第3話 暗闇の先の君へ

「あのさ……、私あれからトンネルの事故のことを調べたんだけど。事故に合った運転手、木内と同姓同名だったね」


「そうだよ」


「……もしかして、親戚の人とか?」


「違う。それは、俺なんだ」


 私は驚きで目を見開いた。


「どういうこと? 意味がわからないんだけど」


 木内は、歩みを止めると自転車を脇道に停めた。


「真紀、俺の後を追わないでくれよ」


「え?」


「真紀は、今ダム湖の中に沈んでいる」


「ど……どういうこと?」


「俺たち、十年後に結婚するんだ。だけど、十年後、俺は仕事に行く途中で運転中に事故っちゃって」


「え……え……?」


「それが、あのトンネルだよ。トンネルのことを話した時、もっと早く気付いて目覚めてくれるかと思ったけど全然起きてくれなかったから……。俺たち、結婚したんだよ。事故に遭ったのは結婚してからまだ半年だったんだ。真紀は俺の死に絶望してダム湖に身を投げた」


「え……」


 木内が私の手を握った。私が驚いて木内の目を見つめると、木内は泣いていた。


「起きろ」


 その瞬間、突然息苦しくなり、私は道路に倒れ込んだ。口を開けて思い切り酸素を吸い込もうとすると肺に水がなだれ込む。視界が歪み目の前の木内が歪んで見える。声を出すことも出来ない。


「真希!」


 木内が私の体を抱き上げた瞬間、私の肺に酸素が送り込まれた。



 気が付くと、私は砂利の上を這い、水を吐き出した。下半身は湖に浸かっている。しばらく、放心状態で荒く呼吸を繰り返すことしかできなかった。意識が鮮明になると、ダム湖の湖畔の砂利の上に横たわって仰向けになり天を仰いだ。真っ黒な夜空に無数の星が瞬き、月が浮かんでいる。


 そうだ。私は走馬灯を見ていたらしい。


 私と実隆は、中学校の美術部で知り合い、卒業後は会うことは無かった。当時は携帯が普及し始めた頃で、高校生になってから携帯を持ち始めたものの連絡先なんて知らなかったから連絡は取れなかった。心のどこかで私の初恋は実隆だと思っていたが、それは淡い思い出の一つとして記憶に刻まれていた。


 それが、二十歳の成人式の日。会場でスーツに見を包んだ実隆を見つけた私は目を見張った。身長が伸びて、すっかり大人びていた。そして、実隆も振袖に見を包んだ私を見て驚いた顔をしていた。成長してお互いに大人になっていたけれど、実隆のあのあどけない少年のような笑顔は変わらなかった。成人式のあとの二次会で連絡先を交換してからすぐに交際を開始し、数年間の交際を経て結婚。実隆はダムの奥に位置する木材の加工所で働いていた。住宅建材や家具などを加工するための材木所で、繁忙期は夜明け前の早朝に出勤することもあった。その日も陽が昇るより早い時間の早朝出勤だった。


「行ってくるね」


「行ってらっしゃい」


 私はパジャマのまま、寝ぼけ眼で実隆を見送った。玄関でキスをしておにぎりとお茶を手渡す。実隆は相変わらず私のおにぎりを喜んで食べてくれていた。



 実隆は繁忙期で疲労や眠気が残っていたのだろう。通い慣れた通勤ルートだったにも関わらず、トンネルのカーブで曲がりきれずに衝突。ブレーキ痕は僅かしか残されておらずほとんど減速しないまま突っ込んだそうだ。軽自動車で、車体のフロントはぐちゃぐちゃになり、フロントガラスは割れて散乱していた。エアバッグは作動したものの、実隆は頭から出血し全身を強く打っていた。不運が重なり、事故が起きたのは早朝で車も人の通りもない時間帯だった。発見されたのは数時間後だったため既に絶命していた。


 私は、彼を送り出してから眠ってしまい、目覚めたのは警察から連絡が来たときだった。


 仕方がないこととはわかっていても、すぐに事故に気付いてあげられずに寝ていた自分を責めた。


 無事に告別式を終えたあと、私は一人、喪服のまま深夜に車を走らせてこのダム湖へとやってきた。深夜の山道は実隆と見た煌めく景色とは様変わりし、湖は墨汁のように漆黒で山並みには人を寄せ付けない威圧感がある。


 私はダム湖の駐車場に車を停めて湖畔に降り立った。



 最初から身投げをしようと思って来たわけではない。ただ、一人で家にいるのが辛かった。半年前に二人で借りたばかりのアパート。家には、実隆の物がたくさんあって、部屋には実隆の香りが残っている。たくさんの写真や思い出の品。まだ、実隆がいなくなってしまった実感が沸かず、涙も出なかった。まわりのみんなが私を心配して連絡をくれたが、それさえも受け入れがたく一人になりたかった。


 実隆と初めてダム湖に来た時と同じ場所に座り、あの日の出来事や、これまでのことを思い出していた。湖の水の跳ねる音、動物の鳴き声、風で木々が揺れる音。そして、暗闇に一人でいる恐怖感と絶望。耐え難いほどの悲しみがこみ上げてきて身を引き裂かれそうな苦しみが私を襲った。私は立ち上がるとダム湖のまわりをぐるりと周り、少し高さのある岩場へと足を運んだ。底の見えない真っ黒な湖は私の絶望と同じに思えた。そして、なんの躊躇いもなく身を投げていた。


「実隆、助けてくれたの?」


 私は仰向けに横たわったまま一人で呟くと初めて声を上げて泣いた。一度涙が流れ出すと、体中の水分が出てきてしまったのかと思うほど止めどなく涙が流れ続けた。私はしゃくり上げて泣き続け朝を迎えた。



 ひとしきり泣いたあと、私はびしょびしょに濡れたまま車に乗り込んだ。車を発車させてトンネルへと車を走らせる。あのトンネルが見えた。相変わらずトンネル内は真っ暗で、僅かな電球が付いているだけだ。見通しは悪く車線は消えかけている。私は車のスピードを落とした。ヘッドライトに照らされて、カーブの先の壁面に車の衝突した跡が見える。私は車を脇に寄せてハザードランプを点灯させると車を降りた。実隆の車が衝突した跡にそっと触れる。擦れた跡が黒い模様のようになっている。ふと、実隆が自分のことを「心霊スポットの幽霊」だと言っていたことを思い出した。彼らしい明るい冗談だ。そういえば二人で初めて自転車でトンネルに来た日も『ここは、幽霊が出るので有名なトンネルだって知ってる?』と話して私を怖がらせた。


「実隆……ここにいるの?」


 トンネル内に私の声が響く。辺りを見回しても実隆の幽霊は現れてくれない。しばらく佇んでいたものの諦めて車に戻ろうとした時、向かいから現れたトラックのハイビームで目が眩んだ。トラックがけたたましくクラクションを鳴らして私の車を追い越してカーブを曲がっていく。


 私は車に戻るとエンジンを回し、アクセルを踏んだ。


トンネルの先は朝日が山並みと川を照らして燦々と輝いている。眼下の川は墨汁のような黒色ではなく、深緑色へと変わっていた。


 実隆は私を助けに来てくれたのだろうか。


「助けてくれてありがとう」


 私は涙を拭い、朝日の照らすアスファルトの道を真っすぐに進んだ。



         了

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暗闇の先の君へ @kyousha

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