終わりと最後とその花火(short) ~ユフの方舟
Tempp @ぷかぷか
第1話
終わりと最後は、少しだけニュアンスが違う。
「キトリ、本当に宜しいのですね」
「いいんだ。この世界は僕に何もくれなかった。きっと誰にも何もくれない」
「私にキトリをくれた大切な世界です」
僕を抱きしめるカイユの腕は暖かく、肩口を通り過ぎるその呼吸は柔らかくタイムのような薬の香りがした。
「カイユはそれでいいの?」
「キトリがいないならもう意味がない」
狂っているのは多分僕じゃなくて、カイユの方だ。狂ったカイユが狂った僕を作った。それはもう随分前のこと。
薄らと目を開ければ、カイユが僕を見つめていた。
「おはよう、キトリ。私はカイユ、あなたの調整を司ります」
「カイユ」
「そう。次の百年をよろしく」
カイユは柔らかく僕の頭を撫でた。
その言葉の意味は、その後の教育によって明らかになった。この世界はかつて毒を撒きちらす隕石が落ち、生物のほぼ全てが死に絶えた。自然のままに放置すればたちまち大気に毒が満ち、本来なら生物が生きるのが困難なのだ。
それをトラソルテオトルという機構でバランスを保ち、わずかな人間が生存していた。その毒に科学技術が打ち勝った範囲でほそぼそと、絶妙な配分によってこの国が成り立っている。この世界の人間はギリギリを生きるためにそれぞれ役割を担っている。糧を育てる者、それを運び分配する者、そして僕はこの世界の王で、この世界に毒が満ちないよう、機構の一部に組み込まれ、世界を観測して調整する。だから僕にだけ寿命がある。
「キトリ、我らの王。座学は一通り終了しました。次は世界を見ましょう」
世界は美しく爛れていた。
中心部に整えられた街区と農場、辺縁にある自然地形のままに崩壊を始める大地。世界の辺縁は目に見え、その外には何もない。毒が全てを腐敗させるからだ。
「キトリ、この世界は守るに値しますか?」
「守る? 僕がそれを決めるの?」
「ええ。唯一にして未だ人たる王」
カイユたち僕以外の人間には寿命がない。もともと人間だったけど、技術の進歩により寿命を克服した。年齢にすればそれぞれすでに、数百年は生きている。
毒によって人の生活圏は大幅に狭まり、生存可能な人数は限られた。以降、この国の人口はきっかり百人で、増えも減りもしない。
機構を扱う王だけは過去の僕のDNAから促成され、百年ごとに入れ替える。
「値するかなんて、僕にはわからないよ」
「わかりました。ではトラソルテオトルへ」
その機械の根本には、半ば朽ちた僕が膝を抱えて蹲っていた。
目の前の僕が意識を閉じるのと同時に次の僕が目が覚めるようにプログラムされている。カイユは前の僕を丁寧に抱き上げ、かわりに僕が収まる。ここに入るのは初めてのはずなのに、何故か懐かしい。きっと何百年も交代で入っていた僕の意識が未だここに留まっているのだろう。
「当代のキトリはトラソルテオトルとなることを了承しますか」
「うん」
僕の声で機構はふわりと起動し、僕の意識はこの小さな世界と接続する。接続が切れるのは僕が死ぬ時だ。死という概念はすでにこの世界にはない。死ぬのが僕だけだからだ。カイユに聞いてもそれはわからなかった。
ぱきりぱきりと僕の中に世界の情報が入り込む。この小さな世界の運行、組成、毒の侵食状況、風の動き。機構はこの巨大なビオトープの空調で、風を吹かせて隕石の毒を吹きちらし、その内側に入らないようにする。地球の運動に基づく地殻や地磁気の変動、季節による風の転向、そういったこの国以外の要因によってこの世界に毒が入らないよう風で調整する。
僕と話すのはカイユだけだ。動けない僕に食事を運び、体を拭き、話をする。時間だけは膨大で、様々な話をして、一緒に図書データを閲覧した。この国の全ては王のために動いている。カイユたちは光合成でエネルギーを得て、わずかにハーブを嗜む程度で、この国で育てられる糧は全て王が食べ、つまりこの国の作用は全て王の生存のために運航されている。
過去の記録と照らし合わせれば、カイユは既に静かに狂っていた。
「キトリは王の仕事をどう思いますか」
「どうと言われても、僕が風を動かさなければ皆死んでしまう、カイユも」
「それは必要な行いでしょうか」
たった百人の国は奇妙な共依存が生じていた。王が死ねば毒が吹き込み皆が死ぬ。1人でも欠ければ王は生きていくことができない。
過去の記録で、カイユは過去の王に世界の価値を問うことはなかった。
時間が先に進むように、終わりのない世界も終わりに導かれているのだろう。つまりこの世界の終わりを柔らかに僕に告げたのはカイユだ。
99年の時が経過した。
「当代のキトリは次代を生成されますか」
百年毎の問いかけ。僕の最後に次の僕を作るか、あるいは。
「終わりにする」
「キトリ、本当に宜しいのですね」
反対する者もいないだろう。何も齎さない世界に皆が疲れ果てていた。
最後の日、大きな花火を打ち上げた。それは奇妙に美しく赤かった。まもなく毒がこの世界を覆いつくす。
終わりと最後とその花火(short) ~ユフの方舟 Tempp @ぷかぷか @Tempp
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