旧姓の名

 時間になった。

 二年の教室へ向かい、教壇に立つ。


 僕はまだ新任の教師。経験が浅いが、今は精一杯やるしかない。


「……」


 当然ながら、砂夜の視線を感じた。見てるな、こっちを。

 僕は冷静にホームルームを進めていく。そして授業を淡々と。


 一限目、二限目……と、授業が終わり――昼休み。


 廊下に出ると、砂夜が話しかけてきた。


「先生、待ってよ」

「砂夜。一緒にいると誤解されるぞ」

「へーきへーき。先生のお手伝いをすれば、それっぽく見えるでしょ」


 僕からプリントを奪う砂夜。

 なるほど、こうすれば手伝っているように見えなくも……ないのか?


 いいか、少なくとも砂夜は俺のクラスの生徒なのだから。


「砂夜、昼ごはんはどうする?」

「もちろん、先生と一緒がいい。人気の少ない体育館裏でも行こ」

「そんなところに居たのがバレたら、大変だって」

「大丈夫だって」


 いやいや、そういう場所こそ一発アウトだ。僕が砂夜を連れ込んだみたいになるし。


「そうだ。生徒会室ならどうだ? 生徒会長の田村さんから相談を受けていてね」

「せ、生徒会長の田村さん? あの三年の女子よね」


 表情を曇らせる砂夜は、不安と怒りを交じり合わせていた。……い、嫌な予感!


「他の先生は相談し辛いからと、僕を頼ってきたんだ。仕方ないだろ」

「むぅ。先生、その田村さんとまさか二人きりで話したりなんて……」


「数回だけね」


「せ、先生のクセに生意気! わたし以外の女の子と話すとかさ」

「いやいや、普通だって」


 そんな会話をしながらも、生徒会室に到着した。僕は扉をノックした。中から『どうぞ』と声がしたので扉を開いた。


 すると、パイプ椅子に腰かける田村さんがいた。栗色のセミロング、ぱっちりとした瞳で俺を映し出す。


「いらっしゃいませ、かわ先生」

「どうも、田村さん」

「おや、今日は珍しいお客さんもいるようですね」

「ああ、こっちの小さいのは僕のクラスの生徒でね」


 紹介しようとすると、砂夜はなんだかピリピリしていた。敵対心あり気な表情だな。


「わたしは砂夜。桜木 砂夜です。よろしくお願いします。生徒会長さん」


 砂夜は、学校では旧姓を使っている。

 一応、俺と同じ“樋川ひかわ”の姓になってはいるんだがな。一応、バレないよう気を使ってくれているらしい。


「そう、よろしくね、桜木さん」


 生徒会室に入るや、砂夜のピリピリは更に加速したような――気がする。後々が怖いな。



「生徒会長は、ここでお昼ですか?」

「いつも生徒会室でお弁当を食べてる。そういう桜木さんは……なんで先生と一緒なの?」


「そ、それは」


 僕の方を伺いつつも、砂夜は言葉に悩んでいた。あんまり余計なことは言って欲しくない。いざとなれば、うまく誤魔化すしかないな。


「言えないようなこと?」

「そ、そうではないです。先生は、わたしのクラスの担任だから……ただ、手伝っているだけ。で、その、暇なら一緒にお昼をどうかなって誘ったの」


「へえ……」


 うわぁ、なんだろう、この気まずい空気。僕はどうすればいいんだ!?

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