経験と努力~和田公孝のミステリー~

「英語のクラス分けテスト返却するぞー、出席番号順に取りに来い」


帰り学活の前に担任の教師が事務的に試験用紙を返却し始めた。

縦高では高校一年生から英語は個人のレベルに応じたクラス分けが為される。

和田は当分呼ばれないが、自分の答案が返却されるのを待ち構えていた。


「和田ー、残念惜しかったな」

「え、満点だと思ったのにな」

「満点ではないです」


和田公孝と記名された下に99点と採点欄にあった。

どこを間違えたのかと目を皿にして追っていくと、後半の長文問題で「ここはカンマが入ります」とコメントされた上で△-1という採点になっていた。

和田は納得した。それに、目的である英語クラスのレベルはしっかり「AA 特進クラス」と書かれていた。

外部進学するなら特進クラスに入れていなければ話にならない。もっとも自習して巻き返すことは不可能ではないが非効率だ。


「定期試験じゃないから参考記録だけど、一応最高点と中間点書いておくぞー」


担任はもったりと手を動かすと黒板に「中間点 78点 最高点 99点」と書いた。

なんだ、じゃあ学年トップじゃん。


「えー! 99点取った奴誰だよ」

「和田ー、お前さっき満点ないって言われてたよな!」

「そうなの? 和田何点?」


クラスメートが騒ぎ出した。仕方ないなあ、と和田は声には出さなかったが態度に出ていた。短髪をかき混ぜるように頭を掻いた。


「俺だよ。99点」

「うーわほらやっぱなー!」

「柔道部入ったっていうから油断してたわ」

「油断って何だよ。俺が勉強してようとしてまいとお前の成績には関係ないだろ」

「そりゃそうだけどさあ、俺たち側になったのかなってちょっと期待したのに!」

「すんなよそんな期待。絶対そうならないから」

「うわうっぜえ! あとで関係代名詞のところ教えろよ」

「あいよ」


和田はあっという間に注目の的だった。

大学受験をしないとしても、成績がいいに越したことはない。必然、成績のいい者には羨望と尊敬のまなざしがそれなりに向けられる。中学時代から常に成績で学年最上位群に位置している和田にとってはそのまなざしも慣れたものだった。

くわえて和田は喋ればそれなりに親しみやすい人間だ。高校での部活選びこそかなり慎重に慎重を重ねていたものの、学校行事には楽しく参加するし、中学吹奏楽部で培った人間関係もあった。

そう、実は和田、それなりに青春をエンジョイできてしまうスペックの持ち主だったのである。それも、かなりイージーモードで。



***



――なのに何故!


和田は格技場に伸びていた。畳の上ではない。エバーマットの上だ。

たった今、投げ込み練習が終わったところだった。投げ込みはその名前の通り実戦形式の乱取りとは違い、事前に取り決めた技で相手を投げる稽古だ。休みなく投げるため、投げるほうも投げられるほうもそれなりにハードな練習である。


「五分休憩。そのあと乱取りなー、今日は四分十本。和田は見学」


これだ。

和田は返事をしながらも奥歯を噛み締めていた。

同時期に入部した一年生のうち、和田だけがまだ乱取りへの参加を許可されていないのだ。


早瀬についてはいい、と和田は思った。早瀬わたるは同じ一年生だが、柔道歴は上級生まで含めても一番長い。その上級生たちはわたるの乱取りを見て首をかしげながら何か言っている時もあるが、少なくとも初心者の和田自身から見ても経験者であることが一目で見て取れるのがわたるだった。

問題は石島だ。石島は自分と同じ初心者のはずなのに今週から乱取りに参加しているのである。それも――こんなこと積極的に言いたいことではないが――石島は女子なのだ。


――何故初心者の女子がもう乱取りに参加できるのに、俺は――


「あの、清沢さん」


部活が終わった後、和田は澄に声をかけた。


「おう、なんだ」

「あの、俺いつまで乱取り見学なんですか?」

「ん? 見学が嫌ならその間チューブ練とかでもいいぞ」

「そうじゃなくて」


澄は和田の言わんとしていることが分からないほど鈍い人間ではない。

分かっていて見当違いの返事をしているのだ。和田は澄のこういうところが本当に憎たらしいと思っていた。


「乱取り、俺はいつになったら参加できるんですかって訊いてんだよ」

「わ、タメ口。怒ってんじゃん」

「怒ってなかった。あんたがそういう態度取るまでは」

「そうだな。で、質問だけど、いつになったらという問いの立て方をされると回答のしようがない」


和田は質問の定義を考えた。

5W1H。「いつ」が駄目なら――


「俺には何か欠点があって、その欠点が改善されないといつまでたっても乱取りには参加できない……そういうことですか」

「よくできました」

「なんすかそれ。もう受け身取れるし、危ないことないでしょ」

「危ないことないでしょって思ってるときが一番危ないんだよ」

「慢心してるって言いたいんすか」

「それはお前がそう思うならそうとしか言えないな。てっきり俺はお前が乱取りに入れない理由をちゃんと分かっているもんだと思っていたからちょっと拍子抜けしたわ」

「何だと?」


和田が食って掛かりそうになったとき、澄が足を止めた。学生寮と最寄り駅の分かれ道だった。


「危ないこと、あるんだよ。お前はデカいからな」


とりあえずそれだけ言っておくわ、と澄は踵を返し学生寮のほうへ歩き去って行った。

デカいから危ない? かかる負荷が違うとかそういう話か?

和田は中学時代本格的に筋力トレーニングまで取り入れる吹奏楽部に所属していたおかげで体力には申し分なかった。体躯だって丈夫に生んでくれた両親に感謝といったところだ。

けれども決定的に欠けていたものがある。



***



「どうしたの、澄」


その日の夜、午後十時。

澄は景の寮室を訪れていた。


「率直に訊くんだけど、和田どう?」

「え、どうって」


澄の質問に景は少し戸惑っていた。


「乱取りに入れて平気だと思う?」

「あー、うん、なるほどね、そういう……」


うーん、とりあえずドア閉めて、という景の一言でようやく澄は玄関での立ち話をやめて景の居室に上がった。


「それこそ率直に言うと、正直怪我が怖いよね」

「だよなあ」

「綺麗な状態で受け身を取ったり投げたりするのと違うもんね、乱取りだと」

「そうなんだよ。そりゃ普通にやってたって怪我の一つや二つするもんだけど、アイツの場合しなくていい怪我絶対にするんだよ」


澄はため息交じりに言った。

澄が怪我について人一倍敏感であることと、その理由を知っている景は、澄の言葉を引き継ぐように言った。


「パワーもウェイトもあるのに運動経験がないからね……体育の授業とかどうしてたんだろ」

「ただ走るとか、ただ蹴る、投げるとかはできるらしいんだよな。先生に頼んで中学の成績表見せてもらったんだけど、5段階で4取ってるから壊滅的にできないわけじゃないみたいだし」

「よく先生が許可したね。どうやったの」

「……」

「言えないんだ……」


そう、和田にはまだ自覚できていない、決定的に欠けているものがあった。

それはコンタクトスポーツ――否、それ以前の――全身運動の経験だった。

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32帖のアカデメイア 宮本晴樹 @LR839

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