めへ

気付くと私は、真っ暗闇の中にいた。

どこなのか分からない。周囲を見回すと、一メートル程離れた所から僅かに光が縦にもれているのが見えたので、そこへ走り寄ってみたらまるで襖が少し開いている様な隙間だった。

用心深く隙間を覗くと、そこは電灯に照らされた一室で下の方にテーブルがある。

テーブルの前には椅子があり、席に着いているのは蟹だった。

食卓で見る、茹でられた橙色の蟹ではなく赤茶色のゴツゴツとした殻をしており、小さな目はたまに瞬きをしている。普段私が手足と呼んでいるハサミや触覚の様なそれはユラユラと動いていた。

つまり、その蟹は生きていた。


蟹が席に着いている事以上に私を驚愕させたのは、テーブルにのせられた真っ白な皿の上のものである。

それは人間のように見えた。もっと言うと死体だった。死体に違いない。この様な状態で人間が生きていられるはずがない。死体でなければあまりに残酷だ。

その死体は蟹と比べるとかなり小さく、まるで人間と蟹が逆になったような大きさだった。

胴体はまるで蓋を開けた様に綺麗に上表面が剥がされており、内臓が丸見えだった。肺や心臓等が綺麗に並んでいる。胃や腸、膀胱などから排泄物が処理されているのか糞便の臭いは漂ってこない。

そしてこれだけ切り刻まれているにも関わらず、血が流れていなかった。これも既に処理されたのだろう。

頭は脳が丸出しの状態で、そのすぐ下には傷一つ無い顔があった。もはやこうなると男女の区別もつかないが、その死体は確実に女だった。

なぜなら丸見えの内臓と共に胎児の遺体もあったからだ。おそらく9ヶ月かそれくらいと思われる、胎児と判別可能な姿をしたその子は内臓と共に綺麗に納まっていた。

死体の手足は胴体から切り離され、これもまた表面が綺麗に剥がされ血抜きしたであろう肉が丸見えだった。


蟹はまず、死体の手と思われるそれをハサミの様な体の一部で器用に掴んだ。

そしてもう一方のハサミで掴んだ箸を突き立て、桃色の肉を皮膚から剥がして口に運ぶ。

まるで私が蟹を食べる時の様だ。実際、皮膚から掻き出される肉は普段食べる蟹身の様に、四方八方へ筋繊維を伸ばしている。

蟹の口は目のすぐ下、体の真ん中から少し上にあり、小さなおちょぼ口だったがギザギザの歯が並んでいて赤い舌がチロチロと蠢いており何とも気味が悪かった。

蟹は次に胎児を掴んで何かをすすり始めた。

生白い胎児は見るからにブヨブヨと柔らかそうで、しかし胎児の原型をとどめている。

「やっぱ人間は妊婦が旨いな。胎児が絶品だ」

と言う声が聞こえた気がした。

そして胴体を持ち上げ内臓をすする様にして口に運び

「人間は内臓が旨いんだよね。」

と、満足そうに言った。

青白い肺や薄ピンク色の丸々とした腸や胃が、飲み物の様に蟹の口へ流れ込んでいた。

蟹が白く渦巻く脳にハサミをのばした時、私は限界に達し嘔吐した。

蟹に気付かれてしまう、私もあのように食べられてしまうのか。

恐怖に怯えながらも嘔吐は止まらずにいた。

目を開けて前を見たら、そこにはきっと巨大な蟹がいる。

しかし目を開けて真っ先に飛び込んできた光景は白い便座と便器の底に漂う自分の排泄した汚物だった。

そして思い出した。私は居酒屋で酒を飲み過ぎ、トイレで嘔吐していたのだ。

ではさっきまでの光景は、飲み過ぎが見せた悪夢だろうか?

ホッとして壁にしばらくもたれると、トイレのレバーを「大」へ向けて汚物を流した。


席では友人らが待っていた。

「ちょっとー、大丈夫なの?」

「ごめん、ごめん。もう全然平気、スッキリした!」

「ホント気を付けなよね。これからメインディッシュだよ?食べられる?」

「スッキリしたからむしろお腹減ってる」

テーブルを見ると、メインディッシュが既に用意されていた。

橙色の固い殻、割られた胴体や手足と思われるそれを切り離して添えられた蟹だった。

子持ち蟹らしく、赤いプチプチとしてそうな卵もある。


「蟹、今年初めて食べるなー。」

私はまず胴体を手にした。

「蟹はミソが旨いよね。」

ミソの部分に酢醤油をかけてすすった。




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