エピローグ
エピローグ
俺は大学四年生になり、就職活動をしながら卒業論文を書くという多忙な日々を送っていた。ここは都会と違って、企業の数も職種も少なく、Uターン就職を目指して故郷に帰る人も多い。俺はもちろん、こちらに残るつもりだ。
ゼミでは柳の不在を心細く思い、また、罪悪感にも苛まれることもあるが、毎日八巡神社の本殿にお参りしているから、それで勘弁してほしい。ちなみにゼミの中では、柳という存在自体が初めから存在しないことになっていた。先生に聞いても、同じゼミの仲間やマリア先輩に聞いても、皆ぽかんとする。そして決まってこう言った。
「知らないな。お前、頭大丈夫か?」
柳と短い期間付き合っていた男性に聞いても、同じような答えが返ってくる。どうやら俺がゼミと就活の厳しさに、柳という架空の存在で心を癒している可哀そうな奴だと思われているらしい。本当に可哀そうなのは、消えてしまった柳の方なのに、俺の方が落ち込む。俺のために、柳が消えた。俺のせいで、柳は八巡神社の本殿から出られない。本来なら俺たちと共にゼミで論文を書き、就活に精を出していたはずだ。柳はおっとりして見えて、実はしっかり者だったから、アドバイスをお互いし合って、苦しくも充実した最後の大学生生活を送っていたに違いない。そのあったはずの未来が失われたことが、俺の心に苦く残っている。
柳の消え方に違いがあると分かったのは、梅野先輩と久しぶりに会った時だ。梅野先輩は、地元の大手企業に就職していた。今日は俺が梅野先輩と同じ企業を受けるにあたって、先輩の勤務先の話を聞くことになっていた。OBに話を聞く機会を持つことを、OB訪問というように、本来なら俺が梅野先輩を訪ねるはずだったが、梅野先輩は大学の様子が見たいと言って、わざわざ足を運んでもらった。梅野先輩は、都会がビブリオバトルの時に怖かったため、地元企業にひたすら自己アピールしたらしい。梅野先輩曰く、「都会は住める場所ではない」のだそうだ。確かに、あの程度の人ごみでパニックになるくらいなら、こちらの大手企業で働いた方がいいだろう。梅野先輩は経理部に配属されたらしく、営業と違って都市部への出張もないから天国だと言う。ミステリアス美人の梅野先輩が経理として働いているところを想像すると、そのミステリアスぶりに拍車がかかっているように思えた。就職の話をしばらく聞いてから、柳のことを聞いてみた。梅野先輩は驚いた表情を浮かべた。
「お前、彼氏のくせに彼女の事を忘れたのか?」
「え?」
今度は俺がぽかんとする番だった。梅野先輩の中では、柳の存在が、根底から消えていなかったのだ。今までの反応と違って、俺は混乱した。しかも、彼氏や彼女と言った言葉は、どこから出てきたのだ。まるで、俺と柳がずっと付き合っていたような言い方だ。
「柳は向こうの大学院に進学しただろう?」
「大学院? どこのですか?」
「さあ。でも、ずっと研究がしたいって言ってたから」
俺は固まるしかなかった。柳の口からそんな話は一度も聞いていない。もしかしたら、近い存在だった人には、柳の記憶が都合よくすり替わっているのかもしれない。
「何だ? 今更未練か? 気持ちよく送り出したって、言ってたじゃないか」
「そ、そうなんですね」
「彼氏のくせに、他人事か?」
「いえ、すみません。今日はありがとうございました」
「君の就活に幸あれ、だな」
梅野先輩は相変わらずのテンションで、そう言って笑って去って行った。
俺はここで就職するために車の免許も取った。こちらで車の運転ができないことは、足がないのと同じだ。電車は一時間に一本しかなく、常に着いた電車に飛び乗れば目的地まで着くという便利さはない。企業の求人にも、車の運転ができる人を採用するという旨を書いていることが多い。
梅野先輩からの激励に背中を押され、俺は今日も企業面接に向かう。まずは一次からだ。リクルートスーツを着て、玄関先で靴ベラを使って靴に足を滑り込ませる。そんな俺の背中に、明るく元気な声がぶつかる。
「行ってらっしゃい。主様。今度こそは不採用が出ないといいですね」
「その不採用を強調する言葉遣いを、やめなさい」
「はーい」
椿の言葉通り、俺は何十社か受けているが、どこも不採用だった。竹内先生から「ここまで駄目なのは珍しい」と、妙な太鼓判を押された。俺のことだから、椿の存在がなければもっと苦戦していただろう。それを考えると、恐ろしい事態だ。慣れないスーツと靴を何とか着こなして、履きこなす。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、主様♡」
椿はいつも、俺を笑顔で手を振りながら見送ってくれる。ただそれだけで、俺は嫌なことを忘れることができる。そして、また頑張ろうと思えるのだ。
自分自身がゴッドだった俺は、神様なんて信じていなかった。でも、違った。俺が信じる限りにおいて、いつもどこかで俺を見守っている存在がある。守ってくれようとする存在がある。庇ってくれる存在がある。それはとても贅沢で、幸せなことだ。何故なら俺はそれを感じることで、けして独りで生きてきたわけではないと感じられるからだ。
<了>
『座敷童はお着換え中!』 夷也荊 @imatakei
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