第2話 無我で

 何か書かなければ、という焦りと、黙れこの野郎、何も言うな、というまた別の焦りの狭間で今日も文字を「読む」。漫画でも小説でもなんでもいい。読んでさえいれば、完全な沈黙を避けながら何も言わずに済む。

 何を書かなければいけないのか。なぜ黙らせたいのか。自分が自分であるというだけでこうも苦しいのはなぜか。朝も夜も一人でいると、油粘土の塊のような自意識が私の人生をかけがえのないものにせんと襲いかかり、重い。こんなにも過保護にして肥えさせてきたのは紛れもなく私自身なのである。

 書き出したい心の膿や幻はぼんやりと見えているはずだが、いざ目を凝らして言葉を探そうとすると何もない。嘘偽りない言葉が簡単に見つかれば人生もっと楽だと心底思う。以前は独りよがりのポエムっぽい小説やその他の創作物を見かけると軽蔑気味に苛立っていたけれど、他人には薄ら寒く思われようととりあえず自分を納得させる言葉がある事は本当に羨ましい。

 数年前から(たぶん三島由紀夫著「金閣寺」の一節を発端にして)ひとつ仮設がある。驚くべきことに、実は書くほどの「独自の自分」など一欠けらもない可能性がある。他人と自分の二語を分けるものは、このどうにも吐き出せない油粘土…。しかし一連の「自分問題」において、独自性の否定はある意味画期的な発明ではないだろうか。もう半信半疑の自分らしさにかまわなくていい。

 問題と答えというのは長い時間をかけて、同時に近づいていくものかもしれない。今、傍に問題も答えもはっきりとはなく、何も書けない。どちらも遠くにある。たぶん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る