第7話 季節は移ろって

あの後、ぼうっと空を見上げていた私を天狗さんと猫又さんが見つけてくれて、夏芽さんのことを話した。文字通り、枯れるほど流した涙も、説明するにつれてこれでもかと溢れ出てくる。嗚咽混じりだったが、ちゃんと夏芽さんの言っていた通りに喋ることができていただろうか。その時は情報量が多くて頭が追いついていなかったため、もうほとんど覚えていない。


そんな私も、色づく木々の季節、町が白く染まる季節、道にピンク色の絨毯が敷かれる季節を過ごしとうとう夏芽さんと会わなくなって一年が経った。背丈も数センチではあるが高くなり、髪も胸下辺りまで伸びている。邪魔かな、と思った時もあるのだが、美容院に行くのも面倒くさいし、なんだかんだ言って気に入っているのでそのままにしていた。

そして、中学生最後の学年、三年生になった私は、あの日夏芽さんが高天原に再び帰ってしまった日から毎日欠かさず神社に通っている。猫又さんや天狗さんと遊ぶために行く日もあれば、勉強をするために静かなここへ訪れたり、のんびりするために訪れたりしている。もちろん、夏芽さんが帰ってきていないかななんていう気持ちを持ちながら。


今日も、学校が終わってすぐに向かうのはやはり神社。


「おや、今日も神社に行くのかい?」

「はい。家じゃあんまり集中出来なさそうだったので」

「そんじゃ私も行こうかねぇ」

「いやいや、猫又は猫会議があるから……」

「ふふ」


道中、猫又さんと天狗さんに会ったが、どうやら二人は毎月恒例の猫会議に出席するらしく、今日は神社に来れなさそうだ。青い空へ黒い翼を羽ばたかせて去っていく彼らを見送り、また神社へと続く道を歩き始める。

去年の今頃は汗ばんだ腕にまとわりつく長袖が鬱陶しくて、夏が嫌いになりそうだったっけ。ふわっと二の腕の辺りで風に揺れる袖を見ながら、懐かしいと口角を上げる。

しばらく紺色の道を歩いていると、脇の方に緑が生い茂る林が目に入った。ここだ。私は迷わずその緑の中へ飛び込み、神社へ通じる目印となる鳥居に向かって歩き始める。林の中は、外とは比べ物にならないほどひんやりとした空気を含んでおり、歩きながら数秒の休息をとった。

朱色の鳥居をくぐると、見えてくるのはどこの神社にもある石段。ただ他と違うとすれば、段数が少ないということだろうか。そのおかげで、この階段を上がるのに全く苦を感じない。


「今日は夏芽さん帰ってきてるかな。……なんて」


いつものように淡い期待を抱きながらトントンっとリズミカルに階段を上り終えると、いつもと何ら変わらない景色が見えてきた。さわさわと揺れる木々の音やどこからが聞こえてくる鳥の鳴き声。全ていつも通りだった。

やっぱり今日もいないか。少し残念に思いながらも、心のどこかでそうだろうなと納得する私がいる。彼女は修行中なのだから、そう簡単に帰ってこられるはずもない。わかっているのだけれど、毎回期待してしまう。もはや癖になりつつあるのかもしれない。ふぅ、と邪念を払うように短く息をついた私は、特等席のお賽銭箱前まで移動する。


――ふと、拝殿の上に何かがいるような気配がした。バッとそこに目をやっても、風がそよぐだけで何もいない。一瞬だけ夏芽さんが帰ってきたのかと思ったが、そうでは無いらしい。

ガクッと肩を落とした私は、すぐさま切り替えそれよりも勉強だとリュックから筆記用具とワークを取り出す。

中三となれば、もちろん受験がある。私は近くの公立高校に行く予定なのだが、そこがまあまあ授業が難しいらしい。なので、私以外に行く人はあまりいないのだとか。私はむしろ、いろんなことが学べそうで良いなと思ったのだが、みんなはそうでは無いようだ。

カチカチっと二回ノックして出てきた芯をワークに向かわせ、一心不乱に問題を解き始める。

ああ、この問題は確か今日の授業でやったところだ。あっ、これは私の苦手なタイプのやつ。えーと、この文章問題では確かこの式を当てはめて解くんだったっけ。

一人たまにボソボソと喋りながら、今回のテスト範囲のワークを順調に進めていく。難しい問題も、勉強すれば絶対に解けるようになる。そう信じてやり続ければ、する度する度丸が増えていくのにとても達成感を得られるのだ。これだから勉強はやめられない。


「へえ、百合ちゃんは勉強熱心なんだね。偉い、偉い」


そうなんですよ、私は意外と熱心にやるタイプなんです。


「そっかー。たしかに、何事も熱心に取り組んでいそうな目をしているもんね」


そうですかね。


「うん、とっても澄んでいる目をしているよ」


いやいや、それを言うなら夏芽さんの方こそ……。


「……へっ!? な、夏芽さ……えっ!?」

「ふふ、驚きすぎだよ百合ちゃん」


第一今、心の中で会話していたじゃない。可笑しそうにクスクス咲く度に、金色の髪がゆらゆら揺れる。

ああ、会いたかった。その声が聞きたくて、会いたくてたまらなかった神様が、今目の前にいる。私はシャーペンや消しゴムが膝から落ちることも気にせず、膝に手を着いて話しかけていた夏芽さんに飛びついた。


「……遅いですよ。一年も経っちゃったじゃないですか……っ!」

「いやあはは……案外こっぴどく叱られみっちり修行直しされてしまってね……。これでも頑張った方なんだ」

「知ってます」

「ふふ」


夏芽さんは私をバッチリ受け止めると、いつしかのように泣きそうになる私の頭を優しい手つきで撫でてくれる。

……あれ、夏芽さんの手、こんなに小さかったっけ。

私はふと思い立ち、一旦彼女から離れる。そして、気づいてしまった。夏芽さんは背丈も髪の長さも、顔立ちも何もかもが一年前と全く変わっていない。

冷静に考えてみれば当たり前のことだ。私は人間で、夏芽さんは神様。私と彼女で成長のスピードが違って当然のことだ。

そう、当然。


「……」


彼女も私の心を読んで気づいたのか、再会したというのに暗い表情を浮かべている。前世のように花同士ならば、きっと成長速度も寿命も同じくらいだったはず。けれど、今はどうだ。髪も伸びて背丈も伸びた私とは対になるように夏芽さんは全く変わっていない。修行のせいか、多少逞しさは増したような気もするが、それでも本当に変わっていない。それが良いことなのか悪いことなのか。

私は改めて種族の差を感じた気がして、少々俯き気味になる。夏芽さんも同じことを思ったのか、同様にして地面を見やる。しばらく二人の間に沈黙が流れたその時。私は、別れる前に夏芽さんが言っていた言葉をふと思い出していた。

「999本の向日葵を信じ続けていて欲しい」と、確かに彼女はそう言っていた。999本の向日葵。初めに聞いた時は、なんて数の向日葵だと驚いたのをよく覚えている。

向日葵の花言葉は色によっても異なるが、一般的だと情熱や憧れ、あなただけを見つめる等など、基本的にポジティブな言葉が多い。が、その999本の向日葵の言葉は、とても衝撃的で彼女らしくて切実な願いで、私は思わず泣いてしまった。私も同じ気持ちだと、何度頷いたことか。

私は再び彼女と目を合わせるべく顔を上げると、そこには驚いたような戸惑ったような表情の夏芽さんが今にも泣きそうな目で見つめていた。大方心を読んだのだろう。修行をしても、勝手に読んでしまうところは直せなかったみたいだ。


「夏芽さん」

「うん」


人間と神様ではもちろん生き方や成長速度、常識も何もかも違う。命の永さだって当たり前に違う。それはわかっている。――否、わかっているからこそ、私はこの言葉を言うのだ。もしも私が先に死んでしまっても、夏芽さんが急に消えてしまっても。


「……私は、百合の花になろうと、人間になろうと何度生まれ変わってもあなたを、夏芽さんを――……」



愛し続けます。

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揺れる花には太陽を 明松 夏 @kon_00

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