新入生勧誘・完

「……まだ間に合いますか、入部」


格技場の入り口で、記入済みの入部届を握り締めた早瀬わたるが息を切らしながらそう言った。


「わたる!」


景が嬉しそうに呼びかける声で、澄ははっとした。


「滑り込みだな。ほら」


澄はわたるの入部届を受け取るべく、掌を差し出した。くしゃくしゃの入部届が手渡される。


「それと」


わたるが口を開いた。まだ何かあるというのか。


「先日は、外部練習の途中で帰ってしまってすみませんでした」

「……ああ、こちらも引き留めるべきだった。途中で居なくなって何かあったら責任取れないしな。今後は二度とやるなよ」

「はい」


そして、わたるも車座に加わった。六人になった。

澄が改めて話しはじめた。


「というわけでなんとびっくり、上級生と同じ人数の一年生が入ったわけだ。今年度の終わりも無事同じ人数揃って迎えたい。よろしく頼む」

「はい」

「初心者の指導は俺と景で交代で務める予定だけど、経験者のわたるもサポートしてくれ」

「了解しました」

「それと、一年生の最初の目標は六月の区民大会だ。部門は分かれるけど小学生から一般まで山下区の柔道選手が出てくる。逆に言うと初心者も出やすい大会だし、ここで試合に出る経験を積んでくれ。もちろん勝ちに行くつもりでいてくれよ」


和田と石島は真剣な顔で頷いていた。顔を見ただけでこの二人は勝ち気なのだろうとわたるは思った。

わたるはといえば、山下区ではないけれど、地元の区民大会に小学生の頃に出場経験があるのでイメージは掴めていた。たしかに初心者でも出やすい大会である。


――あれ? 僕、区民大会で中学生の澄さん見たんじゃなかったっけ? 


「わたる、聞いてるか?」

「え、あ、はい」

「お前は経験者なんだから区民大会では初心者二人をリードしてくれよ」

「……リードとは」

「景気よくガンガン勝ってくれってことだよ」


わたるの目があからさまに泳いだ。


「ぜ、善処します」

「言っておくけどな、わたる」


澄はわたるに向き直って言った。


「お前が自分の意志で入部したからには数合わせだから負けてもいいなんて言わない。お前に勝ちを期待するからな」

「……はい」


わたるの声はそう言うしかなかったから仕方なく、というものではなくて、自らの意志を表明するかのように格技場の空気を支配してから澄の耳に届いた。

きっと、どうせ弱ったように渋々返事をするのだろうと思っていた澄は面食らった。

この数日で何かあったのか。


「澄の言うとおりだよ、わたる」


景が澄の肩に馴れ馴れしく(実際に馴れ馴れしい間柄なのだが)腕を回して言った。


「今年は団体戦にも出られるからね。経験者として当然勝ち星取っていかないと」

「は?」


声を上げたのはわたるではなく景に肩を組まれている澄だった。


「え、何? 団体戦?」

「うん。だって男子五人揃ったでしょ? 出られるよ」

「揃ってないだろ」

「揃ってるよ、澄が試合に出れば」

「出ないよ」

「出るよ。出すよ。どうして僕が今年新入生の勧誘頑張ったと思ってるの?」

「……部の存続の危機だからでは」

「それもそうだけど、澄を試合に出すためだよ」


景は澄の顔を覗き込む。景の視線から逃れようと澄は顔をそむけるが、肩をがっちり組まれたままなので逃げようがなかった。


「数合わせでいいから出てよ」

「嫌だ」

「うん、僕も嫌だ。本音を言えばちゃんと勝ちに来てほしい」

「そういう意味じゃない」

「まあ、そういうわけで今年は出られる限り団体戦もエントリーしようと思う。一年生もいきなりレギュラーだよ! やったね二人とも!」


と、笑顔で一年生に話しかけた後、澄の耳元で景は囁いた。


「せっかく入部してくれた一年生のがっかりする顔、見たくなくない?」

「……お前、この前の聞こえてたのかよ」

「聞こえてたよ。ちょうど今の和田くんたちみたいにね」


その和田をはじめとする一年生たちは、ほとんど頬が触れあうようにして喧嘩を続ける三年生を目にして、一体自分たちは何を見せられているのだろうか、と思案していた。祥太郎にとってはこの一年でそれなりに見慣れた光景であった。

澄はようやく首に回されている腕を抜いた。


「分かったから! いや、分かったっていうのは試合に出ることを約束できるわけじゃなくて、とりあえずお前の要求は理解したから」

「そうだね、久々の実戦だから調整も必要だろうし。出来るだけ長く戦えるように頑張ろうね」

「頑張るのは俺とお前だけじゃなくてさ」

「もちろんだよ」


景は部員の方へ向き直った。


「とにかく、少しでも多く実戦を楽しんでほしい。石島さんも、どの大会もほとんど女子の個人戦がセットであるから、嫌じゃなければそっちに出てほしい」


石島は急に話しかけられて面食らったが、すぐに「はい」と答えた。


「そして、たくさん楽しむには強くなる必要があるんだ。毎日ちゃんと稽古して、試合で一つでも多く勝てるようにね」


景は視界の端で、わたるの顔が曇ったのを見逃さなかった。けれど、特別わたるに声をかけることはなかった。景の演説がそこで終わったのを見越して、澄が残りを引き取った。


「じゃあ、明日からよろしくな。いきなり土曜練からになるけど、とりあえず明日は九時開始の午前終わりの予定だからそのつもりで。道着ある奴は持ってこい」


解散! お疲れさまでした!


下級生たちがぞろぞろと引き上げ、ある者は自宅に、ある者は学生寮に帰っていくのを見送りながら澄と景は格技場に残っていた。これから二人で入部届を職員室に提出に行くのだ。


「おい、何なんだこれ」

「何が?」

「入部理由、見てみろ」

「……あー、これもしかしたら僕のせいかも」

「お前……」


澄は景のほうをじっとりと睨んだが、景はからりと笑いながら謝るだけだった。

景はそういうところがある。澄は自他共に認める頭脳派で、和田を勧誘したときのような情報戦や挑発は得意だが、景のように他人の事情や心に踏み込んでお節介を焼いたりはしない。できない。今回は澄が犯したミスを景のお節介でフォローされた形になったので、澄も睨む以上のことはしなかった。

それは、それとして。


――こいつが一番厄介かもしれんぞ。


縦浜たてはま学院大学附属高校柔道部部長、清沢澄きよさわすみは険しい顔で一枚の――早瀬わたるの入部届を見つめていた。



***



【部外秘・縦高柔道部データベース】

一年二組 早瀬わたる(はやせ-)

身長175センチ、体重70キロ

藤崎市立青葉中出身、柔道経験者(歴九年)

入部理由 柔道を好きであること/あるいは好きでないことを証明するため

【文責・清沢澄】



***



@BONUS TRACK



新入生の早瀬わたるを仮入部期間にも関わらず強化練習会に引っ張り出してきた日、午後の練習試合に案の定澄は出なかった。

そう、景から見ればそれは案の定な出来事だった。


――一年生の手前、練習試合くらい出るかと思ったけどなあ。


怪訝な顔で首をかしげながら試合場に戻っていったわたると祥太郎の背中を見つめながら、つい今しがた試合には出ずベンチに居座ることを宣言した澄の隣に景も腰を下ろした。


「別に隠すことじゃないじゃない。言えば?」

「試合に出ない理由を? なんて言うんだ、怪我だとでも?」

「違うでしょ。怪我を負った時ので試合と名前のつくものには出ない、でしょ」

「……それは隠すべきことだろうが」

「だったら試合に出るべきだよ。中途半端なことをするよね、澄は」

「お前は本当に容赦がない」

「ここまで言っても動かない相手にはそりゃ容赦もなくなるよ」


景はベンチから立ち上がると大きく伸びをした。軽量級の景は試合が始まれば出番はすぐだ。


「まあ、見ててよ」

「もちろん」


試合のことだと思った澄はそう答えた。


「あー、そっちじゃなくて」

「何が」

「奸計をめぐらすのは澄の専売特許じゃないってこと」


じゃあ、行ってきます、とのんびりした口調で言いながら景は試合場へ戻っていった。


「あいつ、何を言ってるんだ?」


澄はベンチで一人、眉根を寄せていた。

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