第4話 さびしいこと

 年を取ることの怖さは、誰かの記憶の中のわたしが今まさに薄れていくこと、今のわたしが今ここにいることを覚えていてくれる人がいつかはいなくなるということだ。自分もごく普通の大人の顔をして外を歩いているのだ、とやっと自覚したのはここ一年のどこかの時点。こんなにも子供時代のことを覚えているのに、不思議だ。思い出すというより、昨日食べたもののカロリーを計算してみる時くらいの現実味を伴って覚えているのに。わたしが「おば(じ)さん」と思っている年齢の人も、もしかしたら同じような心地で何十年も前の出来事を話してくれるのかもしれない。それは口から出た途端たちまち古びた響きに変わり、わたしの耳は勝手にいい味の昔話として受信してしまう。どんなに「覚えている」としても、どんなに言葉を尽くしても、言葉を尽くすほど、年長者の昔話以外の何物にもならないのだ。

 子供のころは三十歳の人でも「おばちゃん」だった。わたしは三十歳になっても、四十歳になっても、きっと昔話をたくさんしてしまうと思う。あの時あの場所に、あの時のわたしがいたのだと思い出してほしくて。伝えたくて。信じてほしくて。

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永久回り道 とかち さわ @sawatokati

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