一蓮托生・プロローグ

大田康湖

一蓮托生・プロローグ

 昭和22年7月5日、東京。

 東京大空襲で焼け野原になった下町も、少しずつ復興が進んでいた。あちこちにバラックと呼ばれる粗末な家が建ち並び、駅前ではヤミ市と呼ばれる非合法の市場に人々が群がっている。


 下町を流れる墨田川すみだがわ(現在の表記では『隅田川』)にかかる三連アーチのうまや橋。この橋の近くに21歳の姉、横澤よこざわかつらと14歳の弟、康史郎こうしろうが暮らすバラックがあった。裸電球の下がった室内では、白い半袖ブラウスに紺色のスカート、二つ縛りの三つ編み姿のかつらが、がま口に入ったお札を数えている。

「姉さん、今日の夕飯はどうするの」

 板張りの床で一升瓶に入った玄米を棒で突いている康史郎が尋ねた。伸びかけた坊主頭にランニングシャツ、膝に継ぎの当たった学生服のズボンを履いている。

「お昼のサツマイモがまだあるから、康ちゃんは先に済ましといて。私はこれから仕事だし、戸祭とまつりのおじさんにお店の残り物を分けてもらえるかもしれないわ」

 かつらはそう答えると、がま口をパチンと閉じて布製の肩掛けカバンに入れた。このカバンも肩ひもに継ぎ当てをして補強してある。

「それじゃ行ってくるわ」

「まだ早くない? 土曜なんだからもう少しゆっくりすればいいのに」

 見上げる康史郎に、かつらは優しく呼びかける。

「ちょっとヤミ市で買い物してからお店に行くから、留守番よろしくね」

 かつらはカバンを肩にかけると入り口のドアへと向かった。玄関には歯のすり減った下駄と、かかとの潰れたズック靴が置かれている。ズック靴を見ながらかつらは心でつぶやいた。

(康ちゃんのズック、新しいのを探してくるからね)

 かつらは履き古した足袋に下駄を引っかけ、心張り棒を外すと、雨戸を再利用したドアを開けて外に出た。


                   ○


 その頃、墨田川の下流にある総武そうぶ線の両国りょうごく駅前では、作業服に手提げカバンを持ち、眼鏡をかけた青年が映画館の上映案内ポスターの前で立ち止まっていた。

(『素晴らしき日曜日』か。給料も出たし、久しぶりに映画というのもいいな。でもその前に、今夜の飯をどうするかだ)

 青年はバラックの建ち並ぶヤミ市の通りを見る。

(あの時介抱してくれた娘さんのいる店、どこだったかな。探してみるか)


 青年こと京極きょうごくたかしと、娘こと横澤よこざわかつらの再会から始まる新たな物語の幕が、今まさに上がろうとしていた。

                         長編『泥中でいちゅうはすhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427499187961』に続く

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