エピローグ

わたし、生まれた時からずっと家にいたんだ。よくはわかんないけど、役所への届け? とかそういうのしてなくて、外に出してもらえなかったんだ」


 家に閉じ込められて、父が好きで集めている漫画は読むことができて、テレビも見れたのですぐに自分がおかしいことはわかった。

 父も母もわたしのことが邪魔だったみたいだけど、家に置き続けた。わたしを手荒く扱ったり、気まぐれに優しくされたりもした。その落差が、わたしにあることを教えた。

 何も期待しないこと。何も考えないこと。

 全部わたしを通り過ぎていく何かと思えば、喜ばなくてもいいし悲しまなくてもいい。それを覚えてからは、生きるのが少し楽になった。

 それでも辛いことが全部なくなったわけじゃない。

 父はたまにわたしを外の買い物につれていくこともあった。いつかは外で生きていくんだからとか訳の分からないことを言って、わたしに買い物をさせたりもした。

 わたしは店員に「助けて」と小声で訴えた。店員は困り顔で父の姿を探して、父はそれに気づいてわたしを引っ張っていった。

 店員はもうわたしのことは見ていなくて、誰も助けてはくれないんだってわかった。

 神様を扱った漫画を読んだ。

 神様は弱い人を守り助けてくれるらしかった。でもそんなのはないってわたしはすぐにわかった。わたしは助けられてないから。

 でも、寝る前にこっそりと空想していた。わたしの中の神様は少し乱暴で、父と母とこの家を壊して助けてくれる。

 この空想は朝起きたときに現実に苦しむだけなのだけど、止められなかった。

 やっぱり、神様なんていないんだ。


「だからキミをカミって名付けたんだよ。キミが全部壊したのかはわからないけど」


 様をつけなかったのは、どうしてもそんな感じがしなかったからだ。

 間抜けで、鈍くて、変な踊りをして、すぐにお腹を空かせて。

 神様とは思えないけど、わたしが壊してほしいものを壊してくれるカミだって。


「わたし、名前もないんだ。おい、とかそんな感じで呼ばれてた。キミも名前ないけど、もうあるもんね」


 いいなぁと続けて、虚しくなって話すのを止めた。

 カミは聞いていない。潰した大人の人たちをもぐもぐしている。食べ物は飲み込むくせに、人はああやってから飲み込んでいる。骨とかが邪魔なのかな。

 少しぐらいなら壊してもいいって言ったけど、少しどころではなくショッピングモールは壊れていた。カミが壊しながら進んでいくのをなんだかなと言う思いで見ながら、ゆっくり追いかけてきたのだ。

 大人の人たちはちゃんと潰せたみたいだった。追いついたときにはもう食べてたから逃げたとしてもわからないけど。

 食べ物がある売り場は瓦礫でふさがれていた。どかすにはカミの力が必要だなと思って、適当に座ってカミの食事が終わるのを待つ。

 カミはごくんと飲み込むと、体を伏せて顔を真ん前に持ってきた。

 ……わたしは食べないよね?


「ナマエ」

「え?」


 いきなり変なことを言うので、普通に訊き返してしまった。


「ナマエ」

「うん、名前がどうかしたの?」


 まさか今更不満だって言うんだろうか。もうわたしの中では変えようがないぐらい馴染んでるんだけど。

 カミは指を一本、わたしに向けてきた。

 その意味を考えて、もしかしてとわたしも自分を指さす。


「わたしの名前のこと?」

「ソウ。ナマエナイノ?」

「う、うん……」


 わたしの話、聞こえていたんだ。

 なんとなく恥ずかしい気がして、顔が熱くなってきた。


「ツケテイイ?」

「キミが?」

「ウン、ツケテモラッタカラ、ツケタイ」

「――あはははははっ!!」


 すごくおかしくて、お腹を抱えて笑ってしまった。

 何がおかしかったんだろう、ただカミがそんなことを言い出したのがどうしようもなく面白かった。

 しばらく笑いこけて、涙まで出てきた目をぬぐう。

 笑いたい感じがまだ残っているけど、カミに向かって冷静に言う。


「いいよ、キミがわたしの名前つけて」

「ウン!」


 カミは嬉しそうに返事をした。また踊ったりはしないでよと思ったけど、大丈夫だったみたいだ。

 ちょっと楽しみにしながら待つ。カミは目を上に向けて考え込んでいた。

 実は、自分でつけた名前は何個かある。どれもしっくりこなくて、自分の名前という感じはしなかった。

 名前って、誰かにつけてもらわないとダメなのかもしれない。

 カミはかなり考えてた。わたしのわくわくがなくなってしまうぐらいの時間、考えてた。

 少しイライラしてきて、もういいよと言いそうになったところで、カミが「ア!」と大声を出した。


「ハナ!」

「………………もっかい言って」


 そう言ったのは、いきなりの大声で耳が痛かったからだ。

 カミは困ったような顔で、もう一度言った。


「ハナ」

「ハナっていうのが、わたしの名前?」


 こう言っちゃいけないのかもしれないけど、けっこう普通?

 カミはぷるぷると小さく首を振った。


「アソコデミタハナ、ニテル」

「ごめんよくわかんない。あそこ?」

「ナマエツケテモラッタトコロ」

「名前つけた……あ、公園?」

「ソウ」


 公園で見た花?


「そっか、あのオレンジの花のことだね」

「ウン、アレニニテル」

「似てる、かぁ……」


 そう言われても、ピンとは来ない。似てる、かなぁ。髪は黒いし、服は白いし。

 でも、そう言われてちょっといい気分だ。


「その花がわたしに似てるからって、どういうことなの?」

「ハナノナマエ、ツケタイ」

「花の名前……」


 あのオレンジの花の名前をわたしにつけるってことか。


「……ま、いいか」


 わたしは立ち上がって、カミの顔を撫でに行った。

 ざらざらしてて、あんまり気持ち良くない。けれど、カミっぽいといえばカミっぽい。


「あの花取りに行こう。で、ここで本を探して名前を調べよっか」


 わたしの言ったことをどこまで理解したのかはわからないけど、カミは「ワカッタ」と返事した。

 カミの手に乗って、ショッピングモールを出る。

 これからつけることになるわたしの名前は、いったいなんだろうな。


「楽しみだね、カミ!」

「ウン!」


 明らかに何もわかってないカミの返事に、わたしは揺られながらまた笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪獣の腕の中 朝霞肇 @asaka_hajime

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る