第五話 お別れだよ
「ふーっ、ふーっ……」
身体が汗ばんで肌にまとわり付くTシャツが気持ち悪い。私は由良奈ちゃんの後をついていって柳井揚水機場の敷地から出ました。
門前の塀のそばまで辿り着くと、敷かれたピクニックシートに体育座りでうずくまって震えながら息を整えていました。
額から大粒の汗が流れ、頬を伝ってシートに垂れて、タッ、タッ、と音を鳴らします。
「鈴音、大丈夫か……?」
「……」
心の余裕が無くて上手く返事が出来ません。
私は、由良奈ちゃんが「人ならざる者」であることを心のどこかで察してはいたものの、頭の中に思い描いていた七姉妹の素性が想像以上に恐ろしいものであると、あの地下室の様子を見るまで考え付かなかったのです。
戦慄せずには……いられませんでした。
* * *
──カナカナカナ。
秋口に入ったので日が暮れるのが早いです。空は茜色から青紫色に移り変わり、一番星が輝き始めました。
「ごめっ、ごめんね。もう帰るから」
ずっと付き添ってくれた由良奈ちゃんにそう言うと、荷物をまとめて自転車に
家に帰り着くと、庭から家の網戸越しにいつか見た光景と同じように、薄暗い部屋でお婆ちゃんが仏壇に手を合わせる姿がありました。
ゆらゆらと揺らめく
「ただいま……」
私の元気の無い声を聞いて何かを察したのか、お婆ちゃんが「こっちゃこい」と仏壇の部屋に招いてくれました。
「鈴音、どうかしたのかい?」
仏壇に手を合わせたままのお婆ちゃんの問いになんと答えればいいのか悩みながら、
「……私には、この町で出会った仲の良い友達がいたんだけど……自分が思っている以上にその子が変わっていることに気付いて、これからどう接すればいいのか分からなくなっちゃったんだ……」
「……そうか」
──チリチリチリ。
開かれた窓から緩やかな秋風に吹かれ、蝋燭の火が大きく揺らめいたと思うと、次第に火の勢いが弱まり、フッ、と僅かな煙を残して消えました。
真っ暗な一室で、外の秋虫の鳴き声が静かに鳴り渡ります。
「鈴音、その子と一緒に過ごした楽しかったであろう時間は、そんな一つの事でかき消されるものだったのかい?」
「……」
「人の出会いというものは、この蝋燭に揺らめいていた火と同じ。いつまでもそこにあるとは限らないということを──肝に銘じなさいな」
思わずゴクリと唾を飲み込みます。
暗がりでお婆ちゃんの表情は全く見えませんでしたが、冷たく問いかけるようなその言葉遣いに……ゾッとするような気迫を感じました。
* * *
翌日、私の家族は実家がある松島町へ帰るため、祖父母にお別れを言ってお父さん、お母さん、私と赤ん坊の妹を乗せて車は発進しました。
県道を走り、北上川に架かる寛木大橋を渡る手前で私はお父さんにあるお願いごとをしたのです。
「柳井揚水機場に行きたい。友達と約束したことがある」
もちろん約束なんて無い。ただの思いつき。私は由良奈ちゃんに会いに行くための口実を作るために不意にそう呟いたのです。
お父さんは「あんな所に本当に友達がいるのか?」と怪訝な表情で車のハンドルを切って柳井揚水機場へ続くルートを走ってくれました。
田園地帯の畦道を進んだ先に柳井揚水機場と門前が見えてきました。
「由良奈ちゃんだ!」
赤毛の女の子が佇む門前に車が停められて、ドアウィンドウを開くと由良奈ちゃんがそばに近寄ってくれます。
「もう、来ないと思ったぞ……鈴音」
「ううん、そんなことないよ……だって私達は友達だもん。昨日はごめんね……素っ気ないこと言っちゃって」
お母さんが不思議そうに「どこの家の子? こんなところで何やってるの?」と訊ねますが、私はその言葉を遮りました。
「今日は私、実家に帰るんだ。またしばらく会えないけど、また会いに来るからね。約束だよ」
その言葉を聞いて、由良奈ちゃんは今まで見せたことがないようなとびっきりの笑顔を見せて、「うん」と頷くと、ドアウィンドウから伸ばした私の手を取って握手してくれました。
初めて触れる手。その手は私と同じ、温かみがあって、血の通った人間であると実感させます。
「またね、由良奈ちゃん」
そう言って別れを告げ、私は元の日常へと帰っていくのでした。
* * *
『フッ』
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