原罪酒
蒼井どんぐり
原罪酒
その年、人類史上初めて ”酒” が被告として法廷に立った。
彼らの人類への影響、そして彼らの性質に故意があったのか、それを問いただすためだ。
「原告、酒…で良いのでしょうか?」
今回の法廷で検事を務める彼が困惑するのも無理はない。
まだ酒を一種の生物、また人間でいう”人権”を伴って接するのは慣れていないからだ。
「それで良い。私たちはたくさんの種類が存在しているが、共同体として共通の意識を保持している」
証言台に立つのは、この国に合わせてか、一升瓶の姿をしている。
中身はおそらく日本酒だろうか。
その一生瓶に向かって立てられたマイクから、胸が焼けるような重低音で声が響く。とても渋い味わいだ。
「人類が私たちを”酒”と呼称していることは知っている。それで良い」
紳士然とした口調で検事を
ただ、それも普段から口にする、あの酒が発して喋っていると思うと、不思議さを越え、笑えてくる。
クスクス、と小さな笑い声が満席の傍聴席からも上がった。
「わかりました。それでは被告、酒。本日はあなた方に詰問をさせていただきたく、出廷いただきました。まずは、今回の背景から話させておいただければと」
そう言って、検事が見栄を切ってこの法廷で問われる、罪について、話し始めた。
「ここに集まりの皆さんもご存知の通り、アルコール飲料、呼称 "酒"、に意思疎通ができることが発覚して半年。あなた方をどう扱うか常に議論されてきました」
* * *
この、人類史上最も奇妙な法廷が開かれる原因となったのはある珍妙な学者の発見が原因だった。
研究一筋で家族を顧みなかったその学者は、ある日家族に逃げられた。
そして、酒に逃げ、常に泥酔し続けた彼は、孤独を紛らわすため新しい研究に没頭することにした。
もちろん、大好きな酒の、だ。
しかも、孤独を紛らわせるため、酒に喋りかける。「酒との意識疏通」を図るという研究。
誰もがその学者のことをおかしくなったものだ、と馬鹿にした。
だが、その馬鹿な行動がまさかの結果に結実するとは誰も思いもよらなかった。
そして半年前。学者は小さな学会の発表で、彼の「話し友達」を紹介した。
「なんと人類が再び私たちに意思を求めるとは。改めまして人類の皆さん、ご愛飲していただき、誠にありがとう」
彼が持つ、ビーカーに入った安物のビールが、マイクから言葉を発した。
学者が言うには「心の底から酒に酔い、彼ら酒を必要とした果てに、こうして意思疎通ができるようになった」という。
それが酒に意識があることを人類が自覚した瞬間だった。
それと同時に、人々はその酒に対してある疑念を抱くことになる。
* * *
「あなた方、酒、に意識があるということから、私たち人類も一つ、確認したいことが出てきました。それは、あなた方の性質、いわゆる"酔い"と呼ばれる状態になることですが、これが意図的な行為なのかどうかです」
そう検事は宣言し、証言台の上の一升瓶に告げる。
酒の効力は強い。この世の中では誰だってその脅威をわかっている。すぐ人を酔わす。その強力な力。その結果、様々な人々が犯してきた罪。
酒に意識があるとわかった時、人々はその酔いの責任を転嫁しようとしていた。
「なるほど、そんなことか。意図的かどうか、で言えば意図して私たちはこの性質を有し、人を魅了している、と言える」
再び、重低音の声が法廷に響く。
その言葉を聞いた傍聴席の人々は、どこか安寧を覚えた。
やはり、罪は酔って間違いを犯す私たち人類ではなく、酔わせる彼ら"酒"が悪いのだと。
「なあ、あんたら酒のせいで、俺の人生めちゃくちゃになっちまってんだよ!」
突然、傍聴席から男が叫び声を上げた。
立ち上がったその男は、ボロボロのジャンバーを着込み、顔は黒ずんでいる。やつれた姿の男は、泣き腫らした目を一升瓶に見据えている。
「あんたたちが美味いから。あんたたちが惑わすから、俺は、俺は、彼女に捨てられちまったぁ!!」
その男は悲劇のヒロインのように泣き叫ぶ。
その滑稽な姿に、同調はできなくとも共感はできる、と、その場にいた人々はそう感じただろう。誰だって知っている。そう、酒は、人を壊す。
「そうよ、あなたたちのせいよ! 私の夫も酒に溺れて…」
「うちの息子もずっと酒を飲んで働こうとしないの…。全部、酒のせいなの!」
男の叫びで火がついたのか、傍聴席からは次々と立ち上がり、被告となる酒を指差し、非難する罵詈雑言が飛ぶ。酒に人生を振り回された人々。傍聴席に集まっていたのはその被害者の会なのだろうか。その姿は滑稽でもあり、必死でもあり、皮肉だがある種の酔った時の勢いさえも感じられる。
もちろん、皆、
「ふむ、なるほど。人類のみなさんはそのように捉えるか」
罵詈雑言を浴びながら、酒は一言、小声を発した。
「ただ、一言言わせていただければ、私たちの持つこの性質は、そもそも、あなた方人類が求めたことなのだよ」
その一言で一気に傍聴席が静かになった。
今、この罪の塊の液体はなんと言ったか。
「とすると、あなた方の性質は意図があったものというのですか?」
騒がしかったり静かだったりと忙しい傍聴席とは違い、常に冷静でいた検事が踏み出し、酒に対して今一度、言葉の真意を問う。
「ええ、それはあなた方人類が望んだことです」
「つまり、どういうことです?」
ただ一人、この場の酔いに囚われず、真実を探ろうと検事が言葉を続けた瞬間、
「ああ、どう言うことだよ!」「説明しなさいよ!」「そりゃ飲まれるだけのあんたたちなんて、なんとでも言えるわね!」「だったら、今お前を飲んで証明してやるぜ!」「なんでもいいから酒を、酒を飲ませてくれぇ!」
傍聴席はそんな言葉を一気にかき消すように怒り狂う。
どこぞの忘年会明けの酔っ払いどものように、これはもう手がつけられない、と検事や裁判官が呆れさを感じた時、
「何一つ、あなた方は理解していないのだな」
そう言って一升瓶は声を発し、突如震え出した。慌ただしいこの空間に小さな割れる音響く。
一升瓶は割れ、証言台にはただ、一級の酒が滴り落ちているだけとなった。
その日を境に、世界中のあらゆる酒という酒が全て姿を消した。
酒が入った瓶、缶、樽。あらゆるものが突如破裂し、酒は地面へと還っていく。
人々の罪を全て背負い、この世から消えるように。
酒は全て、自殺をしたのだ。
* * *
世界から酒がなくなってから数週間。それからどうしたわけか、酒がどうしても作ることができなくなった。というよりも、作れても、飲んでも、酔えないのだ。不思議なことに。
毎日のように疲れて働く人々。その人々が週末に酒を飲んで、鬱憤を晴らすこともできない。忘れることもできない。
毎日暮らす中で、日々積もる不満は忘れることなく、ただ記憶と心に蓄積していく。
全ての元凶、罪の矛先として絶好の対象でもあった"酒"。責任を被せ、そして飲み下す対象がなくなった人々は、ついにその矛先を目の前の人々に向けた。
「おい、お前酔っているのか? なあそうだろ?」
「あぁ? それはお前だろうがぁ!」
始まりは小さないざこざだったが、その争いでの敗者がまたその不満を晴らすために、さらに新たな争いが生まれる。
日常の小さな争いから始まり、次第に大きくなり。人々を争いという雰囲気で包み込み始めた。いわゆる、雰囲気酔い、その空気に身を委ね始めた。
徐々にその空気は各地区で小さな戦争を起こすまでになった。
人々は進化の果てに培ってきた理性と文明を忘れてしまったかのように、原始的な争いを繰り広げる時代へと、遡っていった。
* * *
日本の某所。
県同士で争い、もうなぜ相手に対してそんな怒りや、罪を追求するかもわからなくなった頃。
一帯を指揮するある司令官は、テントの中で生気のない目でずっと手に持ったコップを睨んでいた。その中身は微かな、汚れた水だけが浮かぶ。
そんな彼の前に、久方ぶりに彼らが姿を表した。
そう。一升瓶の姿を纏った、日本酒。そう。酒だ。
「へえ、随分と久しぶりじゃないか。罪の飲料さん」
やつれた指揮官はカラカラに乾いたマグカップの中身をゆらゆらと揺らしながら問う。争う中で水も、食料も取り合った結果、生活に必要なものも荒れ果てた。
この汚れた水も、貴重な水分だった。
「あなた方は思い出しただろうか?」
「一体何の話だい?」
「あなた方の原罪を」
そう言葉を発する酒の言葉に、どことなく久しぶりに惑わさせる匂いを指揮官は感じた。もう数年、浸っていない、あの高揚感。
「難しいことはわからないが、あんたたちは俺たちを罰したいのか?」
「そうではない」
胸焼けのするような重低音の声がさらに指揮官の心を掴む。
次第に目の前も揺らぎ、平衡感覚を失うようだった。
「あなた方が自らの罪を理解し、その上で再び私たちを必要とするか、それを確かめにきたのだ」
そうして、目の前の酒は再び人類に問う。
「あなた方は、私たちに何を望むか」
「なんだかわからないけれど、もう俺たちは疲れた。人類だとか、戦争だとか、もうどうでもいい。だからそうだな、もう、酔って忘れさせてくれ」
そうして、指揮官は抑えられない欲望のまま、目の前の一升瓶を掴み上げ、ラッパ飲みした。
* * *
その日、全世界に再び酒が姿を表した。
ビールにワイン、いも焼酎。色とりどりのカクテルが踊り、地方産の日本酒も勢揃い。瓶に入っているものが出てきたと思えば、地面からも湧き出る。
目の前のあらゆる水分がアルコールを含んだものとなった。
それを前に、争っていた人々は目の前の人を攻撃をすることやめ、ひたすらに浴びた。アルコールを。酒を。時間を忘れる、この至高の飲み物たちを。
戦争は一気に祭りへと姿を変え、人々は飲み飲ませ飲まれの嵐に包まれた。
その様相は世界中の飲み会と言っていいほどだ。
そうして人々は三日三晩、酒を煽り続けたが、それでもそれでも酒は沸き上がる。
周りを埋め尽くす酔った人々の群れと酒。
人々は文字通り、酒に溺れた。
世界がアルコールに浸水してから七日。
人々は次々と目を覚まし始めた。頭の痛さを我慢して、振り返ると、自分たちがなぜこの場所に立っているかということさえ思い出せずにいた。
人類は二日酔いになり、犯した罪を再び忘れてしまった。
<了>
原罪酒 蒼井どんぐり @kiyossy
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