをする。


 変わってしまうことに苛立っているのだろうか。


 そんなはずはない。僕だって心づもりはしていたんだ。


 中学は小学校とは全然ちがう場所だって先生たちは口をっぱくして言っていた。


 それを聞いていた僕も疑問に思うことなくそんなものなんだと受け入れた。


 受け入れて、変化を想像した。


 でも、こんなに大きく変わるなんて聞いてない。まるで別物だ。小学校が三輪車だとすれば、中学は自転車だった。今までの乗り方は通用しない。何もかもが変化した。


 学校に行くのもひとり。格式かくしきばった制服に校則。ランドセルからリュックに、先生の言葉が明文めいぶん化されただけなのに、それは全く違うもののように感じた。


 友達との関係は希薄きはくになった。


 放課後には誰かが遊んでいると信じた公園。あの頃は無邪気むじゃきに遊んでいるだけだった場所。いまは思い出とまぼろしだけが遊んでいる場所。


 変わってしまったのは僕だけなんだろうか。


 いいや、たぶん違う。僕を含めた、みんなが変わっていっているんだ。


 いつのまにかいなくなっていた友達。背が伸び、声が低くなった友達。さん付けで呼び合うようになった男子と女子。


 変わっていく関係。変わっていく身体。変わっていく心。いつか変わったことにすら気づかない時がくるのかもしれない。


 でも今はまだ、受け入れられない。受け入れ方もわからない。苛立ちがつのっていく。僕はカンバスにふでを走らせる。


 いつか僕は大人になる。そんなこと知っているさ。


 だけどそれはもっと先の話だと思っていた。ゲームのキャラクターがレベルアップと同時に進化するように、ある日突然子どもが大人になるって信じていた。


 でもそうじゃなかったんだ。


 それはゆるやかな坂を歩いて行くようなものだった。


 そしてそんな坂の上を僕らが進むことを防ぐように障害物が置かれている。


 僕らの身体を変化させる夏の暑さのような存在。


 子どもであることを強調きょうちょうするくせに、大人になることを強制きょうせいする蝉のような存在。


 立ち止まることを許さず、一歩一歩前に進ませる宿題のような存在。


 だけど坂を登り切った先に、本当に大人という景色が待っているのだろうか。


 僕にはわからない。わからないままに、進んでいくしかない。


 いつのまにかカンバスが夕陽ゆうひに染まっていた。時間は過ぎていく。誰も待ってはくれない。


 僕は今まで描いていた絵を俯瞰ふかんするように眺めてみた。あせりにられた絵。衝動に任せた絵。変化を嘆いた絵。


 苛立ちが積もっていく。


 僕はカバンに荷物を詰め込んだ。


 中学一年の夏、苛立つ心。


 僕は家への帰路につく。


 薄闇うすやみに隠れた月の下を、僕は不安におそわれながら歩いていった。


 また明日あした、僕は大人へと近づく。



(了)

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