29 年の終わり
もうじき大晦日。
まだまだ暇があると思っていた者たちも、そろそろ大晦日を迎える準備、それも大掃除をしなければとなり、どこでも家屋の戸を開け広げての大騒動である。
それはここ南部家下屋敷でも同じことで、大掃除で忙しい。
加代は普段の掃除ではあまり手をかけない部屋にも入り、押し入れを開けて中を整理してと、ここ数日はずっと大掃除にかかりきりだ。
――まあでも、長屋の掃除や舟を洗うのよりは、楽かもね。
なにせ長屋の方は、このお屋敷に比べればものすごく狭い小屋みたいなものに見えるとはいえ、その狭い場所に家族四人でひしめいて暮らしていたのだ。
人の数が増えるだけ、汚れ物やらなにやらが増えるもので、毎年この大掃除でなにかしらの揉め事が起きていた。
大抵は、どこかにやってこいと言っておいた物を押し入れに押し込んで済ませていて、それが大掃除で見つかって加代が怒って雷を落とすのだが。
それに比べればここは広いとはいえ、つい最近まで暮らしているのは遠山様と加代の二人だけだったのだ。
上屋敷の人がやって来ても恥ずかしくないように、普段から片付けているし、掃除もまめにやっているので、やることといえば空き部屋の手入れくらいなのだ。
そうそう、福田も大掃除を買って出てくれて、あちらは蔵の方を見てもらっている。
遠山様も大掃除の様子を見張っていて、手持無沙汰のついでだと言って、あちらこちらから集められた壺を綺麗に磨いていた。
このように屋敷がばたばたとしている中、屋敷の門前では。
「アフゥ~」
暇そうに大あくびをして寝そべっているのは、番狐の喜右である。
そろそろ飯時であるのに、中はどうなっているのかと、時折様子を窺っているところへ。
「喜右さん、ご飯をどうぞ」
加代が喜右の飯を持ってやってきた。
「ワゥ」
喜右は待っていた飯にありつけたとばかりに、ひげをそよがせる。
喜右とてただの狐ではなく「妖の者」であり、彼らにとっての糧とは精気であるというのが、千吉の談だ。
なので人間が食べるようなものを食べなくても生きていけるらしいが、食べることが嫌いなわけではないとのことだ。
それに番狐に飯のひとつも与えていないと周りから見られると、南部家がひどい御家だと思われかねない。
「む、魚か。
なかなかに良い匂いだ」
「今日はいい魚が揚がっていたのよ」
飯の器に盛られた魚をふんふんと嗅いで小声で呟く喜右に、加代はそう言って笑いかける。
千吉は、この喜右のことを「強い化け狐だから気をつけろ」と忠告していたが、今のところは大人しくて気の良い狐である。
夕刻の福田との散歩を特に楽しみにしているのが、またいじらしい。
しかし、喜右はこの時期の散歩には不満があるそうで。
「人とは忙しないのぅ、どこもかしこも埃っぽくていかん」
そのような愚痴を零す喜右だったが、その様子を遠巻きにこちらを見ている子どもがいる。
あれは近くの長屋で暮らす子どもで、最近現れたこの下屋敷の番狐が気になって仕方がないらしい。
ほぼ毎日ああやって見に来るのだ。
「グォウ!」
「きゃあ!」
喜右が軽く吠えて大きな尻尾を振ってやると、子どもは嬉しそうな悲鳴を上げて、長屋の方へ駆けていく。
狐に構われたのが嬉しいようだ。
時折、福田との散歩の後をついていくこともあるそうだ。
「喜右さん、子どもに人気ねぇ」
「どこの輩でも、子どもとは怖いもの知らずでいかぬ」
加代がからかうように喜右を指で突くと、しかし喜右は嫌そうにそんなことを言う。
確かに、子どもは時にとんでもないことをしでかすので、その怖さは加代もわかる。
このように、加代が喜右と話し込んでいると。
「湯屋ぁ、湯屋でござぃ。
焚き物はありゃせんかぁ~」
千吉の声が聞こえてきた。
大掃除の時期は焚き物が多く出るので、千吉も今日はああやって何度もぐるぐると回っているのだ。
やがて門前で喜右と一緒にいる加代を見つけた千吉が、車を止め置いてこちらへやって来た。
「おう狐め、門番が板についてきたじゃねぇか」
千吉がじろりと見下ろすのに、喜右は「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「何度もぐるぐると歩いて、お前は暇なのか?」
「なにおぅ!?」
眉を挙げた千吉が喜右の太い尻尾をぎゅっとつかむと、「ギャン!」と悲鳴が上がって喜右が逃げを打つ。
――この人たちって、仲がいいんだか悪いんだか。
実はこのやりとり、いつも繰り広げられるものであり、だんだん見飽きてきた加代は「よくやるな」と呆れてしまう。
千吉は最近、この門前を必ず日に一度は通っているし、その際に喜右とちょっとした話をしているようである。
けれど朗らかな様子ではなくて、見ているとお互いが仲が悪そうに思える口の悪さだ。
それなのに、数日会わないということはないのだ。
けれど、人と人との付き合い方とは案外そうした見た目からではわからず、もっと深い所で繋がっていることだってある。
まあこの場合は人と人ではなく、鬼と狐なのだけれども。
「千吉さんは、これからもうひと回りなのかしら?」
「へぇ、今度回って仕舞でさぁ」
加代が尋ねると、千吉は喜右の尻尾をぱっと放して答える。
「お加代さんは、家に戻るんでございましょう?」
「そうよ」
次いで逆に尋ねてきた千吉に、加代は頷く。
この下屋敷の留守居役である遠山様は、年末年始には上屋敷の方へ滞在するし、それに福田も付き従う。
そのため加代は遠山様のお世話がお休みとなり、明日には実家に戻るのだ。
「年内に千吉さんを見るのは、これで最後かもね」
「そういうことになりまさぁ」
加代がそう言うと、神妙な顔をする千吉であったが、加代が気付く間もなくするりと加代のうなじを撫で、その手を己の口元に運ぶ。
「まあっ、やったわね!」
「ご馳走様でございます、これで年内を乗り切れそうで。
年末の挨拶ってことで、俺ぁこれで」
軽いだるさを覚えた加代が目を吊り上げると、千吉はにやりと笑うと、逃げるが勝ちだと言わんばかりに車に戻る。
「ではお加代さん、どうかよいお年を」
ぺこりと頭を下げて車をひいていく千吉を、加代はしばし睨んでいたが。
「千吉さんも、よいお年を」
最後にはそう声をかけてやると、千吉が向こうでひらりと手を振った。
「よくやることだ」
そんな加代と千吉を、喜右はちらりと見ていたものの、すぐに飯にがっつくのだった。
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