30 年はじめ

年も明けて、正月になった。

 実家に戻った加代は、しかしのんびりと骨休めというわけにはいかず。

 大掃除などろくにしていない父と弟の尻を叩いて家の中を片付け、正月に向けて年神様へのお供えなどあれやこれやと準備をしてと、ばたばたしていた。

 しかし年が明けたらのんびりできるかとなると、そうはいかない。

 元旦早々に妹夫婦がやってきて、「あ~、くつろぐぅ」などと言ってどしんと座り込む妹と、その隣に座るその旦那のお世話も加代の役目となる。


 ――まったく、お屋敷にいる時よりも忙しないわ!


 己の家族ながら、ちょっとなんでも加代に甘えすぎではあるまいか?

 それもと加代が甘やかしてしまったせいなのか?

 住み込み仕事で家を離れたことで、以前の己がやっていたことを考え直すこととなる。

 家にいたら、「お加代」だの「姉ちゃん」だのとひっきりなしに呼ばれるので、だんだんうんざりしてきた加代はちょっと外を散策することにした。

 今は昼時、いつも賑やかな通りも、元旦となると静かなものだ。

 歩いているのは、きっと湯屋の初湯か、神社の恵方詣りに出かける連中だろう。

 加代は恵方詣りの人の流れに乗った。

 加代は実は恵方詣りならば朝一番に家族で済ませているのだが、一人でもう一度詣っても神様は呆れたりはなさらないだろう。

 そして戻り際に湯屋に寄って、初湯といこうではないか。

 そう考えて、湯屋に行く用意もしっかりと持ちだしているのだ。


 ――遠山様だって、本当は湯屋の初湯を楽しみたいのでしょうねぇ。


 あれだけ湯屋好きのあのお人が、元旦初めに汲んだ若水で淹れた大福茶を飲んで、餅を焼いて食べてと、そんな楽しみができないのはなんとも哀れだ。

 今頃はきっと、あちらこちらの挨拶回りをしていることだろう。

 「こんなのは隠居のやることではない!」なんてぼやく姿が目に浮かぶ。

 加代がそんな想像をして、やって来た神社に手を合わせながらも「ふふっ」と一人笑っていると。


「おや、お加代さんじゃあねぇですか」


後ろから知った声に呼ばれ、振り返った加代の目に目立つ大男の姿がすぐに入ってきた。

 なんと、神社で千吉の姿を見るとは思っていなかった。

 千吉と最後に会ったのは、あのつまみ食いをされた時であり、ちょっとむっとした気分を思い出すが、昨年の怒りは昨年に置いておくことにしよう。


「千吉さん、明けましておめでとう。

 こんなところでどうしたの?」


加代は年始の挨拶をしながら問いかける。


「明けましておめでとうごぜぇやす。

 釜焚きを代わったもんで、詣りにきたところでさぁ。

 お加代さんはお一人ですかい?」


するとぺこりと頭をさげて挨拶を返した千吉が、そう問い返してきた。


「あたしはね、騒がしい家の中から逃げてきたところよ。

 この後湯屋の初湯に行こうと思って」

「ははっ、俺ぁ焚き物集めがないと、暇でしょうがねぇ。

 こんなに暇なのは元旦くらいでさぁ」


加代が桶一式を包んだ風呂敷を見せると、千吉はそんなことを言ってから、隣に立って神社に手を合わせる。

 その様子はなかなか神妙なものだった。


「あなたでもお詣りってするのねぇ」


その姿を見て、加代は思わずそんな言葉を漏らす。

 鬼なんていう連中は神様なんて嫌っているのかと、加代はなんとなく勝手に想像していたのだ。

 けれどこの意見に、千吉は苦笑する。


「いやいや、俺らの里でも神様はお祀りしますよって。

 なにせ、どんなに腕っぷしが強くても、神様ってぇのは怖いものですから」

「へぇ、そんなものなのね」


加代は「妖の者」とやらの意外な信心深さを知った。


「では詣りも済んだし、『あいあい』までお供しますよって。

 俺もこの後、初湯を頂くんで」

「まあ、そうなの」


いつもこの頃には車をひいている千吉だから、客に交じって湯に入るのは贅沢なことに違いない。


「きっと、三太もお加代さんを待ちわびてることでしょうよ」

「ふふ! そうかしら」


さらにそんなことを言われて、加代は河童の三太の姿を思い出す。


 ――今日も湯槽の隅にいるのかしら?


 河童の水での初湯だなんて、きっと江戸で、いやこの国中探しても、あの「あいあい」だけの楽しみに違いない。

 このようにして、楽しそうに話しながら連れ立って歩く加代と千吉を、周りは「似合いの恋仲の二人だ」と噂をしているなんて、加代は知る由もない。

 そのうわさが弟大介の耳に入ったことで、騒いで面倒になるのは、また別の話である。



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湯屋「あいあい」 黒辺あゆみ @kurobe_ayumi

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