定休日2
1時間は並んだフードだったが、クロはものの十五分くらいで全部食べ終えてしまった。まぁ、彼女が満足してくれるならそれでいいか。
クロ、一体彼女は何人なんだろう? 日本? 中国? 韓国? 訓練された冬雪でも驚くような身体能力、純粋で純真で誰かを殺す事を躊躇しない完成された戦闘マシーンのようであり、その根本にあるのは食事、睡眠。生きる為に直結した行動。今も近所の知り合いがくれたリンゴを一心不乱に齧っている。いつ食べられなくなるか分からない本能なのだろうか。
かなりのオーバーサイズ気味のカットソーにショートパンツを合わせた動きやすそうでいて足の長いクロのスタイルをよく生かしてあるブリジットのコーデなんだろう。きっと着せ替え人形のように楽しまれていそうだ。
「冬雪、何? リンゴ食べたいの? 一個ならあげる」
そう言ってとても嫌そうに林檎を冬雪に差し出す。
「だ、大丈夫です。それは全部クロさんが食べてください」
「そう? ならこれはクロが全部食べる。林檎はビタミンが沢山あって食べていれば病院にいかなくていいってボスが言ってた」
「1日一個のリンゴは医者いらずっていいますもんね」でも、それは病気に対してで、
「……クロはもう一個以上たべているから、やっぱり一つあげる」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
きっと、守り屋として物理的な怪我をする我々に林檎の栄養だけで医者いらずというのは少々厳しいかもしれないなと思った冬雪だったが、クロがせっかく冬雪に教えてくれた事なので、そこにつまらない事を言うのはよそうと思った。今日日林檎だけでこんなに喜んでくれる女の子はどのくらいいるんだろうか? 自分が知っているこの地の女性ではクロだけだ。
しかし、まぁこの西宮にやってきて、宮水ASSに入社して早々大変だった。
でも冬雪は生きている。その大半は先輩であり、教育係のクロがいてくれたから、吊り橋効果というわけじゃないが、冬雪はクロの事を少し意識している。
「冬雪、ボス達は多分ずっとお酒を飲んでる。外に食べにいこう」
そう言って林檎を食べ終え差し出したクロの手を握った。
酒蔵フェスティバル会場出口。
そこに向かう際、始末屋『よる』の三人と丁度鉢合わせた。
「あぁ! クロとクソザコ野郎! もう帰んのかよ!」と狂犬のようにゆかりが噛みついてくる。
火傷と傷だらけの宋を見ると、彼は優しい表情を冬雪に返してくれる。この人も始末屋だなんてとんでもない仕事をしているようには見えない。「宮水さんところのクロと、新人の冬雪くんやね。宜しく串カツ屋『よる』の店長ですー」
気の良さそうな、少し疲れている三十代程の男性。榊より年上に見えるのは目の下の隈のせいか? クロが警戒している事からこの人もバケモノなんだろう。
「は、はじめまして! 立花冬雪です。これから、仕事の依頼をさせてもらう事や学ばせてもらう事があると思います。よろしくお願いいたします。話にはきいてます。宋さん、ボスとブリジットさんを助けていただいてありがとうございます」
「うわー! ほんまええ子やなぁ! ウチのゆかりと交換したいわ!」
「ダメ、ゆかりはいらない」
クロが即答するものだから、崎田ゆかりは吠えた。「はぁああ! このクソザコより私の方が強いってのぉ!」
「冬雪の方が強い」
クロがそう言うとゆかりは手に持っている割りばしを凶器にクロに襲い掛かろうとする。それに対してクロもポケットの中に手を入れているので、多分クロも大量の鍵のついた例の凶器を取り出そうとしたので、怪我をしている宋がゆかりを、クロには赤松が止めに入り、年長の赤松が、
「よそで迷惑かけなやゆかりぃ! それとここ西宮や、アホぉ!」
「大丈夫。クロはゆかりを殺さない程度に壊せる」
「壊されたらこっちが困んねん! 宋くんもこれやど、考え! クロぉ」
「はあぁああ! 壊されねーですよあたし!」
「ゆかりちゃんも落ち着いて、今日は日本酒のお祭りですよ」
そんな騒ぎもいつもの事くらいでちらりと見た参加客達は再び、灘五郷の日本酒に舌鼓を打つ。この赤松もわりと飲んでいるのだろうに、その反応でクロを止めたのかと冬雪は驚きと少しばかりの感動を覚えた。ぽかーんと見ている冬雪に赤松は手に持っているビニール袋に入ったおつまみセットを冬雪に渡す。多分、この騒動に対する謝罪の意味があるんだろう。クロは食べ物に弱いので急におとなしくなり、されど納得がいかないゆかりはまだ叫んでいた。
「ごめんなー冬雪くん、またウチに串カツ食べにきぃや!」と赤松が頭を下げる。
「いえ、是非食べにいきますので! 二度漬禁止なんですよね?」冬雪の言葉を聞いて赤松の表情がかわる「はぁ? ワレぇ! それアホの新世界の串カツちゃうんかい? あぁ?」
「あーあ、店長怒らせたわ。あのガキ死ぬで宋先輩」
「店長、冬雪くんはこっちに来たばかりで知らなかったんですよ」
「あぁ? 宋ワレぇ! 黙っとれ!」
冬雪を助けようとしたクロを片手で捻り上げて、冬雪の尻に向けて蹴り飛ばした。「ここが西宮で良かったのぉ! 尼やと八つ裂きやどこのダボぉ!」
とても酷い目にあった。あのクロですら一瞬でねじ伏せる赤松にボコボコにされた冬雪。しまいにはあのゆかりですら止めに入ってくれたわけだが、今度尼崎の事もしっかり勉強しておこうと心に決めた。
西宮戎神社を出ると、この前六麓HSの二階堂やレベッカと食事をしたひるねラーメンの看板が目の前に飛び込んできた。
「お昼はせかい。でも今日はここじゃない」
母親が小さい子供でも手をひくようにクロは冬雪の手を握って離さない。仕事上の関係で冬雪を守るように榊に言われているからなのだが、やはり意識する。
まわりからはどんな風に見えているんだろうか?「今日は何を食べるんですか? このあたりはお店多いみたいですけど」
「イタリア料理、ピザ。食べた事ある?」
「えぇ、あるにはありますけど、多分宅配ピザだけです」
「うん、全然違うからそこにいこう」
イタリア居酒屋エビスバール。
そう書かれた店の前にクロに連れられてやってきた。ここは飲み屋街で阪神西宮の南口方面に位置しているのかと地理を頭にいれる。
「ここで食べる」とクロに連れられて店内へ。
お酒が飲めなくてもランチとして利用する事もできるらしく、昼から飲んでいる客もいれば、学生がお洒落なランチデートをしている人も見られる。むしろ、冬雪とクロもそちら側にみられるのかと冬雪はごくりと喉を鳴らした。
ランチメニューを見ながらクロが、これが美味しい。これも美味しい。これは脂っこくて美味しい。これはすっぱくて美味しい。これは辛くて美味しい。語彙力は全く期待できないが、店からすればどれも美味しいと言ってくれる素晴らしいお客さんだろうなと冬雪はそれら全てに相槌を返した。
斜め前にいるカップルの彼氏が冬雪とクロを見比べて、地味な冬雪に対して、ブリジットにドレスアップされているであろうクロとの釣り合わなさにじろじろみていると、彼女の方がクロに見とれている彼氏に「もう!」と苦言をもらしている。やはりクロは外から見てもかなり可愛いんだろう。距離感も近く、ご飯を美味しそうにたべてくれる。
理想の彼女かもしれない。
とか思ったが、クロは普通じゃない。人を殺す事に躊躇がないし、やはりどこか一般常識が欠落している部分を一緒にいて強く感じる。
だが、食べ物を楽しみにしている時は天使のようだ。「クロはまるげりーた」
クロと同じメニューを注文しようと思った冬雪だったが、クロの表情が険しくなる。「相席させてもらうわね」と言って座る女性。
冬雪もクロも知っている。
「此花さん」そう、殺し屋六麓HSの白亜が二人のテーブル席に相席してくる。そして店員を呼んで。
「モエ・エ・シャンドンのボトルをもってきて頂戴」
店の一番高いお酒を注文し、「貴方達にお話しがあるのよ」
「クロはない。冬雪もない」クロがマルゲリータを守るように歪な形に切り分けて食べているのを見て「なら、ここはご馳走してあげるわ。あなた達の時間を買うならいいでしょ?」
「僕は構いませんが、何かお仕事の依頼のお話ですか? もし、そうなら僕やクロさんではなくて榊さんに直接お話をしていただかないと困ります。僕もクロさんもそのあたりの事は全然分からないので、すみません」
「……違うわ。友人からの約束を果たしに来たのよ」
白亜は店員がもってきたモエ・エ・シャンドンをグラスに注ぐとそれを一口飲んで喉を潤した。
ランチメニューだけならそこまででもないが、いきなり五桁のシャンパンをまっ昼間から開けている白亜は住む世界が違う人なんだなと心から思う。とくにオツマミを頼むわけでもなく、対照的にピザをおかわりしたクロは取られないように隠しながら食べる。
そんなクロを不快そうに眺め、それを肴にシャンパンを飲み干す白亜。
なんだこの時間はと思うのは冬雪、一心不乱にピザを食べているクロと、そんなクロを眺めながらシャンパンを煽る白亜。冬雪の前にも同じランチメニューのマルゲリータがあるのだが、とてもじゃないが食べられるような雰囲気ではない。何故なら食事をしながらクロが先ほどの赤松と相対した時と同じように警戒している。白亜は冷静にこの空間内を支配しているとでもいうように気品さすら感じさせる。冬雪はピザをピザカッターで切り分けてはみるが、どうしても口に運べない、
そして、白亜の視線が冬雪に移る。あっ、ヤバい。見つめられクロの凄さが分かった。今の冬雪は命を握られているという圧迫感から過呼吸に陥りそうだ。これが本物の殺し屋の纏う雰囲気なんだろうか? シャンパンを煽る手を止めて「ベッキーからこれをあなた達に」とコトンと置いた物。最初それがなんだか冬雪は分からなかった。だが、それが車のキーである事に気づくと冬雪はレベッカが自分達に車をあげると言われた事、しかしそれはレベッカが……死んだとき、要するにこれはそういう事なんだろう。
冬雪も話にしか聞いていないが、レベッカが依頼していた民間軍事会社、全員宮水ASS,六麓HS、始末屋『よる』が一人残らずに殺害して、レベッカを引き渡した際の彼らは六麓HSだったという話。レベッカを保護したものだと思っていたが、どうやら違うらしい。
白亜はレベッカのコルベットのキーから手を放して頷くので、冬雪はそのキーを受け取る。別に車が欲しいというわけではないが、受けとらないという空気ではなかった。
それを手の中で遊ばせている冬雪に、
「私達六麓HSの仕事は今回の事件の画商を殺す事」そう言って再びシャンパンをすっと飲む。
「その画商がレベッカさんだったんですか?」
「えぇ、知ってのとおり麻薬の密売をしたかったみたいね」
そうレベッカは話していたのを冬雪も知っている。なんとなく横を見ると興味なさそうにクロはスパゲッティに手を伸ばして逆手でフォークを持ってくるくると巻いて食べている。逆に器用だなと冬雪は思った。
「で、私達に殺された」白亜はそう思い出したかのように言って空になったモエ・エ・シャンドンのボトルを指でなぞった。「なんとも思わないのよね」
「はい? それはどういう?」冬雪は白亜の言葉を聞いて思わず聞き返した。
「レベッカがこちらに遊びに来ると聞いた時はそれなりに楽しみだったのよ。でも殺害対象だと分かった時は、あぁそうなのくらいだったのよ」
「それは友人を殺すと言う事に気が動転して?」と尋ねてみると白亜は財布から一万円札を5枚テーブルに置くと席を立つ。「冬雪、いらっしゃい。こちら側に、もしクロや貴方への殺しの依頼があったら私が直々に殺してあげるわ」
要するに、裏稼業に身を置く者として冬雪は白亜に認められたらしい。それは親友と呼べるレベッカを自分の元にちゃんと連れてきて自分に引き金を引かせたからなんだろう。この世界のヤバさととんでもないところに来てしまった事を再認識する。
白亜がいなくなってもしばらくクロは食べ続けた。
クロは満足が行ったのか、白亜が置いて行った五枚の一万円札を店員に渡す。二万円と5千円くらいのお釣りが返ってきたので、クロは5千円札をポケットに入れると残りを冬雪に渡して店を出た。
どこにいくわけでもなく、クロはベンチに座るとふぁああと欠伸をした。まさかここで寝るつもりなのか?
冬雪が隣に座ると、もうすでに寝息が聞こえる。「猫みたいだなクロさん」と冬雪はつぶやくと、クロが半目を開けて「冬雪がいるから寝る」と一言。そして目をつぶる。
冬雪がいるから安心だといいたいのだろう。
そもそも貞操感は殆どなさそうなので、殺されないという事。
ゴロゴロと鳴りそうな喉、クロは冬雪の膝の中で丸くなった。感情は読みにくいが随分心を開いてくれたんだなと思う。まだ少し暑い日が続くからか、それとも違う理由からか「なんか暑くなってきた」同時に冬雪の心音もだんだんと速くなっていく。
今は一体どういう状態だろう?
冬雪の膝を枕にして、クロはむにゃむにゃと眠りの世界。そんないちゃつきが目に入った人々は苦笑したり、ほのぼのして通り過ぎていく。
なんかこういうのも悪くないと思った。
自ら飛び込んだ普通じゃない日常の世界。しかし想像を絶する日々の毎日だったのだ。自分が学んだ殺しの技も誰かを殺した事実ですらも、いつのまにか自分の中で生まれたのか目覚めたのか雪之丞も、
――まだ宵の口。
なんで自分は故郷から逃げ出してきたんだろうか? 居づらくなったからだ。しかし今にして思うと大した問題じゃなかった。 と言ってしまうと冬雪の恋人だった彼女は浮かばれない。やはり逃げ出す理由は十分だった。
そんな事を考えながら、無意識にクロの髪の毛を撫でていた。さらさらとした触り心地の良い髪。「おなかがすいた」空耳だろうか? 確かに聞こえた。
冬雪を見上げる野性的な人殺しの美少女クロと目があった。俺も君もいつ死ぬか分からないね?
まぁでも今は大丈夫だろう。西宮市は仕事で殺しをしてはいけない場所なんだからさ。
【完結】宮水ASS〜阪神間アンダーグラウンド〜 アヌビス兄さん @sesyato
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