グラムあたり時価及び言い値
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待ち合わせたスタバのソファ席、だらしなく背もたれに寄り掛かっていた岩見先輩がこちらに気づいて、にんまりと笑って手を振ってみせる。
喫茶店の照明としては洒落っ気と不便の拮抗するぎりぎりの明るさの中でひらひらと振られている右手、その小指と薬指が欠けていることに気づいて、俺は舌打ちした。
「何してたんですか」
「何が」
カウンターから受けとったばかりのカップを机に置く。予想外に籠もっていたらしい力に、ちゃちなテーブルが鳴る。先輩は自分のカップ──馬鹿みたいにクリームの乗った限定ドリンク──を手元に引き寄せる。
心底から不思議そうな返答をして、先輩は正面に座った俺を真直ぐに見た。
「こないだのサークルの例会みたいに遅刻はしなかったろ、映画に遅れるからさ……」
「俺が来るまで何してたんですか」
「何してたって待ってたよ、待ち合わせだろ」
「よく言いますよ。こないだ三時間待たせたじゃないですか」
「あれはたまたまだって。ついでの用があったからさ、それも兼ねてはいたけど」
大学でもサークルの集まりだろうが授業だろうが遅刻しない方が珍しいような先輩だ。それでも見たい映画や美術館の趣味がそこそこ合致するからこうして待ち合せたりはするものの、時間通りに来たことは片手で数えられる程度しかない。以前に遅刻したときは『時間前に着いたから暇つぶしにやったパチンコが大当たりしたから』という理由で二時間も連絡を寄越さなかった。その上大当たり後にその分を注ぎ込んで負けているのだからどうしようもない。
この人が俺との約束を守るより、他の本命がある方が納得がいく。そういう類の相手だ。
「ついでに何してたんですか」
「そんな怒んなよな。今日はあれだ、三か月前の光熱費払ってきたのと、ついでにパチ屋寄ってきて、」
「負けたんですか。だから」
体売ってきたんでしょうと言えば先輩は滑らかな眉間に亀裂のような皺を寄せた。
「表現がアナクロなんだよお前。やめろよな、そういう物言い」
「事実でしょう」
「……元々はさあ、あれよ、お前のためよ? かわいい後輩のためにな、映画の後飲むだろうからその分奢ってやろうと思ってたわけよ親切な先輩の俺は。そしたらさ、俺みたいな学生が手っ取り早く財布の中身を増やそうってしたらさ、打つしかねえじゃん今日朝の占い三位だったし」
先輩は右手で捻るような動作をして見せた。
「そんでパチはどうだったんです。俺打たないから知りませんけど、あれって勝ったら指取られるんですか」
「馬鹿、そんなんだったら誰もやんねえよ。……負けたんだよ、だからさしょうがねえじゃん可愛い後輩のためにさ、ぱぱっと駅前の提供ルームに行ってきたわけよ」
おかげで財布は分厚いぞと着古したダウンのポケットから器用に三本指で財布を掴み出してへらへらと笑う。
その拍子に左袖がぺらぺらと揺れた。左腕も肩口からないのだろうと、俺は舌打ちするのをどうにか堪える。
岩見先輩は人魚だ。
正確に言うと先輩の母が人魚なので、半分は人間で構成されている。だが誕生時の検査や両親による要望などの結果、混ざりものであるにも関わらず人魚として登録されているのだと新歓コンパで酔っぱらった先輩から聞かされた。
公的な規定や属性はともかくとして、俺からすれば半分人間が混ざっているというのが信じがたい程度には人間離れしているように見える。
髪色は墨のように黒く、肌は波に洗われた骨のように白い。人魚の常として歌はべらぼうに上手いし、ちょっとした怪我ならすぐに治る。
何よりその目が異様だ。底なし穴じみて昏く黒々とした瞳。その端に川藻のような緑色が薄く滲む様は、ふと目が合った瞬間に背筋が冷えるような代物だ。
人魚や人狼、吸血鬼に鬼人。俺の生きている現代社会においては、生物としての生理や寿命も異なる異種族と隣人として──というより互いに壮大な不安感と僅かな嫌悪感を以て──共生し生活している。純然たる人間種とは違う異種族連中との交流は、おおむね平穏に済まされている。
人魚も陸を闊歩し、人狼が満月休暇を申請し、吸血鬼が市役所から配布されたクーポンを食用血液と交換し、鬼人は盛大な牙の手入れのために歯科医に予約を入れる。挙げればきりがないほどの例が示すように、異形の連中は日常に溶け込み、時にその特性や種族的技能を利用して人間どもを慄かせたりしている。
神秘性も恐怖も畏怖もなく、ただ『特異体質』という一言で乱雑に括られた結果として、この日常は成立している。
「お前俺が『提供』すんの嫌がるよな。何で?」
「……びっくりするでしょう、知り合いの指がいきなりなくなってたら」
「他人の指じゃん。神経質だな」
どうせ生えてくんのにと先輩が笑う。俺は応える気も失せて溜息だけを返した。
異種族の特性として様々な異能がある。魅了や怪力、念動力や未来予知など──勿論
食肉提供がその一つだ。異種族の異能と世間の悪趣味、両者の需要と供給が合致してしまった結果発生した商売で、印象の悪さとは裏腹に法的にはなんら後ろ暗いところはない。
肉体の再生力が強い種族からその肉体を買い取り、各種用途に応じて出荷する──極めて趣味が悪い商売だが、世間の頭の悪さも大概であるので人魚料理の専門店や吸血鬼の血酒などが雑誌に特集されるのも珍しくはない。
特集記事を読んだとき、同族食いは嫌なくせに四肢五体のよく似た異種族は食えるのか、むしろ似ているから食べたいのかもしれないと考えて、胸がざわついたのを覚えている。
勿論法的にも技術的にも幾つもの規制があり、食肉の採取方法は昔話の人魚譚のような野蛮なやり口ではない。
商売であるのだから、提供量に対しての人道的かつ公的な相場を踏まえた報酬が支払われる。いたずらに苦痛を与えない手法は既に確立され、食肉提供業務においては適切な手順と最適な器具を使用してのほぼ無痛かつ短時間で済む採取法が取り入れられている上で、医療的な処置も勿論義務付けられている。適切な処置を施せば、再生力の強い者なら腕の一本くらいは数時間で復元できるそうだ。
この一連の流れは世間一般的には『提供』と呼ばれ、
安全で、悪趣味で、割のいいバイトだ。
「昔は売血とかあったらしいじゃん。あれ人間でもできたんだろ、今でも献血とか呼びこみしてんじゃん駅の地下とかでさ」
「あれだって一定量とか期間とか制限があるんですよ」
「じゃあ尚更一緒だろ。俺だって提供バイトするときに再生力調べられてさ、これなら月8%くらいですねって許可もらってるし。致命的な部位は取られねえしさ」
目の前で広げられた手は不愉快なほどに白く、巻かれた包帯との境目がより際立つほどだ。
薬指と小指の欠けた掌は、散り損なった花のようだった。
「片手どころか腕まで失くしてきて、そういうこと言うんですか」
「失くしたって言うなよ四日ぐらいで戻るのに……利き手だともうちょい高いんだけどさ、両腕ないとさすがにバランス取り辛いんだよな。だからこっちは指だけ」
先輩は残った指でピースサインを作り、こちらに向ける。
折り畳むのが親指だけでいいのかと気づいて、俺はますます苛立った。
「何がそんなに気に食わねえの。俺の身体がどうなったところで、お前痛くも痒くもねえじゃん」
不思議そうに問いかけてくる先輩から目を逸らして、俺は冷める気配のないコーヒーを啜る。
確かに先輩の言う通りだ。落ち度というものは存在していない。
先輩がパチンコで手元の金をすっからかんにするのも、その分を食肉提供バイトで穴埋めするのも、その金をまた
結局俺のエゴでしかない。先輩が金のためにその身を勝手に削っていくのがなんとなく嫌だという、それだけの幼稚で理不尽な感情だけだ。
そんな肺の腐るような感情一つで他者をどうにかしようなど、それこそ愚行というべきだろう。
俺は伏せていた目を先輩に向ける。ぼんやりと宙を見る先輩の眼。曖昧な照明を飲み込んだ底に、鱗のように緑色が閃く。明らかな異種の証明であるその目玉は、人とは似ているようで隔絶している。
感情による干渉、先輩にはそんなものを受け入れてほしくはない。誠実さに欠ける──正当かつ合意の上、それでようやく世界に対してのつじつまが合うはずだ。
ならば、合法的かつ論理的に先輩を所有するために俺に許された手段はひとつだけだろう。
テーブルにカップを置けば、黒々とした表面に小さな波が散った。
「先輩、頼みたいことがあるんですけど」
「何? 言われなくても今日の夜は俺出すよ。そのために寄ってきたわけだし」
「俺にはいくらで売ってくれますか」
その一言を発した瞬間だった。
先輩の顔から何かが捲れ、見慣れたはずの表情も何もかもが異種のそれを剥き出しにした。
瞬き一つの間にその綻びは繕われ、先輩はいつもの薄ら笑いを浮かべた。
「そういうのっつうか、食肉提供だよな? 個人取引やってねえんだけど、俺」
「いくら出せばやってくれますか」
先輩の目がすうと細くなった。錆のような緑色が一瞬だけ閃いて、すぐに消えた。
「……俺に決めさせてくれるんなら、考えてもいいぜ」
とりあえず今日は映画観ようぜと笑う先輩に、俺は黙って頷いた。
先輩はすぐ何事もなかったかのように今日のパチでいかに惜しいところで当たりを逃したかを喋り始め、俺は適当に相槌を打つ。
とりあえず約束はとりつけた。誤魔化そうとしても、先輩のことだから月末にでもなればすぐ金に困るだろう。そうしたら
耳に残らないBGMと内容のない先輩の話を聞きながら、俺は夢想する。微かに緩む口元を悟られないように、カップに口をつけた。
最初に食べるのは脚がいい。人魚の脚は人の味がするのか、それとも魚の味がするのか。どちらにしても先輩の味だろう。
グラムあたり時価及び言い値 目々 @meme2mason
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