盤上に咲く一輪の華

すだチ

儚くも美しい棋譜(きおく)

 花火が打ち上がる。

 職人達の想いを乗せて、次々に夜空に大輪の華を咲かせていく。一つ一つが、銀河を形作る。


「わあ……!」


 お嬢様が歓声を上げる。懐かしい故郷を思い出したのか、瞳をキラキラと輝かせて。

 彼女の手の内には、もう一つの宇宙が在る。

 手乗りサイズに圧縮した、将棋盤が。


 超至近距離から見下ろす打ち上げ花火は、下から見上げるのとは違って迫力があった。

 おまけに、かなりの爆音である。

 思わず身じろぎする私をよそに、お嬢様ははしゃいだ声を上げる。


「ねえ。持って帰って良いかしら?」

「いや、ダメでしょう。さすがに」

「えー? お父様に見せて差し上げたいのに」


 やろうと思えばできてしまう、半ば本気で私は止める。

 この星の住人達は、夏祭りの花火を特別なものとして楽しんでいるのだ。わざわざ浴衣に着替えて、みんなそろって空を見上げている。その楽しみを奪ってしまうのは、あまりにも残酷なものであろう。


「花火を圧縮して、冠にしたら綺麗だと思わない?」

「お嬢様。夜空に一瞬咲くからこそ、花火は儚くも美しいのです。永遠に花開いたままでは、どんなに綺麗でもすぐに見飽きてしまうでしょう」


 野花を摘んで花冠を作るのとは訳が違うのだ。

 それよりも、と私は提案する。


「もう一つの華を、咲かせてみてはいかがですか?」

「あら。私に勝負を挑むつもり?」


 まあ、と目を丸くするお嬢様。

 真紅の眼差しが、手中に収めた将棋盤へと移る。もう一つの宇宙へと。


「貴女が私に、お将棋で勝てると?」

「さあ、どうでしょう? 花見にうつつを抜かして、うっかり頓死するかもしれませんよ?」

「ふふ。それもまた一興ね」


 良かった。食いついて来たようだ。

 圧縮していた将棋盤が、お嬢様の掛け声一つで元の大きさを取り戻す。

 彼女の『何でも掌握する能力』は恐ろしい。一度縮められれば、何物も逃れられない。 以前に白色矮星丸々一個を綺麗だからと掌握された時には、さすがにあわてた。


 それに比べれば可愛らしいものだが。

 盤上には、宇宙が広がっている。


 しかし、それにしても──狭い。

 脚付きの立派な『お金持ちに相応しい』将棋盤は、二人乗りの『船』の中に展開するには少々大き過ぎた。

 苦笑する私に構わず、お嬢様はご自身のサイズを少しだけ圧縮する。


「貴女も縮めてあげましょうか?」

「あ、いえ。結構です」


 あの、身が縮こまる思いは沢山だ。


 駒を並べ始める。

 反重力に包まれた船の中、軽い駒が浮かばないか心配だったが、杞憂に終わった。一番軽い歩兵でさえも、ちゃんと盤上に着地できている。


「将棋盤には、引力があるからね」


 誰かが言った言葉を思い出し、思わず笑みがこぼれた。

 お嬢様もウキウキとした様子で、五枚の歩を取った。


「振り駒するね!」


 宣言と共に投擲される歩の駒が、盤上に花を咲かせる。駒を線で結ぶと、綺麗な五角形になった。


「これは。もしや桜の花ですか?」

「うん! 私の一番好きな花」


 季節は違うけどねと、舌を出すお嬢様。はしたないと思ったけど、この場には私達しか居ない。

 私達の間に、遠慮は要らない。


「宜しくお願いします」


 互いに頭を下げる。この星に来て学んだ所作は、すっかり板に付いたものになっていた。将棋に限ったことじゃない。礼をもって礼を尽くす。素晴らしい文化だと思う。


 振り駒の結果、先手番はお嬢様。軽やかな手付きで、角道を開けてきた。ならばと、こちらも開ける。


 私達の将棋は、プロの先生に指導してもらって得たものではない。

 初めてこの星を訪れた際、右も左も分からない私達に色々と教えてくれた人から、ジャパニーズ文化と称して習ったものだ。

 その人はいわゆる定跡の類については、ほとんど触れなかった。まずは自由に指して、将棋の楽しさを知ってほしいと言っていた。


 初めて指した時のことは、今でもはっきり覚えている。緊張に凝り固まった私に、その人は優しく指導してくれた。

 ──楽しかった。宇宙広しと言えど、こんなに楽しい遊戯は他に無いだろうと思う。

 お嬢様は興味津々の様子で、私と師匠との対局をご覧になっていた。

 結果的には負けたが、得たものは大きかった。


 次に、お嬢様が師匠と指した。

 若いからか、彼女の飲み込みは早かった。見様見真似で指した割り打ちの銀に、師匠は驚きの声をもらした。


「すごい! 免許皆伝ね!」


 朗らかな笑顔を残して、私達の先生は去って行った。

 敗北したものの、お嬢様の表情は晴れやかで、誇らしそうに胸を張っていた。

 それきり、師匠とは会っていない。狭い惑星だ、私の探知能力ならすぐに見つかると思うが、あえて探そうとはしなかった。お嬢様もまた、それを望んだりはしない。


 私達の存在は、この星の住人達にとって脅威となりえるものだ。平穏に日々を送っている所を、いたずらに乱す真似はしたくなかった。


 だから、私の対局相手はいつもお嬢様だった。正直な所、今現在どの程度の棋力なのかはわからない。負け越しているから、お嬢様の方が少しだけ強いんだろうとは思うけれど……ほんの少しだけ。


 ぱちん、どかん! ぱちん、どかん!


 駒音と爆音が交互に鳴り響く。

 打ち上げの間隔が短くなってきた。

 眼下は正に豪華絢爛。色とりどりの華が、競い合うように夜空に開く。今宵の花火も、いよいよ佳境に入ったようだ。圧巻の光景に、つい見惚れてしまいそうになる。


 お嬢様はチラチラと横目で見ては、小さな歓声を上げている。

 対局に集中できていない。今がチャンスだ。

 そう思う一方で。胸中で嘆息する。


 ──花火より、私を見てよ。


 そりゃあ、綺麗でしょうよ。持ち帰って冠を作りたくなる気持ちも理解できますよ。一瞬の美には到底敵わないってわかってますよ。


 だけど。貴女と今指しているのは、花火じゃない。


 ばちん!


 渾身の力を込めて駒を打ち付ける。

 振り向かせてみせる。負けたくない。


 駒音が爆音を打ち消し、お嬢様は驚いたように顔を上げた。

 目が合って初めて、私は自分のしでかしたことに気づく。一介のメイド風情が、何と出過ぎた真似を──!


「も……申し訳っ……!」


 頬が熱くなる。私情を優先して、お嬢様のお気持ちを考えずに行動してしまった。何が私を見て、だ。ちょっと他の娘より気に入られているからって、調子に乗り過ぎだ。これでは、メイド失格だ。


「まあ。何を謝るの?」


 申し訳ございませんでした。

 言い掛けた言葉を、遮られる。


「──え?」

「華、咲いたね」


 顔を緩ませて、お嬢様はそう言って来た。

 華って? まさか、今の一手のこと……?

 盤上では、私が無我夢中で指した駒が淡い光を放っている。まるで線香花火のような、か細い光だった。


 眼下では、五色の大玉が一斉に花を咲かせている。五輪を意識したものだろう、見事な職人達の連携だった。地上から歓声が上がるのも無理は無い。

 そんな豪勢な華に比べたら、私がやっとの想いで生み出した華など、取るに足らないものだ。今にも轟く爆音で吹き消されてしまいそうな、儚い輝きだ。


 それなのに、お嬢様は。

 将棋盤から目をそらさず、じっと考え込んでいる。

 私の指し手にどう応じようか、思考を巡らせて下さっている。

 嬉しかった。それから、少しだけ申し訳無くも思った。あの素晴らしい一瞬の輝きを、ご覧になれなかったのだから。

 ごめんなさい、お嬢様。私のわがままのせいで。


「……よし」


 ぱちん。

 長考の末にお嬢様が指した一手が、船内に静かな駒音を奏でた。なんて美しい高音、まるで琴を弾いたような。

 反発するでも、咎(とが)めるでもなく。私の指し手を尊重した上で、更に棋譜の質を高めてくれようとしている。

 彼女が灯した光もまた、淡いものだった。二つの光が、交じり合う。


「綺麗」


 思わず、呟きが漏れた。お嬢様と目が合うと、彼女はくすりと笑みを零した。

 楽しんで下さっている。それは間違いない、けど。どうせならもっと、目を輝かせて欲しいと思った。


 ぱちん。灯火の数を増やす。

 ぱちん。一つ一つは小さくとも。交じり合う度に、輝きは徐々に強さを増していく。


 夜空に大輪の花を咲かせる花火だって、3種類の火薬が協力することで初めて形を成している。

 大空に花火玉を打ち上げる火薬、打上げ後に『星』と呼ばれる火薬の塊を四方八方に弾き飛ばす火薬、そして自身が燃焼することで様々な色を生み出す『星』。どれが欠けても、花火は完成しない。

 将棋も、同じだ。


 私とお嬢様。二人が力を合わせて、どちらが欠けることも無く指し続けて、初めて棋譜は誕生する。

 一手一手を積み重ねて、大きな華を咲かせてみせよう。私達なら、きっとできる。

 将棋盤の中には、無限の宇宙が広がっている。宇宙規模の花火は、かの宇宙創生の大爆発にも匹敵するものとなるだろう。

 想像しただけで心が躍る。お嬢様も私と同じ気持ちなのか、ニッと笑ってみせた。


 盤上に大輪の華を咲かせるためには、たくさんの光が必要だ。生み出す光の全てを、終局図に収束させるんだ。

 ぱちん。終わりが来るのは、残念ではあるけれど。

 ぱちん。永遠に続かないからこそ、その美しさに心揺さぶられるのだ。

 指し手が、加速する。

 互いの思考が合致している。少なくともお嬢様は読み切っているようだ。私はと言えば──完全には見えていないけど、必死に食らいつく。

 夏祭りが終わる前に、決着をつけたい。終局図は、手を伸ばせば届く距離にある。


 心よりお慕い申し上げます、お嬢様。

 ぱちん! 私の一手に、光が集まる。

 ぱちん! 負けじと、お嬢様も光を放つ。練り上げられた想いがぶつかり合い、混じり合い。やがて、一つになる。

 弾ける。盤上に白光が満ちる。視界一杯が、白一色に染め上げられる。


「生まれるよ」


 ぽつりとつぶやくお嬢様。白の世界に、色が生まれていく。情熱の赤、理性の青、慈愛の緑──。

 創生の光。ぽつぽつと三原色の珠(たま)が生まれ、それらが混じり合うことで更なる色が発生する。連鎖反応のように、あっという間に盤上が彩られていく。

 私とお嬢様は、その様子をじっと見守っていた。私達にできることはもう無い。後は、生まれ落ちた子らに託す。

 打ち上げられた大玉が今、花開く。


 色とりどりの光は引力に導かれて渦を巻き、盤上に一個の恒星が誕生した。

 後は……ああ、そうだ。

 大切なことを忘れていた。


「ありがとうございました」


 二人して、盤に向かって頭を下げる。対局終了を告げる挨拶が、星の核を開く起爆剤となった。

 生まれて来てくれて、ありがとう。


 ──大輪の華が、咲いた。



 祭りの後は、どこか寂しい。

 一夜の魔法が、解けてしまったようだ。

 帰って行く人々を空中から見送りながら、私はため息をついた。

 一方のお嬢様は、満足そうに微笑みを浮かべている。

 彼女の手の中では、小さな華が、美しくも優しい光を放っていた。

 棋譜(きおく)に収めたのは、大切な宝物(おもいで)。


 来年も再来年も、一緒に観に来ましょうね。

 約束ですよ、お嬢様。



 完

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盤上に咲く一輪の華 すだチ @sudachi1120

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