1 ホイル包み焼きハンバーグ㉘

「挽肉や玉ねぎのじん切りみたいに粉々になっちゃう時もあるし、胡椒やナツメグみたいなスパイスがぴりぴり傷を刺激する時もある。卵とパン粉とミルクを一生懸命したごしらえして入れたのに、食べた人には気づいてもらえない。時には、ゼリーみたいなぐちゃぐちゃした思いや、氷をおなかに滑りこまされたみたいな冷たくてつらい気持ちを味わうことだってあるかもしれない。でもそれは、ロバさんが最後に美味しいハンバーグを作るために必要なことなんじゃないでしょうか」

「……私が、ハンバーグを、作るために?」

 その言葉は、なぜか不思議なほど、じわりとむように胸の奥にみ入ってくる。ぐず、とはなすすりつつ、未桜は口を笑みの形にひん曲げた。

「けど私、最近あまりにもどうかしてるの。今どうにか働いて生きてるのも、……あいつに私の葬式にきてほしくないからだ、なんてひっどいモチベーションでね。だって腹立つんだもの、親友ヅラして絶対悲劇のヒロインみたいに泣くんだ、あいつ」

「ロバさんが長生きしようって思えるのはいいことですが……今は重荷になってるように見えるので。ええと……大丈夫です! きっとロバさんの葬式になんて来やしませんよ、その人」

「はは……どうだか。だって、私の会社の前で嫌がらせに待ち伏せてたくらいだし? 本人は嫌がらせって自覚ないかもだけど」

「んー、でも、来ないです。僕は来ないと思います! だからロバさんが気にすることはないです」

 シュンが不思議なくらいの勢いで断言するので、未桜は苦笑した。若いっていいなあと、なんだかしみじみ思う。シュンくらい若い頃の未桜も、こんなふうに、絶対に日本中を驚かせる考古学者になるのだと、根拠もない自信を持って研究に打ち込んでいた。

 眩しさに目を細める未桜に、シュンはさらに熱弁を振るう。

「元親友の……山中さん? のことは、めちゃくちゃ腹立つと思いますけど! っていうか聞いてた僕がムカつきましたけど! そいつとの過去であっても、否定しなくていいんですよ。だってまだ、否定するほど、ロバさんは生きちゃいないんですから」

「……いや、私それでも、シュンくんより干支ひと回りくらい長く生きてるけど?」

「干支ひと回りなんてそんなもん! なんかこう、肉が十二種類ほんの一周するだけの期間ですし!」

「肉が十二種類!」

 確かに牛や鶏や猪も入っているけれども。少なくとも竜は食用ではないのでは。あまりに大雑把なくくり方に、未桜は今度こそプッと噴き出した。でもまあ、ハンバーグなら肉の種類もさほど気にしなくていいのかもしれない。

(でも、そっか……。言っても私、まだ三十過ぎだもんなあ)

 研究でも今の会社でも、いろいろなものを、いろいろなところで、失って、行き詰まって。もうこの人生は、全部が悪循環だけで構成されていると思っていた。これ以上良くなることなんてなくて、ただ悪くなるばかりだろうと。先行きは真っ暗で、身動きも取れない場所にひとり置き去りにされたように思い込んでいた。

(でも、そんなことを決められるほど、私は十分には生きていない。……夢中になれることを見失っていたけど、また新しく見つけていけるだけの時間が、たくさんあるのに)

「ロバさんは頑張ってきたひとです。ロバさんの周りに、ロバさんのことを見てくれる人は、本当に誰もいませんか?」

「……それは」

 顔向けできないから、心配をかけるからと遠ざけてきた両親と、最近ちゃんと話をしたことがあっただろうか。故郷にいる高校までの友人たちとも、しばらく連絡をとっていない。はっとする未桜が誰か特定の人の顔を思い浮かべたことを確信したものか、シュンは満足げに頷き、締めくくった。

「だから、なんていうか……やなこと全部ハンバーグにしちまいましょう! 作り方なら僕、教えますから。……いつでも!」

 両こぶしを上下させ、一生懸命言葉を選びつつ、シュンは明るく請け合った。そうして励まされているうちに、未桜は、胸に垂れこめていた重苦しい雲が、だんだんと晴れていくのを感じていた。まるで、太陽の光が差し込むように。

(やなこと全部、ハンバーグ)

 人生は料理ではないと思えば、無茶苦茶な理屈かもしれない。でも、やっぱり──料理と人生は、案外近いのかもしれないとも、思い直す。

美味おいしいものを作るために下拵えを一生懸命しても、報われないこともある。失敗することも、……誰かに邪魔されることも)

 麗子のしたことを許すことなどできない。きっとずっと、この恨みもやるせなさも悲しみも抱えたまま、未桜は生きていくことになる。

(……でも、お化粧の仕方を教えてくれたり、最初に声をかけてくれたことまで否定することもないんだ)

 あるがまま、そのままを。忘れられないうちは、無理して忘れることもない。このぐちゃぐちゃして、辛くて、叫び出したいほどうつくつした思いも、きっとそのうち、未桜のハンバーグの材料になってくれる。今はその、準備期間。

「ありがとう……」

 ぽつ、とつぶやき、未桜は目元を強くハンカチで押さえた。目頭をらす涙は、先ほどよりも少し、温かい気がした。


    *


(結局パンももらっちゃって、ソースまで完食しちゃったし)

 シュンに見送られながら、スタジオのあるタワーマンションを出て、ひとり、てくてくと日の落ちてきた歩道を歩きながら。未桜はしみじみと「美味しかったなあ、ハンバーグ」と呟いた。なお、材料費の支払いはおろか、せめてと申し出た後片付けは「誘ったの僕なんで!」と断られてしまったし、逆に駅まで送るとも言われたが、さすがに固辞してきた。

(よし。気持ち、……切り替えよ)

 散々味わった辛いことも、やるせない現状も。糧にして前に進めたらいい。続けてきた研究は報われなかったし、今は孤独が勝っているけれど。画面越しでも未桜を見つけて、こうやって手を差し伸べてくれるシュンのような人もいる。

 まだ終わりじゃない。葬式のことなんか考えるのは、ずっと先で。まだ、生きていける。だから、──今はただ、それだけでいい。

「やなこと全部ハンバーグ!」

 覚えたばかりのじゆもんを唱えながらの帰途は、不思議なくらい、足取りが軽かった。


***続きは書籍でお楽しみください***

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死にたいあなたに男子大学生がお肉をごちそうしてくれるだけのお話 夕鷺かのう/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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