ふゆのにおい

大隅 スミヲ

ふゆのにおい

 雨が降っていた。

 冬の雨は冷たくて嫌いだ。

 どうせなら、降るなら雪になってくれればいいのに。


 そんなことを思いながら、わたしはコンビニエンスストアで買った缶コーヒーで手を温める。


 車の後部座席のシートにはポリタンクが並んでいた。

 母親に頼まれてガソリンスタンドへ行く途中なのだ。


 石油ストーブじゃなくて、電気ストーブにすればいいのに。

 なんども母に言ったのに、母は頑なに石油ストーブにこだわっていた。


 そして、今年も石油ストーブを物置から出してきたというわけだ。

 車のガソリンを満タンにするのと一緒に、ポリタンクに灯油を入れてもらう。


「あれ、佐智子ちゃん、いつ帰ってきたんだ」

 顔見知りのスタンドの店員のおじさんが声をかけてくる。


 実家に帰ってきた。

 といっても、車で2時間も掛からない距離だ。

 帰ろうと思えばいつでも帰れる。

 そう考えていたけれども、このコロナ禍で実家に帰省したのは3年ぶりのことだった。


 実家に戻ると、買ってきた灯油をストーブに補充してスイッチをひねる。

 家の中は外と変わらぬぐらいの寒さであり、母はこたつの中に入ってみかんを食べていた。


 石油ストーブの着火する匂い。

 どこか懐かしく、冬が来たのだと感じる匂いだ。


「佐智子も食べな」

「手を洗ってきてからね」

 そういって洗面所に向かい、ハンドソープで手を洗い、うがいをする。

 以前まではこんな習慣はなかったが、いまではやらないと気持ち悪いと感じてしまうようになっていた。


「今夜は鍋でいいかい」

「そうだね。寒いからね」

 そういいながらこたつに入ると、足先に何かが当たった。

「あ、ごめん」

 そう言ってこたつの中を覗き込むと、飼い猫のタロがこちらをじっと見ていた。

 童謡ではないが、本当に猫はこたつで丸くなるものなのだ。


 みかんを剥いて食べながら、昼のワイドショーを見る。

 ああ、実家だ。

 普段はしないことをしていると、そう感じる。


 マンションの部屋にはこたつはないし、昼間っからニュース以外の番組を見ることもない。

 3年ぶりの実家の居心地の良さに気分を良くしていると、いつの間にかこたつでうたた寝をしていた。


「佐智子、ご飯できたから。運ぶの手伝って」

 母の言葉にこたつから抜け出し、熱々の土鍋を持ってくる。


 鍋はシンプルな水炊きで、手羽元と手羽先と野菜をじっくりコトコトと煮たものだった。

 我が家ではこれをポン酢につけて食べる。


 父は10年以上前に他界しており、兄は東京で家庭を持っていて年末年始ぐらいしか顔を合わせることはなかった。


 ふだん、この家には母と飼い猫のタロだけが暮らしているのだ。


 ご飯を小さな器に盛ってきた母は仏壇にそれを供えると手を合わせてから、鍋の待つこたつへと戻ってきた。


「さあ、食べよう」

 母はそういって、佐智子と一緒に鍋を食べた。



 翌朝、電話が鳴っていることで目が覚めた。

 時計を見ると午前9時を過ぎていた。


「はい、高橋です」

「富永だ。休みのところ、悪いな」

「どうかしましたか」

 富永の声を聞いた瞬間に、頭は完全に冴えていた。脳が仕事モードで覚醒をする。


「先週の新宿三丁目の殺人事件だけれど、新たな目撃証言が得られた」

「本当ですか」

「ああ。現場の向かいの部屋に住んでいた人が、怪しい人を見たって言うんだ」

「わかりました。これから、出勤しますので待ち合わせましょう」

「え、実家に帰っているんだろ」

「二時間もあれば戻れます」

「いや、せっかくの休みだから――」

「戻ります」

 半ば食い気味に富永に言うと、電話を切った。


「お母さん、ごめん。仕事が入った」

「あらま。それじゃあ、おにぎり作ってあげるから、車の中で食べな」

「ありがとう」

 佐智子は帰り支度を済ませて、車に飛び乗る。


「佐智子、頑張ってこい」

 母はそう言って、佐智子におにぎりを持たせてくれた。


 いつだって、母は自分の背中を押してくれている。

 東京の大学に進学したいと言った時も、警察官になりたいと打ち明けた時も、いつも母は「頑張ってこい」と言って自分を送り出してくれた。


「また、年末年始のどこかには帰ってくるから」

 佐智子は母にそう言うと、アクセルを踏み込んだ。

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