最終話 七姉妹の行方



 由良奈ちゃんが『人ならざる者』であったとしても私は──ずっと、あなたの友達であり続けます。


 それはお婆ちゃんから語られた『揺らめき消え入る灯火ともしびのような出会い』であってはならないという戒めのため。


 お婆ちゃんがあの話を語る上で、どんな背景があったのか亡くなってしまった今では分かりませんが、風に吹かれ消えてしまった灯火のようにいくつもの出会いと心憂こころうい別れがあったのかもしれません。


 由良奈ちゃんの手を取ることが出来て良かった。長い年月の間で後悔に苛まれなかったのは私のお婆ちゃんのおかげなのです──。



 * * *



 あれは初めて由良奈ちゃんと出会ってから3年が経った夏と秋の境。お婆ちゃんの葬儀に参列するために寛木町に訪れた日のことでした。


 由良奈ちゃんに会うために中学の学生服を着たまま自転車に跨ってガタガタと畦道の砂利に揺られながらペダルを漕いでいました。


 会いに行くのはその年の正月以来なので、由良奈ちゃんと会うのが待ち遠しかったです。


 柳井揚水機場のそばを流れる北上川は常に茶色く濁っていますが、この町から少し北に進んだ先に「三滝堂」という硝子ガラスのように透き通った綺麗な小川があることを教えてあげると、由良奈ちゃんは興味津々で泳いでみたいと目を輝かせていたのを記憶しています。


 ──グチュ。


「うわっ!」


 考え事をしながら上の空で自転車を漕いでいるとタイヤで草陰に隠れていた何かを踏み抜いてしまい、嫌な感触がありました。


 それは水の滴る一匹の魚。口ヒゲと鋼色はがねいろの鱗の特徴からそれがこいだと分かりました。瞳は白んでいて、その様子から死んだばかりのように感じます。


 許せない、可哀想に……誰かが魚を釣った後に野にほおっていったのでしょうか。既に誰かの車に轢かれた後だったようで、大きなタイヤ跡を残す形で胴体は潰れて臓物が飛び散っていました。


 私は散らばった魚の肉を回収出来る範囲で拾い集め、畦道の側の柔らかい地面の上に置いて、土をかけて埋葬しました。手がベトベトで血生臭くて用水路に流れる水で手を洗い流しました。


「ごめんなさい。今度生まれ変わる時は悪い人に巡り会うことがありませんように。あなたの幸せを祈ります」


 土を盛っただけの簡素なお墓に手を合わせ、その後、自転車を漕いで柳井揚水機場の門前に辿り着くと奇妙なことに気付くのです。


 何者も通さなかった鉄柵の門は開かれていて、そばにちぎれた鎖が打ち捨てられていました。鎖の切断面から見るに鋭利な何かで切られたようです。


「ゆ、由良奈ちゃーん、いるー?」


 何度呼びかけても、この施設に近寄っただけですぐに現れるはずの由良奈ちゃんが一向に現れません。


 門前から見える施設の玄関口の扉が開け放たれたままになっていて風に吹かれてキィ、キィ、と音を鳴らします。


 それはまるで、私に中に入れと手招きしているかのようでした。


 施設の敷地に三毛猫がいて、ジッと見つめる私の視線に気付くと「にゃー」と鳴いて素早く駆けていき、塀を飛び越えて視界から消えました。


「警報が……鳴らない?」


 私は、恐る恐る敷地に足を踏み入れて揚水機場の玄関口に入ります。


 玄関口を進んだ先に目にした物は、壁に掛けられた大きな額縁がくぶち。墨で書かれた『登竜門』という立派な字と雷雲の中真っ白に輝きながら咆哮する巨大な龍の墨絵が描かれていました。


 その墨絵の下にテーブルがあってカラカラに水が枯れた異臭を放つ水槽が置かれています。水が無いのにポンプがずっと稼働したままです。


 私は何度も何度も由良奈ちゃんの名を呼びかけました。声は白色の無機質な通路に虚しく響くばかりで、最愛の友の姿を見ることはありませんでした。


 残りは──地下室へと続くポンプ室のみ。


 かつて見た恐ろしい光景を頭の中で振り払います。友がいてほしいと願い、ポンプ室の扉に手を掛けようとした瞬間、向こう側から勢い良く扉が開かれました。


「うっ……!」


 ゾッとするほどの生臭い臭気に吐き気を催します。扉の向こう側にいたのはツナギ姿の小汚い白髪のおじさんでした。目は虚ろでどこを見ているのか分からず、半開きの口からヨダレが糸を引いてしたたり落ちていきます。


「す……ず……ね……?」


 それは確かに私の名でした。おじさんは掴みかかる勢いで迫ってきたため、私は金切り声のような悲鳴を上げながらすぐさま揚水機場から逃げ出しました。


 自転車のペダルを必死に漕いで砂利道を走り

揚水機場の門前から少しばかり離れたところで追っ手の気配がなくなりました。


 額の汗を拭って後ろを振り向くと、おじさんは私とは逆方向の畦道を駆けていき、夏草が生い茂るやぶの中にガサガサと音を立てて入っていくとそのまま姿を消してしまいました。


 私は確かにこの目で見ました。おじさんのツナギの胸元に「柳井清路やないきよじ」という文字が刺繍されていたことを。


 姿は見えなくてもおじさんの視線が藪の中から感じて気味が悪い。


 嫌なものを見てしまったと思った私は、産毛が逆立った肌をさすりながら祖母の葬儀が行われている家へと帰り、そして──幾度いくどこの施設に訪れようとも、由良奈ちゃんが私の前に姿を現すことは二度とありませんでした。



 * * *



『ねえ。由良奈ちゃんは六人の妹達をずっとこんなところに閉じ込めちゃうの? 何だか可哀想だよ』


『先生が言っていたんだ。外には悪い人間がたくさんいてうんと知識をつけて自分を守れるようにならなくてはいけないと。大人になったら私達七姉妹は外に出してやると約束してくれた』


『ふーん、七姉妹はいつかここから巣立っていくんだね。一番姉の由良奈ちゃんは六人の妹達が将来どんな風になってほしいと思っているの?』


『そうだな……外へ出た妹達がそれぞれ感じた耀かしき世界のことを、鈴音のように楽しげに語ってくれる生を歩んでほしい。それが──私の願い──』



 * * *


 

 お婆ちゃんの葬儀から数日が経って知らされたこと。


 寛木町周辺にある山林の中で、揚水機場の施設管理人・柳井清路さんが何者かに惨殺され、遺体で発見されたそうです。


 柳井揚水機場は管理人が私物化しすぎたということから閉鎖され、のちに別の業者に委託管理されることとなりました。


 由良奈ちゃんは何者であったのか。その真相を知る者にこの先出会うことは無いと思われます。



 * * *



『揺らめき消え入る灯火のような出会い・終』


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揺らめき消え入る灯火のような出会い 江ノ橋あかり @enohashi2260

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