見えざるものに敬意を。

鈴ノ木 鈴ノ子

みえざるものにけいいを。

報道特集〇〇●●


 東京、新宿近くのホテルの一室でその撮影は行われた。

 公共放送の報道に勤め、長年数多くのインタビューをこなして研鑽を積み、多少のことでは動じることのない松林アナウンサーでも、今回のインタビューを行うにあたって緊張の色を隠せないでいる。

 インタビューの相手は神々の系譜に連なる高貴なる方であり、先程まで仮祭壇を設えて神職による修祓が執り行われ、ホテルの一室でありながら、清々しく凛とした空気が漂っている。場の選定にあたっては、もっと良い所をご用意するつもりで先方へ宮内庁を通じて問い合わせの奏上を申し上げたが、賜ったお返事には一言、別に構わぬ。とだけ記されていた。


 今回のインタビューは40数年前に全国的に爆発的に広がりを見せ、日本中を恐怖に陥れたあの事件の話である。何度も取材を重ね、やがて、現代怪異の体系を形作る先駆けになるとは、あの時は双方が考えもしなかった。時を経て、あの事件の真相と、それに伴っての結末が明らかにされるのだろう。

 クルー達も松林もどことなく落ち着かず、ソワソワとしながら、相手がお越しになるのを待っていた。5分ほど過ぎた頃、ドアが規則正しい音でノックされる。ディレクターが神職が扉に駆け寄ると共に出迎えの儀式を済ませ、神殿の扉が開かれるようにホテルの出入り口のドアがゆっくりと開いた。

 

「お見えになられました」


 室内は静まり彼女達の足音のみが響くように耳に入ってくる。取材クルーと宮内庁から派遣された帯剣をして儀礼装束に身を包んだ皇宮警察官2名、そして重厚な紺のスーツ姿に身を包んだ松林もそれぞれの位置で、合わせたかのように一斉に彼女達に最敬礼の角度で腰を曲げて頭を下げた。

 彼女達2人内の1人、前を歩く従者の白拍子が主人の手を引きながら辺りを祓い清めるようにして歩き、やがてインタビュー用に用意したソファーにたどり着く。

 その主人がソファー腰を下ろして優雅にその身を沈ませると白拍子が一言告げた。


 「面を上げよ」


 澄んで響く声が室内へと響くと彼らは最敬礼を辞めて姿勢を正すように背筋を伸ばした。

 目の前には、白く美しいお髪に白無垢と見間違えるほど美しい着物、そして日本人形のように美しい顔立ちをした女性が腰掛けていた。天の羽衣をストールのようにかけて漂わせながら、周囲に陽の気を漂わせている。


「本日はお話を伺わせていただく機会を与えてくださいましたこと、心より感謝申し上げます」


 そう言って深々と頭を下げた松林を見て彼女は耳まで裂けている口元で笑みを溢して頷いた。


「気にせずとも良い、それより、妾はどこを見て話せば良いのか?」


「こちらに視線を頂けますか?」


 カメラマンの1人がそう言ってカメラを覗き込みながら伝えた直後、カメラのレンズがけたたましい音をさせて砕け散った。そしてカメラマンはがぐんと膝を突き白目を剥くと泡を吹き散らしながらその場に崩れ落ちその身を床の上へと落とした。

 お付きの白拍子が無礼千万と言わんばかりの怒り心頭した形相でカメラとそのカメラマンを激しく睨みつけている。

 神様や神様の類にに拝謁を賜る時は決して数人で話しかけてはならない、その時に相対してお言葉を頂く代表者のみが許されていることであることを忘れてしまうと、今のような事態になるのだという事を過去の経験を思い出しながら、久々に肌身に感じた松林は一層気を引き締め、腹に力を入れるように身を固めた。


「失礼を致しました。平にご容赦を願います」


 深く頭を下げてお詫びをする、機嫌を損ねてしまえば中止となり何らかの厄災を全員が頂くことになるだろう。


「お主のせいではなかろう、まあ、礼儀作法は弁える必要はあるかも知れんがの」


 そう言ってくすくすと笑いを漏らした彼女は再び同じ問いをすることなく、じっと松林に視線を向けた。


 「あちらのカメラへお姿を頂ければ幸いでございます」


 松林は心から詫びるともう一台のカメラを片手で示して案内した。それに満足したのか彼女は和かな笑みをさらに浮かべて、姿勢を少し動かしてカメラへとお姿を向けてくださった。


「白拍子、気になるのなら見に行ってもよいぞ」


 先ほど怒り心頭の形相であった白拍子は、彼女の声に頬を染めながら頷くと、撮影しているカメラマンの近くへと瞬く間に移動してカメラマン、松林と相棒のようにずっと付き合ってきた神崎の背中へともたれかかるかの様に面白そうに後ろからカメラを覗き込んでいた。

 泡を吹いた新人カメラマンと壊れたカメラは他のクルーによって部屋の外へと連れて行かれていく。隣には控えの間のようにもう一つ部屋が用意されていて御威光に当てられたものを休ませて回復させるために看護師が1名待機していた。

 向かい何度か味わったことのある松林は気にしながらも気にしないそぶりを見せてインタビューを始めたが、万が一、松林に何かあった時のために、アナウンス室から連れて来られた3年目の遠藤梨沙アナウンサーに至っては、顔を真っ青にして引き攣った表情を浮かべているのが視界の隅に入り思わず苦笑した。

 誰にも超常現象に近しい出来事には恐れ慄くものである。それは正しい素質で正しい行動なのだ。


「さて、それでは伺わせて頂いてもよろしいでしょうか?」


 松林がそう告げると彼女は頷き、そして、部屋の端に控えている皇宮警察官2名に目を向けた。


「構わぬが、そこの2人、内舎人うどねりであろう。恐れ多くもこのような場に2名も遣わされたこと、心より感謝申し上げるとお伝えくだされ」


 彼女は皇宮警察官に軽く首を下げながらそう述べると、彼ら2名は最敬礼を向けてそのお言葉を賜ったことを承知したと返答を返した。いかに世の中が変化していこうとも古代からこの御代まで脈々と受け継がれてきた伝統と文化は住まう空間が違うといえども変わることはない。

 照明のスポットライトが弱めに彼女へと当てられると白さがさらに際立ち、淡く輝いているようにも見える。三方を煌びやかな平安調の几帳で囲い、そしてお気に召されていると伺った香を焚いて室内を整え終えると、ディレクターが松林のインカムに撮影の準備が整ったことを告げた。


「では、始めさせていただきます。昭和54年に岐阜県で起こりました例の事件につきまして、ご存知で有らせられると伺いました。その件につきましてお言葉を賜れますでしょうか」


 そう質問をすると、彼女の顔が一瞬だけ引き攣ったのち、ゆっくりと息を吐き出してから重苦しそうに口を開いた。


「あれは迷惑をかけたと思うておる」


「状況をご存知なのでしょうか?」


「ああ、妾が直に尋ねての、経緯は委細承知しておる」


「ご下問されたということですか?」


「そうじゃ、あれは大変な不始末と予想外の出来事であった」


 昭和53年、岐阜県である事件が発生した。いわゆる「口裂け女事件」である。

 噂は瞬く間に伝播しそして全国的に多大なる被害を及ぼした。それとともに、こちら側の世界にとってもあちら側の世界にとっても未だかつて経験したことのない事態に見舞われたのである。


「対応策は取られたのでしょうか?」


「噂を知っての、そこの白拍子や他の眷属に調べるように申し伝えたのだが、あそこまで大きくなろうとは思うておらなかった」


「1年足らずの事件ではありましたが・・・」


「いや、あれは1年ではないのだ、今も続いておる、その者に会わせよう、これ、白木姫、入って参れ」


 彼女が手を叩くと室内へと白拍子姿の女性がしずしずと入ってきた。見惚れてしまうほどに美しく、その姿は天女のようにも思えるほどに清楚で、彼女とは大差ないように思えてしまうほどである。


「後はこの者に聞くと良い、白木姫、後は任せるぞ」


 そう言って彼女は姫に命じると、白拍子を伴ってその場から霞のように姿を消してしまった。神々は気まぐれなことも多いので、こう言うことはよくある。インタビュー対象が別に用意されただけでもありがたいことであるから、松林は内心ホッとしながら、白木姫と呼ばれた彼女へ席を勧めた。


「失礼致します」


 そう言って腰掛けた白木姫は深々と松林達に頭を下げると面を上げた。


「あれは私の不始末でございます。所用にて岐阜市内を転々としていたおりに、私の姿を目にすることのできる童らに気が付かなかったことが始まりでした。当時、今はそれほど気になりませぬが、自動車と呼ばれるものが数多く走るようになり、それに伴って禍事が多く起こるようになりました。それに私は気を病み、腹を立てておりましたので、それが表情にも出ておりましたのでしょう、蛇のように開く口元を歪めた私を見た童が噂を始めたのです」


 禍事とは交通事故のことである。

 あの当時、交通戦争、第二次交通戦争と呼ばれるほどに交通事故は数多く、それに伴い沢山の人命が失われている。神様の遣いが通る道は禍事や凶事を避けなければならず、往路ともに同じ道をたどらなければなければならぬはずが、禍事によって道は穢れ、そして、否応なく、道は変更せざるを得ない状況であった。

 御使としてはそれは悔しい思いであったのかもしれない。そして、禍事の当事者達の無念の思いに嘆き悲しんでいたのだろうと松林は感じた。事実、白木姫の顔には一筋の涙が頬を伝いポタリと着物の上へと落ちたのであった。


「その噂がやがて影を落とすことになるということでよろしいでしょうか?」


 松林は確信に迫るべくそのように尋ねた。


「その通りです。私の姿を噂したものの一部から、やがてそれは浮き出でると、人々の心によって大きく肥大化し、やがて、顕現したのです」


「神力の一部を持っていたと言うことにもなりますでしょうか?」


 噂の出元が神の御使であるならば、そのお力の一部を依代にして姿を現していてもおかしくはないだろうと松林は踏んだ。


「そこは、なんとも申し上げにくいところでございます。ですが、神力はあの者には宿ってはおらぬでしょう。敢えていうのでありますれば、それは人の恐怖心がより合わさった人力と言うものでありましょう」


「人が起こした力ということですか?」


「その通りでございます。人の力が合わさり、そして、あの街でついにそれは顕現したのでしょう」


「市内での目撃でございますね」


 有名な農家の老婆が目撃したという話である。老婆には小学生の孫がおりそこから噂話が漏れ出て、伝わりが最高潮に達したことにより、それはこちら側へと顕現したのだと推測されている。だが、一地方都市に噂話として発生した怪異であったことから、それほど神々も警戒をせず、妖怪と呼ばれる昔からの者達もそれほど警戒はしていなかった。いずれ消えてゆく淡い存在であると考えていたのだ。

 だが、ここから彼らを含めて予想外の出来事が起こり始める。


「ええ、まだ、いずれ消えゆく者であると踏んでおりましたが、新聞と週刊誌というものが、この話を全国へと媒介し始めた途端、それは各地に顕現し、そして流行し始めたのでございます」


 ある地方新聞社が報道したことが発端となり、週刊誌が全国にその話をばら撒いた。人々にその噂は流布され始めると、その姿はありとあらゆるところに顕現し始めた。全国のありとあらゆる場所にその姿は顕現し、そして、噂によって容姿は変化し、多種多様な姿へと変貌したのだ。


「あの当時は、誰しもが話題にしておりましたから、そのようなこともありましょう」


 松林が残念そうにそう言う。人の噂、何より、子供達の無垢な噂というものに言霊が宿るとこちら側へと顕現しやすくなることはこの事ですでに実証されてしまったのだ。


「ですが、数ヶ月で噂は沈静化致しましたね、それについてはどうお考えですか?」


「私どもは協議を重ね、各方面にご相談を申し上げました。その結果、言霊を食べてしまうことを思いついたのでございます。噂が出るたびに我々が言霊を食べて歩いたのです。ちょうど学校というもので夏休みという休み行事に入ったこともあり、公園で遊ぶ童らの噂話を聞いてはその言霊を食べてしまう。それによって言葉は力をなくし、急速に途絶えていくものであると考えておりました」


「ですが、そうはならなかったということでございますか?」


「その通りでございます。言霊はなくなったとしても、それは人々の記憶に忘れることなく残り続けました。やがて記憶が記録となる頃になりますと、その顕現した実態は一つの個となってこちら側にしっかりと根付いてしまったのです。今まででありましたら絶えていた物が、残る世界へと変貌を遂げた時とでも申しましょうか・・・」


「なるほど、そういうことでございましたか・・・」


 白木姫は途中で会話を切ると俯いてしまった。それを目の当たりにした松林も言葉につまり途中で話すことをやめた。


「あの噂より出たものは、外へと渡り、各地で流行を致しました。それは境界を越えることのなかったはずのものが、外へと漏れ出ゆきやすくなったということでもございましょう。それを私達は危惧しております」


白木姫はそう言いながら顔を上げるとカメラをじっと見つめた。


「どういうことでしょうか?」


「今の世を生きるあなた方は、知らぬうちにそれを見つけて話へと結びつけてしまうということでございます。そのカメラはもちろん、スマートフォンなるものや、パソコンなどによって、今まで見つけられることのなかった小さな者たちや噂たちが、些細なことから話題になりますでしょう。それは、決して良いことなどではありません」


「見つけれて良いことなのではないでしょうか?」


「いいえ、それは違います。畏怖されていたからこそ、本能的にそれを見つけてはならぬものと考えて、あえて、みてみぬふりをしておりましたあなた方の祖先にならうべきなのです」


「見えてはならぬものですか?」


「そうです、小さいが故に力を持たず、小さいが故に見過ごされたそれこそが正しいことにも拘らず、機械というものを通して見てしまうことによって、本来の恐怖心という備わったものが害され、噂として登り始めてしまう。それは力を得ることになり、こちら側の世界に多大なる影響を及ぼすのです。」


 切実な願のように白木姫はそう言った。その気持ちは松林にもよく理解できた。

 怪異を私たちは弄びすぎている。本来であれば忌避し関わらぬようにすべきものに、今の若い世代は平然と乗り込んでゆく。科学文明が発達した恩恵とでもいうのかもしれないが、それは同時に尊敬と崇敬の念を忘れさせ、時代の均衡を破壊しているのだ。


「どうすれば良いのでしょう」


「忌避すべきもの、そして、怪しきものには近づかぬように、心をしっかりと持ち、それに対して安易に歩み入れぬことでしょう、私の姿から端を発したとは申せ、この事は忘れてはなりません」


 恐怖を恐怖として感じるべきものが、エンターティナーとして確立されてしまった現代において、それは大変に危険な現象と言えよう。我々の科学技術が進歩したと言ってもそれは極一部にしか過ぎないのだ。軽んじたようにそこへと赴く者が多くなるこの世で、今一度、問うべき、大切なことなのだろう。

 松林はそんな結論に至った。


「今日はありがとうございました」


 深々と頭を下げると白木姫は一抹の寂しさと憂いを浮かべた笑みを見せて姿をゆっくりと消して消えていった。

 神職によって祝詞が奏上され室内が改めて清められてゆく、空気が澄んで凛としたとなったことを確かめてから、クルー達は機材を片付けて撤収準備に入り始めた。

 だが、松林はその場に立ちすくみ、先ほどの話を思い出して思わず身震いした。


 思い上がった人間達の怪異に襲われる姿を思い浮かべたのだ。


 そしてこう結論を導いた。


 怪異を遊びで行ってはならない。


 それを今一度、問い直す時が来たのではないだろうかと。


 


 

  

 

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見えざるものに敬意を。 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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