第9話 永遠

「この村には、死の穢れが充満してる。その一番の原因の私が消えたら、この村はもとに戻る」


「別に、戻らんでもええ! この村よりおまえが、大事や」


 俺は子供のような駄々をこねて、叫んでいた。


 死の穢れはすなわち、死に対する恐怖だ。その恐怖を巻き起こした黒煙である新しい六花が産まれる前に、ナニカが消えると言っているのはわかる。


 それが一番なのだと頭ではわかる。でも、心が到底受け入れることなんてできない。


「ありがとう、そんなん言うてもらったら、私はお兄ちゃんの特別な存在になれたような気がして、うれしい。でも、新しい六花をこの世に産み出すことはできんの。産まれる前に私ごと消えな」


「いやや、いやや! 俺にはおまえが必要なんや」


 ナニカを失いたくない。右手にはナイフを握ったままだった。このナイフで、ナニカの中の六花を刺せば……。


 手の中のナイフが、小刻みに震える。


 そんなことが、できるわけもなかった。いくら禍々しいものになったとはいえ、元は俺の子供であり、六花の記憶も持っている。


 俺は二度と六花を殺せない。


「でも、生まれ変わった六花は何するかわからんから。絶対お兄ちゃんにも、お兄ちゃんのまわりにも災厄をまきちらすに決まってる」


 ナニカの声は弱々しいが、目にはゆるがない決心を宿していた。もう、俺が何を言ってもその決心が翻ることはないのだろう。ならば、俺ができることは……。


「わかった、でもおまえひとりでは、行かさん。指切りしたやろ。ずっといっしょにいるって。だから、俺もいっしょに死ぬ」


 一瞬ナニカの表情はゆらぐと、さみし気に目をふせた。しかしすぐに、薄い唇の両端がくっとつり上がる。


「うん、ありがとう。ひとりは、さみしいもんな」


 ナニカの口から出された言葉に、心底安堵した。最初からこうすればよかったのだ。六花の中にナニカが入っていると気づいた時に。


 そうだ、俺は自分の罪から逃げ出して楽になるため、死を望んだ。けれど、ナニカと体と心を寄り添わせるうちに楽になるのではなく、罪をみつめ共に生きて歩いていきたいと思い始めた。


 もうここまで追い詰められた状況では、それも無理だ。ふたりで死ぬ以外選択はない。


「じゃあ、今から川に行こう」


 俺が立ち上がると、足元に落ちていたりんごが足にひっかかり転がった。


「最後にお兄ちゃんがむいた、りんご食べたいな」


「そうやな、最後の晩餐やな」


 俺はすこしだけおどけて言うと、りんごの皮をむき始めた。


「おまえのこと、なんて読んだらええ? 六花とは違うし」


 ちらりと膨れた腹を見て俺は、ずっと口にできなかったことを訊いた。最後にちゃんと名前で呼びたかったのだ。


「六花でええよ。お兄ちゃんが六花って呼ぶ声が好きやった」


 りんごをむいて、皿の上におくと六花はひとつつまんで口に入れ、驚いた顔をする。


「すごい、びっくりするぐらい甘くて、おいしい」


「そんな、大げさな。道の駅で買った普通のりんごやろ」


「お兄ちゃんがむいてくれたから、おいしく感じるんや」


 俺も一切れ口にする。六花が驚くほど、おいしくはなかった。まあ、普通のりんごの味だ。でも、おいしそうにりんごをほおばる六花を見ていたら、俺の口の中も六花と同じように甘みが広がる。


 俺は残りのりんごにラップをかけて冷蔵庫になおし、皿やむいた皮を片付けた。


「じゃあ六花、行こうか」


 六花にパジャマの上からコートを着せ、俺もトレンチコートを着込む。お腹の大きな六花を背中には背負えず、横抱きにした。


「わあ、お姫さま抱っこや。一回してもらいたかってん。また夢がかなった」


 喜ぶ六花の顔が無邪気でかわいい。前髪からのぞく小さな額にキスをした。


「なんで、おでこ?」


「お姫さまには、まず額にキスかなと思って」


 六花は大きくせり出した腹に手をそえて、クスクスと笑う。


 外に出ると夜は明け始め、東の山の端が曙色に染まっていた。朝が早い近所の家々はまだ、沈黙を守っている。死の穢れに触れぬように、硬く門を閉ざしているのだろう。


 背後から朝日を受け、六花を横抱きにして坂道をくだって行くと、夜の色に染まっていたアスファルトは段々と輝き始める。


 欄干のない姫橋が見えてきた。この橋を斎皇女が渡ったという伝説から、姫橋という名前がついたのだろう。


 降り続いた雨のせいで御津川の水位は上がり、橋のすぐ下を黄土色の濁流が轟音をあげている。これならば、身を投げても早々に発見されることはない。


 橋の中ほどに立ち六花をおろし、乱れた髪を耳にかけてやる。冬の朝のキンと張り詰めた空気に、六花の耳はさらされ赤くなっていた。


 腹が出ているので、上半身だけ強く、強く抱きしめた。川に流されても二人の体が離れないように。


 覚悟を決め一歩足を進めようとすると、ふわりとさっき食べたりんごの爽やかな匂いが香る。そして、六花の確かな声が轟音に消されず聞こえてきた。


「あんな、ずっと考えててん。お姫さまのイツキさまはなんで死んだんかなあって」


 斎皇女のイツキさまは、村の伝承では男とここに逃げてきた。しかし、男が心変わりして姫だけをおいて逃げたので、悲観して自ら死んだ。


「あくまでも、伝説やろ」


 俺の夢のない発言に、六花はすこしすねた声を出す。


「そうやけど、でも気になったの。だって、男においていかれても愛は消えんやろ?」


「どういう意味や」


 別れてしまえば、ふたりの愛は消滅するのではないのか。


「愛って、愛し合ってるから愛が存在してるんやなくて、それぞれの心の中にあるのになって」


「ますます、わからん」


 なぞなぞのような問いに俺が首をかしげたら、六花の出したかすかな息が俺の耳を温める。


「男の中の姫への愛がなくなっても、姫の中に男への愛があれば、たとえ目の前から消えても姫の中の愛は消えんのにな」


 こんなことを今この状況で語り出す六花の心境がわからずに、戸惑う。強く抱きしめていた俺の手がゆるみ、六花の手が胸を押した。少しだけあいた隙間に、川を吹き抜ける風が流れて行く。


「だからお兄ちゃんは、私がいんようになっても、生きてな。約束」


 薄い唇からは生きている証のような白い息がもれ、すぐに消えて行く。六花の手がふっと持ち上がり、俺の唇をなでた。


 なでたかと思うと、六花の白く小さな顔がどんどん遠ざかっていった。

 長い髪が風に巻き上げられ、踊っている。うねる髪が、船が出港する時の門出の紙テープのように、俺に別れを告げている。


 六花の顔にちょうど朝日がさし、いつまでも胸にとどめておきたいほどきれいだった。


 また七年前と同じように、俺の目の前で六花が倒れていく。違うのは、俺が六花を拒んだのではなく、六花においていかれることだ。


 愛は失わなくても、半身をもがれおき去りにされたものはさみしい。俺はそのさみしさを抱いて生きていけるほど、強くはない。


 六花のように強くない。


 俺は七年前に伸ばせなかった腕を今、精一杯伸ばし六花の手をつかまえた。思いは届き、俺の体は濁流へ倒れこんで行く。


 空中で六花の体をとらえると、甘い香りに包まれる。背中に六花の手が回された。耳元で「もう」とすこし怒った声が聞こえたような気がしたが、ぐんぐんと水面がスローモーションのように近づいてくる。


 俺たちは生と死の狭間で抱き合い、時間の存在しない永遠の中へ一塊の魂となり落ちて行った。


 ――俺をつれていってほしい。

 ――どこへ?


 ――六花がきたところ。

 ――逃げるには、いいところじゃないけど。


 ――逃げるんじゃなくて、行くんだよ

 ――ああ、それやったらいいかも。


 ――いっしょに行こう。

 ――うん。



     了







 参考文献

「土葬の村」 高橋繁行著 講談社現代新書

「山の人生」 柳田国男著 角川ソフィア文庫




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イモウトを愛しただけなのに 澄田こころ(伊勢村朱音) @tyumei

二次創作の作品にはギフトを贈ることはできません

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画